ファウスティナは、自分が疲れ果てている時も命令されたことをやりましたと書いていて、まあ、ふつうの人でも黙ってそうしてることはありますよね。
まだ全部読んだわけじゃないけど、書かずにはいられないほど疲れていたのでしょう。犠牲や苦行の勝敗表を作ってますから彼女は。そのうちの一つとしてこのエピソードが残されたお陰で、私たちは、いろんな感じ方ができてるわけです。

私もそうしようとか、決意する人もいるのではないでしょうか。

『聖ファウスティナの日記』を読んでいると、私との感受性の違いもわかってきます。
ファウスティナに現れたイエズスが彼女の鏡に映るイエズスであってもおかしくないと思います。