【教えて】ヒッピの神様【みこころ】
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テサロニケ(一) 4章 すなわち、主ご自身が天使のかしらの声と神のラッパの鳴り響くうちに、 合図の声で、天から下ってこられる。その時、キリストにあって死んだ人々が、 まず最初によみがえり、 それから生き残っているわたしたちが、彼らと共に雲に包まれて引き上げられ、 空中で主に会い、こうして、いつも主と共にいるであろう。 >>680 ぴっぴの闇? 民数記20章1節より 1 イスラエルの人々の全会衆は正月になってチンの荒野にはいった。そして民はカデシにとどまったが、ミリアムがそこで死んだので、彼女をそこに葬った。 2 そのころ会衆は水が得られなかったため、相集まってモーセとアロンに迫った。 3 すなわち民はモーセと争って言った、「さきにわれわれの兄弟たちが主の前に死んだ時、われわれも死んでいたらよかったものを。 4 なぜ、あなたがたは主の会衆をこの荒野に導いて、われわれと、われわれの家畜とを、ここで死なせようとするのですか。 5 どうしてあなたがたはわれわれをエジプトから上らせて、この悪い所に導き入れたのですか。ここには種をまく所もなく、いちじくもなく、ぶどうもなく、ざくろもなく、また飲む水もありません」。 6 そこでモーセとアロンは会衆の前を去り、会見の幕屋の入口へ行ってひれ伏した。すると主の栄光が彼らに現れ、 7 主はモーセに言われた、 8 「あなたは、つえをとり、あなたの兄弟アロンと共に会衆を集め、その目の前で岩に命じて水を出させなさい。 こうしてあなたは彼らのために岩から水を出して、会衆とその家畜に飲ませなさい」。 9 モーセは命じられたように主の前にあるつえを取った。 10 モーセはアロンと共に会衆を岩の前に集めて彼らに言った、「そむく人たちよ、聞きなさい。われわれがあなたがたのためにこの岩から水を出さなければならないのであろうか」。 11 モーセは手をあげ、つえで岩を二度打つと、水がたくさんわき出たので、会衆とその家畜はともに飲んだ。 12 そのとき主はモーセとアロンに言われた、「あなたがたはわたしを信じないで、イスラエルの人々の前にわたしの聖なることを現さなかったから、 この会衆をわたしが彼らに与えた地に導き入れることができないであろう」。 10 モーセはアロンと共に会衆を岩の前に集めて彼らに言った、「そむく人たちよ、聞きなさい。われわれがあなたがたのためにこの岩から水を出さなければならないのであろうか」。 11 モーセは手をあげ、つえで岩を二度打つと、水がたくさんわき出たので、会衆とその家畜はともに飲んだ。 ミリアムは不信仰のため裁かれましたよね ダビデの前の王も、ソロモンでさえ堕落しました キリスト以外は皆、ダメダメ…。 12 そのとき主はモーセとアロンに言われた、「あなたがたはわたしを信じないで、イスラエルの人々の前にわたしの聖なることを現さなかったから、 この会衆をわたしが彼らに与えた地に導き入れることができないであろう」。 >>686 胸に当ててよく考えよう。最近こういう気分のレスが多くないかな? 10 モーセはアロンと共に会衆を岩の前に集めて彼らに言った、「そむく人たちよ、聞きなさい。われわれがあなたがたのためにこの岩から水を出さなければならないのであろうか」。 殺人の教え モーセは、戦いを終えて帰還した軍の指揮官たち、千人隊長、 百人隊長に向かって怒り、かれらにこう言った。「女たちを皆、 生かしておいたのか。 ペオルの事件は、この女たちがバラムにそそのかされ、 イスラエルの人々をヤーヴェに背かせて引き起こしたもので、 そのためにヤーヴェの共同体に災いが下ったではないか。 直ちに、子供たちのうち、男の子は皆、殺せ。 男と寝て男を知っている女も皆、殺せ。女のうち、まだ男と寝ず、 男を知らない娘は、あなたたちのために生かしておくがよい。」 (民数記 31章14〜18節) 大王、よく聞きなさい。 あなたは神の聖なる存在をたびたび欺き、偶像と親しみ、自分を誇り、空しい行いに夢中になっています。 魔術師シモンは金で奇跡を買おうとしたり、ついに十分な悔い改めには導かれず破滅したのです。 12 そのとき主はモーセとアロンに言われた、「あなたがたはわたしを信じないで、イスラエルの人々の前にわたしの聖なることを現さなかったから、 この会衆をわたしが彼らに与えた地に導き入れることができないであろう」。 どのように、 人々の前にわたしの聖なることを現すのか? 与えた地に導き入れられるのか? ヨハネの福音書12章 49 わたしは自分から語ったのではなく、わたしをつかわされた父ご自身が、わたしの言うべきこと、語るべきことをお命じになったのである。 50 わたしは、この命令が永遠の命であることを知っている。それゆえに、わたしが語っていることは、わたしの父がわたしに仰せになったことを、そのまま語っているのである」。 ヨハネの福音書15章 5 わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。もし人がわたしにつながっており、 またわたしがその人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる。わたしから離れては、あなたがたは何一つできないからである。 パリサイ人は、自分の信奉する教義の内に自分側で判断してたの、 パリサイ人の考える思考をイエスの奇跡は超えていてついていけなかった、 パリサイ人は他者との深い関係が薄かった、 良きサマリア人のたとえを参照。 他者との深い関係に入るためには、イエスとの深い関係と、父なる主から来る、 わたしの聖なることを現わせる力がいるようです。 自分側の「私は正しい」というスタンスでは捉えられない力が中心でないと無理なようです。 今朝気づいた按配です、 そのような程度なので、私の今まで立ち位置があったのでしょう。 「緻密な判断力を追及する」という。 私のスタンスの「緻密な判断力を追及する」が中心が故に、 「祝福」「栄光」「わたしの聖なることを現わせる」「イエスの奇跡」 という意味が、今朝まで解らなかったです。 >>692 大王さんはシャロンさんアイから見ると、自分の「味方」なのでつ そしてピッピさんアイから見ると味方でも何でもないので、まずそこが一番大きな違いでつ 昨日の時点で記録しておこうと思っていたこと。 私の何が大きな罪に相当するのかを尋ねていたところ「想像」ということばが出てきた。 どうしても、考えてしまうのだ。 比較したり確かめたりするために。 ところが、私の中でもよくやっているバトルというのが、他人の想像する偽りの私であることも多い。 想像が自分一人の中で閉じ込められているならばよかっただろう。 私の体験してきたことは、他人の想像した私や他人の想像した誰々なのである。 これがはっきりしたのは、私ではない私を見た時だった。 私はここでも「想像」した。 考えめぐらした。 これは何だろうと。 私ではない私を、私だと思い込み その私に反応した誰かの誤解した思いが、実際の私のところへ届いていないだろうか。 映画『マトリックス』のような世界がある。 霊の世界のコピーは、自由自在に伸び縮みするようだ。 あるイメージがいったん吹き込まれた偶像には、外的反応次第で、まるで生きている一人のようなバリエーションができる。 ホスチアもこのようにその人に合わせて伸び縮みしているかもしれないと思った。 誰かが私になりきると、私に届いたときに、引きずられて、同じように思ったり喋ったりしているかもしれない。 知らないうちに体が動くなんていう体験も同じメカニズムのうちにありそうだ。 私は無茶な体勢から頭を壁にうち叩かれたことがある。 あれは自然では起こらない。誰かに力を加えられなければ起きない体勢だった。 私が心底憎んでいるのは罪の自動スイッチである。 覚醒剤などによる揺り戻し現象や、なんらかの中毒を引き起こすスイッチがある。 人間が抗うことの難しい肉欲のすべてが、些細なスイッチによって引き起こされている。 想像も同じである。 もしも、この想像さえ自由にならなかったら、罪は大きなものとはなり得なかった。 いや想像で満たされていたものが満たされなくなるから、実際の犯罪が増えるという人もあるかもしれない。 ある人の想像をしたいと思い、しかし一つも想像できないことが起きたら、何かスイッチの断絶が起こっているといってよい。 そして罪のスイッチがなくなることで、内にも外にも罪は拡販しない。 私はよく想像した。 私が死んだ後の想像や、理想の恋人同士や、楽しかったときの記憶を繰り返したり、もしこんなバージョンだったらどうなっていただろうと想像した。 これがとんでもない罪を引き起こそうとは夢にも思っていない。 私の愛読書は『赤毛のアン』だ。想像力が罪だなんてまったくよぎりもしなかった。 私は 毎日が平穏で、心も平安。 むりやり去年の苦しみを思い出しながら 足場を低くしているくらいです。 ハム♂もタマタマの逆剥けがとれてますし、痛がらず、順調に回復しているようです。 自分ではわからなくても みこころに適うことが起きていたらいいと思います。 旧約続編 バルク書 4:33お前の陥落を喜び、崩壊を楽しんだこの町は、/自らの荒廃を悲しむだろう。 4:34わたしはこの町から、にぎわいの喜びを奪い、/その高慢を悲しみに変える。 4:35火が永遠なる者からそこに下って幾日も燃え続け、/そこは長い間悪霊どもの住みかとなる。 4:36エルサレムよ、東の方に目を向け、/神から来る喜びを見よ。 4:37お前が送り出した息子たちが帰って来る。東からも西からも、/聖なる者の言葉によって集められ、/神の栄光に浴して喜びつつ帰って来る。 旧約続編 バルク書 2:34わたしは、お前たちの先祖、アブラハム、イサク、ヤコブに与えると誓った地にお前たちを連れ帰る。お前たちはその地を治めるだろう。わたしはお前たちの数を増やし、その数を決して減らすことはない。 2:35わたしはお前たちと永遠の契約を結び、わたしはお前たちの神となり、お前たちはわたしの民となる。わたしはもはやわたしの民イスラエルを、その与えた地から去らせることはない。」 エルサレムは崩壊して それから二千年ほど散らされました。 https://www.google.co.jp/amp/news.livedoor.com/lite/article_detail_amp/15329085/ このほどロシアで、旅行から帰宅したカップルを驚かせる出来事が起こった。留守中、スーパーで購入した卵が孵化していたのである。『Metro』などが伝えている。 モスクワのアパートに住むイリーナさんとパートナーは、3週間ほど旅に出ており、帰宅すると妙な音を耳にした。 聞きなれないその音を、最初は電子機器が故障した警告音と勘違いしたカップルだったが、キッチンへ行くとその正体が判明した。 イリーナさんたちは出かける前にスーパーマーケットで卵を買い窓枠へ置いていたのだが、留守中にその数個が孵化していたのである。中にはまさに孵化が始まっていた卵もあった。 ダビデ(荒野時代)とソロモン(子孫に流れる罪) 【モーセとファラオの関係を思い起こす】 サウル王は悪魔に渡されダビデを妬み殺そうとするが、ダビデは誠実と忠実を尽くした。 【当事者亡き後の罰】 異教を許すソロモンの罪が子の代に表れ国は分裂、破壊され、民は捕囚となる。 この時間になるとfebcも聴き終わって まったりする。 毎日納豆2パックずつ消費した。 ご飯は食べない。 福袋のコーヒー豆もようやくなくなり、新しいコーヒー豆を購入した。 毎日飲んでいたら、またたくまに無くなっていくものだな。 紅茶缶も消費しよう。 一昨年の福袋のやつがまだある。 悪霊を聖霊だと信じて交わっている人が多い。 悪のイメージとは違うからだろう。 イメージする悪とは違うから、美と知恵と不思議と成功が、まさか悪霊からもたらされはしまいという誤った認識がある。 とりわけキリストを主としない、十字架も信じない、復活も信じない人で、聖霊を受けていると思い込んでいる人は、まず有り得ないことを知って欲しい。 悔い改めて、それなりの償いに相当する苦しみを味わって、赦される。 これがまあひとかたならないのだろう。 それでも他人が代わりに悔い改めるわけにはいかないので、 その人が救われるために必要な痛みを見てこちらも苦しいからっていって、奪い取ってはならない。 痛みを伴わない悔い改めはない。 >>709 長生きしても、苦痛の生き地獄では つらいだけですよね。 🎈本日の『manna』2コリント 13:1-10 訪問に際しての警告 1 私があなたがたのところに行くのは、これで三度目です。二人または三人の証言によって、すべてのことは立証されなければなりません。 2 以前に罪を犯した人たちとほかの人たち全員に、私は二度目の滞在のとき、前もって言っておきましたが、こうして離れている今も、あらかじめ言っておきます。 今度そちらに行ったときには容赦しません。 8 私たちは、真理に逆らっては何もすることができませんが、真理のためならできます。 (ピッピ談) キリストは死なれましたが、今も生きておられ、私たちの中にあって強い力を及ぼしてくださるお方です。 どんな悪をも行わず、善を行いなさいと励ましています。 たとえパウロたちが不適格な者に見えても、善を行なって欲しいと訴えます。 おそらくコリントの偽使徒たちのパウロへの批評によらず、キリストにあって強く正しくいて欲しいということでしょう。 去年、私の判断がことごとくひっくり返され、善悪のことがまるであてにならない状態でムチ打たれました。 何が何だかわからなくなり、何をするのも恐れが伴い、発狂しました。 善悪と一言でいわれても、自分の判断は信用できず、キリストのみこころも見えなくなりました。 あの恐怖と、苦痛と、不快と、強い悲しみは、私をつねに絶望させ、混乱させました。 強いお仕着せの風は止んだものの、こうしてまだみこころが分からず苦しんでいます。 人混みで出会う人の体に一本の抜け毛が目に付いたとします。 私はそれをひそかに取ってあげたいと思います。 しかしある人はそれを偽善だとみなし、ある人は余計なことだと見るようです。 髪の毛を取ってあげることは私のすることでしょうか? もしも私が勝手に取ってあげたら、本当に気づいてあげる人の予定(計画)が台無しになるのではないかと恐れました。 この件がきっかけで劇的な交わりがあったであろう出来事を、私の「そうしたいから」という善行によって、奪ってしまうかもしれないと。 昔、駅のホームを歩いていて、前を歩く女性のスカートのファスナーが下りているのを見て、彼女に教えてあげたことがあります。 私なら教えて欲しいからです。 でもこれは私のやることだったのでしょうか。 気づいたことなら何でもやりたい時期があったのです。誰のだかわからないけど自転車が倒されていたら元に戻したい…。 見て見ぬ振りしても命に別状があるわけではないのですが。 川のゴミを除去すること。 道端のゴミを拾っていくこと。 やりたくても注目されるのは煩わしいという理由でやれない。 しかし私のおじは、やってました。 奇異な目で見られることもなく、近所の清掃を自然に。 それはおじがおじ目線でやっていたことで、おじは善行のためにやっていたのではないと思う。 私は悪魔たちをとても憎んでいます。 この先、彼らがどんな罰を受けても 一切の同情を持ち得ないでしょう。 コンソメにしようと思いましたが 気が変わってベトナムスープ鍋の素を入れました。 具材は普通のいつものやつです。 もやし、茄子、人参、長ネギ 熱いので冷ましてるところ。 今月はまだあと十日もある。 来週もびっしり。 そろそろカレンダーや手帳のカタログが届くころ。 死にたいという希望はあっても、生かされるかもしれないし、準備はしておかないとね。 でおーは 統合失調症気味みたいね。 ミサ出たあと幻覚見たとか どんなおかしな霊能宗教でもやらかしてる類い。 ほら、孤独の怨念、人間関係の闇が溢れている。 イエスの愛から遠い、 そりゃ、死にたくなるわな、世の中の人間、全部敵だととか・・・・・。 ほらの意味がわかりませんね。 あなたは偽りの幻を見てヒャッハーしてるだけよ。 覚醒剤でもやってたの? 闇の中の闇しか見ない。 闇の中の光を見ない。 ヨハネの福音書1章 4 この言に命があった。そしてこの命は人の光であった。 5 光はやみの中に輝いている。そして、やみはこれに勝たなかった。 あなたのような幻覚はそこいら中にあふれています。 神の聖霊が仏教、イスラム教、自分教をめぐり歩くわけないでしょ。 あなたは勘違いしてるの。 >>726 ヨハネの福音書3章 9 自分たちの父にはアブラハムがあるなどと、心の中で思ってもみるな。おまえたちに言っておく、神はこれらの石ころからでも、アブラハムの子を起すことができるのだ。 闇の中の闇の典型かもな。 創世記4章 3 日がたって、カインは地の産物を持ってきて、主に供え物とした。 4 アベルもまた、その群れのういごと肥えたものとを持ってきた。主はアベルとその供え物とを顧みられた。 5 しかしカインとその供え物とは顧みられなかったので、カインは大いに憤って、顔を伏せた。 6 そこで主はカインに言われた、「なぜあなたは憤るのですか、なぜ顔を伏せるのですか。 7 正しい事をしているのでしたら、顔をあげたらよいでしょう。もし正しい事をしていないのでしたら、罪が門口に待ち伏せています。それはあなたを慕い求めますが、あなたはそれを治めなければなりません」。 8 カインは弟アベルに言った、「さあ、野原へ行こう」。彼らが野にいたとき、カインは弟アベルに立ちかかって、これを殺した。 >>726 孤独故の人をお裁き病が過ぎて、マムシの子にならないようにね。 マタイの福音書第7章 1 人をさばくな。自分がさばかれないためである。 2 あなたがたがさばくそのさばきで、自分もさばかれ、あなたがたの量るそのはかりで、自分にも量り与えられるであろう。 3 なぜ、兄弟の目にあるちりを見ながら、自分の目にある梁を認めないのか。 4 自分の目には梁があるのに、どうして兄弟にむかって、あなたの目からちりを取らせてください、と言えようか。 5 偽善者よ、まず自分の目から梁を取りのけるがよい。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からちりを取りのけることができるだろう。 でおーも結構ひどいな。 もっとおおらかな奴かと思っていたよ。 今やピッピは宗教板では一番まともなクリだぞ。 >>730 ルカの福音書第17章 3 あなたがたは、自分で注意していなさい。もしあなたの兄弟が罪を犯すなら、彼をいさめなさい。そして悔い改めたら、ゆるしてやりなさい。 純朴なシャロンさんは騙せても かみそりピッピを騙せるとは思わないでくださいね。 ピッピ診断は出ています。 >>730 精神的に悪循環に陥っています。 そこから離脱できないと、当人にとっては大変だと思います。 死にたいと思うのですから。 >かみそりピッピ それを追求して、死にたい、 とは、そんなものより、 もっと追求すべきものがあるんでは? カインじゃあるまいし。自分と他人を痛めつける喜びだけが生きがいだとか・・・・・? 本当に追い詰められ状態の時は、いさめられないよ。 ヨハネの福音書12章 35 そこでイエスは彼らに言われた、「もうしばらくの間、光はあなたがたと一緒にここにある。光がある間に歩いて、やみに追いつかれないようにしなさい。やみの中を歩く者は、自分がどこへ行くのかわかっていない。 デオーも酷い共依存の人だよな ティキやピッピさんみたいな対象を常に欲する 部外者の思い込みとか いろんな思想のごちゃ混ぜが 的外れを引き起こしてるんですわ。 大王のあれは聖霊ではありません。 明日はマタイの日です。 もしもマタイが召されながらなおも徴税人であり続けるならば どうなっていたでしょう。 とうてい一つにはなれませんでした。 遊女も遊女をやめなければなりません。 不倫も近親相姦もやめなければなりません。 マフィアはマフィアをやめなくてはならないのです。 二人の主人に仕えることはできません。 🎈本日の『manna』雅歌 1:1-7 愛し愛される喜び 4 私を引き寄せてください。 私たちはあなたの後から急いで参ります。 王は私を奥の間に伴われました。 私たちはあなたにあって楽しみ喜び、 あなたの愛をぶどう酒にまさってほめたたえます。 あなたは心から愛されています。 (ピッピ談) なんだか私には、この詩の作者の願望のように思えてきます。 史上最多の妻を持つソロモン王の冠した詩であるがゆえの、滑稽なほど切ない渇望が、見え隠れするようなのです。 ヨハネによるマグダラとイエズスの墓の前での愛の描写も、ヨハネの妄想だったような気がしてきました。 解説からのメモ。 結婚の奥義といわれるキリストと教会の関係。 1. イエス様をもっと知りたい 2. イエス様のそばにいるが幸せ 3. イエス様の存在がすべて アンデルセンの生涯の紹介。 恋をした相手にことごとく振られ、失恋ばかり。 「私の人生は童話のように幸せでした」 「私を愛し、私を助けてくださるイエス・キリストが、いつも共にいてくださるからです」 使徒ヨハネは結婚式当日に逃げ出した花婿だったと『黄金伝説1』に書いてあります。 ヨハネの花嫁がマグダラのマリアだったといわれる説も『黄金伝説2』の中にあります。 それによればヨハネとマグダラは夫婦なのです。 取り残された花嫁のマグダラは自堕落になり、姦淫の罪を積み上げました。 『黄金伝説2』に収録されているように、マグダラのマリアは三十年もの間、洞窟に一人で引きこもり、地上から天国へ往き来する毎日を送りました。天使に体を支えられて天に昇るマグダラのマリアを近くの司祭が目撃しています。 『黄金伝説1』によるとヨハネは死んだのではなく、光に包まれて消えています。長く地上にとどまりました。 マグダラのマリアの隠遁生活もヨハネの耳に届いたことでしょう。 どんな気持ちだったか、何を想像したか、私はとても気になります。 マグダラのマリアが洞窟の三十年における無数の被昇天で、何を体験したのかは、『黄金伝説2』には詳しく書いてありませんでした。 インターネットサイトによると、天国で飲み食いしたりありとあらゆる至福を経験したそうです。 ありとあらゆるという表現が想像を掻き立てます。 少しだけ『浦島太郎』を思い出したりするのですが。 体ごとか霊だけかわからないがと断りパウロも自分の体験談を手紙で語っていますね。 それだけ判断の難しいリアリティだったのでしょう。 ただしマグダラのマリアの場合は目撃者がいます。 そのマリア・マグダレーナも体を遺して亡くなりました。ヨーロッパのある教会にはマグダレーナの遺骨が安置されています。 一度死んだ肉体が復活して天にあげられたのは、キリストの他には母のマリアしかいません。 エリヤもヨハネも死ぬことなくいなくなりましたから、肉体が復活する体験はしていません。 マグダレーナも気圧変化に対応する体ではあったのでしょうが、肉体は地上に残されました。 モーセの遺体がその後どうなっているのかわかりません。天使は天に持ち帰ってくれたでしょうか。 河野外務大臣さま また無駄な外交旅行となりましたね。 https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180921/k10011639361000.html?utm_int=news_contents_news-main_007 クアン国家主席は去年以降、公務に姿を見せない時期もあり、体調を崩しているとも言われてきましたが、ことし5月には国賓として日本を訪問したほか、今月12日には首都ハノイを訪れた河野外務大臣とも会談したばかりでした。 ベトナムの国営メディアによりますと、クアン国家主席は21日午前10時すぎ、ハノイ市内にある軍の病院で、病気のため、亡くなったということです。 念ずれば通ずは嘘。 時間が解決するも嘘。 永遠の至福の約束と永遠の罰の予告がある。 米中首脳会談の直前まで、安倍首相が何度も渡航したり電話会談したりして「すり合わせ」してきたわりに、何の進展もないほど忘れられた?拉致問題。 方策なくて無駄にうごくよりしかたないのかもしれませんが。 ロシアがまた「仲良し宣言しよっか」と提案してるけど日本はさすがにとっさの思いつきには静観ですよね。 febcの日課 テサロニケ(二) 3:8 また、だれからもパンをただでもらって食べたりはしませんでした。むしろ、だれにも負担をかけまいと、夜昼大変苦労して、働き続けたのです。 私も朝昼晩と働きました。 休みの日も半日働きました。 でも自分ために使ってしまい、お金は足らなくなり、健康を害し、障害者になりました。 クリスチャンが富を恵まれるのはその人が贅沢するためではありません。 貧しい人に分配するためです。 特別な贅沢をしているつもりはなく、アルバイトの帰りにコンビニへ寄ったり、ファミリーレストランで考え事や読書をして時間を潰してました。 私は一人が良かったのに、電話が鳴り「私も呼んで」と言われ話し込むことになり、注文が増え、これがストレス解消にもなり散財にもなりました。 東京にいた頃も同じでした。 狭い部屋にいるより外がよく、お店によく入り浸りました。 ジャンクフードなんかは腹持ちしないにもかかわらず高い。 それでも時間つぶしにはいいのでよく利用しました。 高給取りの人は金銭感覚がおかしいそうですね。 彼らの百万は庶民の一万。 私は高給取りではありませんでした。 それでも無限に千円札があるような気分になるのです。 最初に取り分けて貧しいところへ行きわたるよう寄付した方が良かったです。 気がついたら自分の必要さえ足らなくなります。 日村も大泉も ファンに手を出して ただのセフレ扱いしておいて ノリが軽すぎる。 大金渡して別れるほうがまだ誠実。 神様はあなたがたの罪をお忘れになることは 決してありません。 本日のfebcは「不安」がテーマなのでしょうか。 広田先生のお話もキシコさんの語りも思い煩いについてでした。 パウロの危ない伝道旅行… 加藤さゆりさんのお話は震えました。 その通りです。 肉眼が開かれたことではなく、神を信じるようになったことが神のみわざなのですよね。 だから肉眼が見えないままであっても 神を信じるようになれば神のみわざなのです。 不安も、取り除かれようがそのままであろうが、神を信じるようになればそれが神のみわざなのです。 誰々さんは天国へ行くはずだ、人のために祈ってきたから。 人の判断はさまざまです。 しかし 神さまの御目には、信じるか信じないかなのです。 イエズスはわたしを信じなくてもわたしのわざを信じなさいとおっしゃいました。 イエズスをとおしてなされるみわざが神のものだと信じる人は幸いです。 逆らう者は神を信じません。 神ならぬ別の神を拝んでいます。 私たちはそうではありません。 私たちは、イエズスキリストの内にいます神を拝みます。 この方をかしらとする連なりに入りましょう。 アーメンなる神に感謝しましょう。 Pope Francis @Pontifex If you want to reach the heart of God, take the way of mercy, and allow yourself to be treated with mercy. #SantaMarta 神の心に触れたければ、いつくしみの道を歩み、いつくしみをもって扱われることに自らをゆだねてください #SantaMarta #教皇 #法王 #カトリック #キリスト教 #神のいつくしみ #神の心 🎈本日の『manna』出エジプト 19:1-6 聖なる国民 3 モーセが神のみもとに上って行くと、主が山から彼を呼んで言われた。 「あなたは、こうヤコブの家に言い、イスラエルの子らに告げよ。 4 『あなたがたは、わたしがエジプトにしたこと、また、あなたがたを鷲の翼に乗せて、わたしのもとに連れて来たことを見た。 5 今、もしあなたがたが確かにわたしの声に聞き従い、わたしの契約を守るなら、あなたがたはあらゆる民族の中にあって、わたしの宝となる。全世界はわたしのものである。 6 あなたがたは、わたしにとって祭司の王国、聖なる国民(くにたみ)となる。』 これが、イスラエルの子らにあなたが語るべきことばである。」 (ピッピ談) それは第三の新月の日。過越によるエジプト脱出から7週目。新約でいえばペンテコステの時期。 新しい共同体の誕生です。 彼らは自分たちの力で国を興したのではなく、神を王として国民とさせていただき、十戒という法律を与えられ「聖なる国民」として契約しました。 http://news.livedoor.com/lite/article_detail/15342409/ 修道女レイプ容疑、ローマ・カトリック教会の司教を逮捕 インド • 2018年9月22日 10時45分 被害者の修道女は6月下旬、2014年から2016年にかけてムラッカル容疑者に13回レイプされたと告訴していた。しかしインドで最もカトリック教徒の人口が多いケララ州の警察は、9月に入るまでムラッカル容疑者の正式な取り調べを行わなかった。 >>762 インドのメディアにリークされた修道女の手紙によると、ムラッカル容疑者は「政治力と金の力を使って事件をもみ消そうとした」という。 ムラッカル容疑者はこのスキャンダル全体がカトリック教会に反対する人物による陰謀と主張。所属する「キリスト教会の宣教者会(Missionaries of Jesus Church)」の信徒らの支持を勝ち取った。 今朝の夢 「二連制の爆発解散だ」 「ば、ばくはつ?」 バルク書3章より イスラエルよ、神の家はなんと雄大で、/神の支配する領域はなんと広大なことか。 雄大で限りなく、高くて計り知れない。 そこに、背が高く、/昔から武勇で名高い巨人たちが生まれた。 しかし、神は彼らに目を留めず、/知識の道を示すこともなさらなかった。 そのため彼らは思慮に欠けて滅び、/その愚かさのゆえに滅んだ。 天に昇って知恵を捕らえ、/雲からそれを持って来た者がいるか。 海のかなたに行って知恵を見いだし、/純金でそれを手に入れた者がいるか。 知恵の道を知る者もいなければ、/知恵の小道を思い巡らす者もいない。 しかし、すべてを知る方だけが知恵を知り、/御自分の力でそれを悟り、見いだされたのだ。その方はあらゆる時代に備えて全地を整え、/それを四足の獣で満たした。 その方が光を放つと、光は走り、/ひと声命ずると、光はおののいて従う。 星はおのおの持ち場で喜びにあふれて輝き、 その方が命ずると、「ここにいます」と答え、/喜々として、自分の造り主のために光を放つ。 この方こそわたしたちの神であり、/他に比ぶべきものはない。 この方は知識の道をすべて見いだし、/それを僕ヤコブと愛するイスラエルに与えた。 その後、知恵は地上に現れ、人々の中に住んだ。 黙示録より 見よ、その方が雲に乗って来られる。すべての人の目が彼を仰ぎ見る、/ことに、彼を突き刺した者どもは。地上の諸民族は皆、彼のために嘆き悲しむ。然り、アーメン。 わたしは、すぐに来る。あなたの栄冠をだれにも奪われないように、持っているものを固く守りなさい。 勝利を得る者を、わたしの神の神殿の柱にしよう。彼はもう決して外へ出ることはない。わたしはその者の上に、わたしの神の名と、わたしの神の都、すなわち、神のもとから出て天から下って来る新しいエルサレムの名、そして、わたしの新しい名を書き記そう。 わたしは愛する者を皆、叱ったり、鍛えたりする。だから、熱心に努めよ。悔い改めよ。 勝利を得る者を、わたしは自分の座に共に座らせよう。わたしが勝利を得て、わたしの父と共にその玉座に着いたのと同じように。 エズラ3章 昔の神殿を見たことのある多くの年取った祭司、レビ人、家長たちは、この神殿の基礎が据えられるのを見て大声をあげて泣き、また多くの者が喜びの叫び声をあげた。 人々は喜びの叫び声と民の泣く声を識別することができなかった。民の叫び声は非常に大きく、遠くまで響いたからである。 コヘレト3:11 神はすべてを時宜にかなうように造り、また、永遠を思う心を人に与えられる。それでもなお、神のなさる業を始めから終りまで見極めることは許されていない。 本日のスイーツ 安納芋純生クリーム大福 LAWSON どうしてキリストじゃないんだろう… ダニエル書より その時、大天使長ミカエルが立つ。彼はお前の民の子らを守護する。その時まで、苦難が続く/国が始まって以来、かつてなかったほどの苦難が。しかし、その時には救われるであろう/お前の民、あの書に記された人々は。 多くの者が地の塵の中の眠りから目覚める。ある者は永遠の生命に入り/ある者は永久に続く恥と憎悪の的となる。 目覚めた人々は大空の光のように輝き/多くの者の救いとなった人々は/とこしえに星と輝く。 今日も不毛だった。 何もわからない。 メモ 妬みを起こすと、敵が愛され救われる これが神のみこころなのか? 妬まれた人がもっと愛されるということ。 二倍の祝福じゃないか。妬み損。 妬まれるほど恵まれて、さらに恵まれるという何という相乗効果。 >>773 イエスが出るまでの下準備、イエスの力の要素を現わしている。 >>774 自分中心の中心軸が苦しみを生む、 神を愛し深い関係から遠いのが妬み。 >>774 ヨハネの福音書第15章 1 わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。 4 わたしにつながっていなさい。そうすれば、わたしはあなたがたとつながっていよう。枝がぶどうの木につながっていなければ、自分だけでは実を結ぶことができないように、あなたがたもわたしにつながっていなければ実を結ぶことができない。 5 わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。もし人がわたしにつながっており、またわたしがその人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる。わたしから離れては、あなたがたは何一つできないからである。 6 人がわたしにつながっていないならば、枝のように外に投げすてられて枯れる。人々はそれをかき集め、火に投げ入れて、焼いてしまうのである。 ヨハネの福音書第16章 12 わたしには、あなたがたに言うべきことがまだ多くあるが、あなたがたは今はそれに堪えられない。 13 けれども真理の御霊が来る時には、あなたがたをあらゆる真理に導いてくれるであろう。それは自分から語るのではなく、その聞くところを語り、きたるべき事をあなたがたに知らせるであろう。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
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