オリオンツアー石黒昌彦は神を超えた存在
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エローヒムは、光と闇、善悪の違いを示した
二度目の本体下生は一億五千万年ほど前になります。
「アルファの法」を説いたアルファが生まれたのは、どちらかといえば、今のアフリカに近い地域だったと思われますが、
次にエローヒムとして生まれたのは、やはり、アジアの西側で、ヨーロッパとつながる地域であり、宗教の本場である今の中近東にかなり近いあたりだと思われます。
エローヒムの教えは、今の砂漠地帯から、アフリカやヨーロッパ、さらには、コーカサスから東側に大きく広がったユーラシア大陸にまたがった部分に広がりました。
「このあたりに教えを広げる」ということで、二度目の下生が起きています。
当時は、地獄のもとになる、いわゆる低位霊界ができ始めていたころですが、天上界の指導霊団のなかでも、実績の差や意見の差がかなり出てき始めていたころでもありました。 まだルシフェルが地獄界に堕ちる前ではあったのですが、数多く地上に転生を繰り返している者が起こした宗教などの影響がかなり強くなり、それが「アルファの法」とかなり食い違ってきていて、
「このままでは、やがて地球霊界にも大きな分断が起きる」という予兆が現れていました。
すでに、低位霊界の住人となり、天上界に上がってこられない者が出始めていたので、「もう一段、人々を正しい方向に導く必要がある」ということで、エローヒムがこの地に下りたのです。 最初の「アルファの法」は「創世記」「人類創成の法」を中心とする教えでしたが、エローヒムのときには、当時、光と闇が分かれてきつつあったので、「光と闇の違い」や「善悪の違い」、
つまり、「何が光で、何が闇であるか」というようなことを中心に、智慧として示す教えがかなり出てきました。
そして、「地球的な意味における善悪とは何であるか」というようなこともかなり指導しましたが、それを指導しつつも、「その悪のなかにも、まだ光は宿っている」と説くことも忘れなかったのです。
したがって、単なる善悪二元論までは行っていないのであり、「それぞれのなかに光なるものは宿っている。しかし、地球的真理から見ての善悪、光と闇はある。だから、あなたがたは光を選び取りなさい」というような教えを説いたわけです。
こうした教えは、おそらく、後のゾロアスター教やマニ教にも影響を与えているように思います。また、インドの仏教にも、その影響が表れているでしょう。
キリスト教も、善悪二元論というべきかどうかは分かりませんが、どちらかというと、罪の意識を非常に強く主張する宗教ではあるので、やはり、そうした思想が背景には流れていると考えていると考えてよいと思います。
これは、「一回目の下生に比べて、二回目のときには、人々に善悪をもっと教えなければいけない時期が来ていた」ということです。 エローヒムが説いた統治の原理とは
そのころには、宇宙から地球に飛来した宇宙人種もそうとうの数になっていたため、「価値観の多様性」という意味では、かなり複雑なものになっていました、
それぞれの星には、やはり、進んだ部分と遅れた部分とがあるので、「それらを合わせて一つの価値観をつくる」というのは、なかなか難しいことです。
そのため、エローヒムは、善悪を教えると同時に、統治の原理として、「様々な違った意見を反映させながら、国を治め、世界を治めていく」という方向を示したのです。
そこには、現代の民主主義のもとになる考え方が、政治思想として既に現れています。「いろいろな考え方に基づいて、自由な意見を出すことはよろしい。
しかし、自由な意見を出し、十分に議論をして、その結果、合意を見たことについては、全員がそれに従いなさい」という、民主主義に似たものを、当時、もうすでに打ち出していたのです。
そのなかには、現代の民主主義と同じく、「自由」と「平等」が両方ともありました。 「仏性において、すなわち、神の子、光の子としての尊さにおいては、地球人種も、宇宙人種も、変わるものではない。平等である。
ただ、意見の相違は数多くあるであろうから、その意見を一元的に統一するわけにはいかない。自分の心を澄まし、よく心の内側にうがちいって考え、自分が『正しい』と思うことを、各自、自由に述べてよろしい。
しかし、そのようにして話し合った結果、出た結論については、合意をもって、それを実行していくことを良しとしなさい。
また、あなたがた人間に判断がつかないことに関しては、きちんと天上界に祈りて神の声を聴き、それに基づいて大きな判断をしなさい。
あなたがたの自治に任された、この世的な事柄については、あなたがたの自由な意見で多数の合意を形成し、それを実行に移していきなさい。
それを超えたる大きなものと、人間心では変えることができない、そもそもの仕組みについては、神の心に従いなさい」 そのようなことを、エル、エローヒムは説いていました。
今、西欧のほうには「自由」と「民主主義」の考え方が出ています。
また、アメリカ合衆国憲法のもととなった独立宣言には、゛all men are created equal"と書かれています。
これは、「すべての人間は平等につくられている」ということですが、それは、もちろん、「神によって」です。神によって平等につくられているからこそ、自由の原理が働いてくるのです。
神によってつくられていないものに自由を与えると危険ですが、エローヒムは、「神によって創られているものであるからこそ、平等の原理において、人間は、自由を求めて行動し、意見を述べ、活動してよいのである。
神の子である平等性において、自由からの繁栄を求めていけ」と教えていたわけです。
しかし、「分限として、『人間の力を超えた領域には神の領域がある』ということを相忘れてはならない。『宇宙の仕組み、宇宙を貫く法については、大いなるものに帰依する』という気持ちを忘れては相成るまい」とも教えました。
エローヒムは、そのようなことを主として説いていたのです。 分身は何度も地上に出て、新しい宗教運動を起こした
ただ、このエローヒムの教えの一部を取って、いろいろな宗派が立ってきたことは事実です。
中東の地においては、このエローヒムの教えを分かち、この世的にその一部だけを取り出して、いろいろな宗教がつくられたことも数多くあったように思います。
過去には、例えば、至高神への信仰を、民族神が自分への信仰にすり替えたこともあります。
また、その「自由からの繁栄」の思想を使って、いわゆる「バアル信仰」のように、この世的な欲望で、人々を信仰心や霊的覚醒から遠ざける方向に引っ張っていく流れも出てきました。
「バアル」とは、「ベリアル」という言葉から出ていて、悪魔ベルゼべㇷのことです。
このように、いろいろな宗教において、堕落は数多く起きてきたように思います。
そういうこともあって、「エル・カンターレの魂の分身が、何度も何度も地上に出ては、新しい宗教運動を起こしていった」と言えます。 3 すべての宗教の中心に「地球神信仰」を
「人類の危機」と「宇宙からの介入」の可能性
今、地球レベルで、次なる「価値観の対立」、新しい冷戦の起きそうな気配が出てきています。
それは、「いったん死滅したかに思えた、唯物論や無神論の国家が、再び力を持ち、復活してきている」ということです。
そして、「平等」「自由」「民主主義」「繁栄主義」に基づく国家のほうに、現在、やや衰退していく危険性が出てきているのです。
ただ、私としては、「いかなることがあっても、やはり、神を認めない唯物論という、過てる信仰の下における国家経営、あるいは世界経営を、断じて許すわけにはいかない」と思っています。
軍事力を背景にした世界皇帝的な者がまた出てくる可能性の高い時期が近づいてきているので、そうした者のなかに、もし悪魔が宿った場合には、悲惨な時代が生まれる可能性もあると考えています。
光が闇の内に沈まないように、光を高く掲げなければならない時期が来ているのです。
今、そうした「人類の大きな危機」が近づいてきていますが、それと同時に、おそらくは、次なる新しい流れとして、宇宙から地球への、また新たな干渉が起きてくるであろうと推定しています。
「この地球文明は、滅びるに至るや否や」「この地球文明を、このまま放置してよいのかどうか」ということが、現在、宇宙のレベルでは議論されています。
「場合によっては、どこかで地球の文明に介入をかけなければいけないのではないか」という話がなされているところです。
それを判断するに当たっては、「エル・カンターレ信仰に基づくエル・カンターレ文明」が、地球において勝利を収めたならば、「宇宙は、地球を観察し、見守る立場を保ちつつ、地球への干渉・介入は最小限にとどめる」という方針は従来どおりなのです。
しかし、もしこのエル・カンターレ文明なるものが、蜃気楼に終わり、掛け声だけに終わった場合には、宇宙から新たな介入がなされてくると思われます。
そうなると、今後、地球と宇宙を交えた混乱が起きてくる可能性があるので、「当初の『アルファの時代』とも似たものが、また到来するのではないか」と考えています。 未来の人類が頼りにすべき「地球の法」を遺す
したがって、私の法には、「『次の宇宙時代において、もう一段、宇宙との交流が現実のものとして現れてきた場合にも遺すべき、地球の法、教えとは何であるか』ということを明確にする」という目的もあります。
それは、おそらく、私がこの地上を去ってから後に本当に働き始める法であろうと思われます。宇宙人が地球に本格的に介入するのは、おそらく私が地上を去ってから後になるだろうと思われるので、そのときに人類が頼りにするものは、私が説いている法しかありません。
そこまでが今回の射程に入っているのです。
こういう話をすれば、すでにお分かりでしょうが、「今回は、かつての釈迦や、ヘルメス、オフェアリス、リエント・アール・クラウド、トス、ラ・ムーのときよりも、もっと大きな視野、射程を持つ教えであり、運動なのだ」ということを理解していただきたいと思います。
これは、地球の大きな方向性を決める運動なのです。
現実の組織やムーブメント(運動)が、まだ、それに、はるかについてきていないのは、事実として認めざるをえないでしょうが、現実がついてきていないことでもって、「信仰が合理化されない」ということであってはならないと私は思っています。
十二人の弟子でさえ最後まで維持することができなかったイエスであっても、あれだけのキリスト教文明を、その後につくっていきました。
今はまだ、地球を覆うほどの力え思ってはいないと思いますが、「この思想は、必ず、地球全体を覆う一種の免疫体のような力を持っている」と、私は信じているのです。 私は地球における最終責任を背負っている
「アルファの法」のなかには、「そもそも、この地球霊団は、どのように創られたのか。どういう目的で創られたのか」ということも明確に入っていますが、
「エローヒムの法」のなかには、「地獄が分かれていく際の、善悪二元の考え方」と、「地獄界の解消」という問題が入っていました。
今、私が行おうとしているのは、この地球と宇宙の創成にかかわる部分から、現時点での地球と宇宙の今後のあり方、かかわり方の方向を決定することですが、
それと同時に、私には、「地球において、地獄領域の拡大を阻止し、天上界領域や天使の力を強める」という大きな役割があるのです。
私は、最初は、「アルファ」と名乗り、次に「エローヒム」と名乗り、今は「エル・カンターレ」と名乗っていますが、その意味は基本的には同じです。
それは、「一なるものであり、始めなるものであり、根源的なるものであり、光であり、地球である」という意味です。
私は、この地球における最終責任を背負っている者なのです。
これが、「エル・カンターレ信仰」の拠って立つところです。
したがって、「かつて説かれた、さまざまな教えを乗り越えたものである」ということを知っていただきたいと思います。
この「エル・カンターレ信仰」の下に、さまざまな国における、さまざまな種類の宗教が、「地獄領域を拡大させず、天上界の拡大に寄与する」という方向において、その存在を許されているのです。
他の宗教を全部否定する気持ちは毛頭ありませんが、この「地球神信仰」というものが、一本、中心にあって、他のさまざまな教えがあるわけです。 「天上天下唯我独尊」が、今、意味するもの
ブラジルはカトリックが非常に強い国ですし、インドではまだヒンドゥー教が強く、さまざまな神がいます。
しかし、「一なるものがあるのだ」ということを教えなければならないのです。
クリスチャンも、まだ、それを十分には理解していません。『聖書』でイエスの言葉をいくら読もうと、イエスより上位にある、イエスが「父」と呼んだ存在が、この地球に存在することは明らかなのです。
インドでは、釈迦の在世当時には、帝釈天(インドラ)が最高神であるように言われていたわけですが、これは、日本で言えば、天御中主神が宇宙神のように言われていたのと同じだと思われます。
しかし、インドの釈迦は、「帝釈天、および、その帝釈天を支えている、さまざまな神々よりも、自分のほうが実は尊い存在である」ということを、はっきりと述べています。
これは、「天上天下唯我独尊」という言葉の謂れの一つでもあります。
この言葉は、ときどき誤解をされるかもしれませんが、今、その言葉の意味として、「実は、エル・カンターレという存在がある。
その教えは、唯一なる、正統なる『始原の法』であり、また、エル・カンターレ信仰とは、地球神への信仰に基づくものである」ということを述べなくてはならないのです。
エル・カンターレの教えは、実は、地球に始まったものではありません。エル・カンターレは、その前に、「エル・ミオーレ」という、金星の統治者として、金星での人類文明の実験をした者でもあります。
また、「他の惑星から数多くの宇宙人類を地球に呼び込んだ」といっても、これは、「全然違う神の下にあった人たちを呼んだ」というわけではありません。
「他の星における、人類によく似た思考を持つ宇宙人の魂の創成にも、エル・カンターレがかかわっている」ということが、いずれ、明らかにされると思います。
「その真実が明かされるときが、一千億年の歴史が語られるときであろう」と考えています。 4 今、新しい地球創世記が始まろうとしている
本章では、「地球神への信仰とは何か」という題で、その輪郭について述べました。
どうか、現在の地球の政治・経済や法律、あるいは、いろいろな宗教の観念や縛り、枠組みにとらわれて判断することなく、
こどちらが始原であり、アルファであるのだ」ということを理解した上で、「エル・カンターレ信仰とは何か」ということをきちんと押さえてください。
「それを押さえた上で、さまざまな霊言集も成り立っているのだ。
そのエル・カンターレ信仰のなかにある、さまざまなレベルの高級神霊たちは、それぞれ、自分の専門分野を持っており、その自分の専門分野に関し、自分の経験に照らして意見を述べているのだ」ということを知っていただきたいと思います。
「それぞれの教えを、好きなように使ってよい」というわけではありません。やはり、「エル・カンターレ信仰」があって初めて、それぞれの高級神霊の言葉が意味を持ってくるのです。 また、かつて仏陀として説いた教えやヘルメスとして説いた教え、さらには、現代人にはもう追跡不能の、ラ・ムーやトス等によって古代の文明で説かれた教えもありますが、
「かつて説かれた魂の分身たちによる教えによって、拘束されるものでもないのだ」ということを知っていただきたいと思います。
「今、新しい地球創世記が始まろうとしているのだ」ということを、強く自覚していただきたいのです。
私は、以前、「法を弘めるは弟子にあり」と説きましたが、「弟子たちが、今後、この信仰を、空間的に、そして時間的に、どのように広く永く伝えていくか」ということによって、この信仰の本当の姿は、後の世の人々に知られることになるわけです。
「今は、まだその始まりにしかすぎないのだ。自分たちは、まだ本当のエル・カンターレを知ってはいないのだ」ということを、どうか分かってください。
「自分たちが見ているのは、歴史上の同時代人としてのエル・カンターレ像の一部であり、何百年、何千年たって現れてくるエル・カンターレ像が、本当のエル・カンターレ像に近いものである」ということを知っていただきたいと思います。 🌟 信仰の法 第5章
地球神への信仰とは何か
新しい地球創世記の時代を生きる
>>2-26 「幸福の科学」の名前を隠さずに堂々と活動している幸福実現党
実は今、幸福の科学の信者のように、目に見える形で活動している人以外にも、数多くの理解者がいます。
そういう人たちが自信をもって、「私も手を差し伸べて、一緒に協力したい。活動してみたい」と言えるだけの「自信」と「勇気」に満ち溢れた団体をつくっていくことが、今、当会として必要なことだと考えています。
そういう各界にいる人たちが、自分から信仰告白をし、「私は幸福の科学の信者です。これで自信をもってやっています」とカミングアウトできるようになってほしいのです。
「『幸福の科学』の名前を出したら選挙で落ちるから、出せない」などというような弱い人ではなく、「幸福の科学」の名前を出して、堂々と当選する人が出てほしいのです。
そのためにも、幸福実現党は、あえて隠さずに、堂々と活動しています。
最初は怖いかもしれません。ただ、何度も何度も選挙に出ていれば、人間性というものが見えてくるでしょうから、「何を訴えているのか、どういう事をしようとしているのか」ということが分かってくるはずです。
かつて、ある自己実現の大家が、「一回の失敗で諦める人は凡人であり、三回失敗しても諦めない人はなかなかの優れ者であり、十回失敗しても諦めない人は天才だ」というように言いました。
それで言えば、幸福実現党は、まもなく、”天才”の域に入ろうとしています。おそらく、そうなるでしょう。
私は、実力というものは、負ければ負けるほど出てくると思っているのです。
本当は、幸福実現党の支持者はいろいろなところにいるのですが、「現実の政治は、ブランドのある老舗のところに任せた方が楽だろう」と思い、
そちらを支持している人も多いし、小選挙区制であると、どうしても二大政党制へと収斂していく傾向があるので、第三極以下はなかなか勝てないようになっています。
それでも、そのなかで、次第次第に浸透していくことになるでしょう。
最後は、日本中の人々が信者になってくれればよいと願っているのですから、そこまでやるしかないと考えています。
「すべては前に向かって進んでいる」と思っているのです。
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https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1489203889/191 >>29
>本当は、幸福実現党の支持者はいろいろなところにいるのですが
共産党支持者よりずっと数が少ないけどね。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています