【イエス】 私たちは神に愛されています 【キリスト】 Part.11
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私たちが既に受けた神様の愛と恵みについて話し合い、
神様を讃美いたしましょう。
わたしたちが神を愛したのではなく、
神がわたしたちを愛して下さって、
わたしたちの罪のためにあがないの供え物として、
御子をおつかわしになった。ここに愛がある。
1ヨハネ 4:10
ところが、主が言われた、
「わたしの恵みはあなたに対して十分である。
わたしの力は弱いところに完全にあらわれる」。
それだから、キリストの力がわたしに宿るように、
むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう。
2コリント 12:9
.
※前スレ
http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1526273157/ そういえば、前スレのcoin さんに返信するのん
書いてなかったわ‼✨👰
是非、修正もしてみるね😃
ありがとう😉👍🎶感謝です🎵 キリスト教で言うと、ただ祈る。
祈りに身を委ねる感じですか。 >>302
おまいの未熟がグルグルパンチしてくる限り、ワンパンでボコしてあげるよ
俺はいつでも成長したおまいが喧嘩売ってくるのを受け入れるでw
ただし、成長せんから>>302みたいなことをのたまうわけで、スルーして放置プレイしてリアクションに(・∀・)ニヤニヤするのもやぶさかではないw あ、聖霊についてペンテコの人より知らない人がキタw >>303 >>304
お前ら明日は遠出で早いんだろ
さっさと寝ろ 火の洗礼は煉獄の炎ではないと思います
煉獄の炎は内的なものなので
良心の呵責だと思うのです
火の中に投げ込まれるのではありません >>309
連想ゲームじゃなくて、守護天使に聞いてください
連想ゲーム続けても創造主=曹洞宗とかいってる人とやってることは変わりません なるみさんは陰謀論好きだったりトランプ好きだったりしますけど、真理に対するセンサーが発達してないんじゃないかな、と思いました
これが正しい、これは間違い、みたいな直感はそのセンサーを育てないと精度が上がりません
自己の良心と語らう時間を待てば精度が上がると思ってて、大道であるキリスト教でいうところの悔い改めがそれにあたるかと >>315
大海と葉っぱから零れ落ちる一雫は違いますな リンゴおじさんはフツーの会話のときにはフツーの人のいいおじさんなのに
キリスト教や神学の話題になると常軌を逸した独善的狂信者になるよね
対話も常識もまったく通用しなくなる
元々頭おかしいなら単にリンゴおじさんの個人的な問題で済むんだけど
俺にはどうしても人をこんなふうにさせてしまう要素が聖書あるいはキリスト教にあると思えて仕方がない
読み方によってはいくらでも人を狂信に追い込む何かがあるんだろうと
俺は宗教、特に一神教の持つ排他性・独善性が一神教の歴史的な暴力の根源にあると考えているんだけど
リンゴおじさんはまさにそれを体現してるんだよね
言論の自由、信教の自由はそんなキリスト教社会が血で血を洗う争いの中から
ようやく掴みだした暴力を乗り越えるための現実的な知恵なのに
リンゴおじさんはそれを真っ向から否定する
シャロンさんがそんなリンゴおじさんを諫めるどころか支持してさえしまうのは
背後にキリスト教の独善性・排他性が潜んでいると思わざるを得ない
自分の考えとは異なっていてもそれを暴力的に圧殺しようとする行為が許されていいわけがない
如何にリンゴおじさんが篤信家であろうと、あるいはスレを汚濁から守るつもりであろうと
言論の価値を否定するリンゴおじさんを支持していい道理は一切ない ペテロT 3:20
箱舟に乗り込み、水を経て救われたのは、8名だけだった
この水はバプテスマを象徴するものであって、今やあなたがたをも救うのである。
ペテロは水の洗礼をノアの洪水にたとえています。
また、再臨の時に世界を覆うのは、水ではなく火であるともいってますね。
これが火の洗礼ですよ。 リンゴおじさんの狂気は形而上の事柄を扱う構造に問題があると思ってる
これはキリスト教に限らず、全ての宗教に言えることだと考えているけど、一神教がそれを生みやすい、という点には同意する
一神教の排他性・独善性に関しては、キリスト教に限らずコミュニティが持つ性質、所有と境界において働くものだと考えているけど、一神教なそれを生みやすい、という点にも同意する
信教の自由に関してはカトリックはわざわざ第二バチカンで項目を設けて認める、と語っている
これはひっくり返すと、認めなかった負の歴史があるからだろう
一神教の陥りやすい性質はキリストの教えから生まれているわけではなく、逆の事柄をキリストは教えているが、政治と経済がそれを台無しにする
2000年に行われた教皇の悔い改めの際の手の震えは、取り返しのつかない人間組織の罪深さのせいなのか、それとも政治を巡る恐怖なのか、強制的にか語らされたことへの義憤なのか、なんなのかは分からない
願わくば、取り返しのつかない罪深さのせいでありますように 屁のカッパさんはわたしの悪口を書く暇あったら過ちを素直に認めましょうね >>318
同じ月を映しても大海は大海で、一雫は一雫です >>322
衆生本来仏なり
オンリーワンです
あなたにはわからないかもしれませんが。 >>323
オンリーワンも大海に治れば、存在性の梯子を登り、オンリーワンと語っていたものが何でもなかったことを知ります >>324
大海になろうとするのが苦はじまりです。
何かになろうとする事を完全に放棄した時、
元々大海であったと悟ります。 >>325
大海であった、と喋れるのは一雫に戻った時です
存在性の梯子を登った時は大海になるので、そんなことは喋りません
また、大海になろうとしてももちろんなれません
これもまた、大海になった時に大海の存在性から知ることです うん、今まで通り頑張るよ
ようするに、言いたいことは
なんちゃって仏教徒は神的存在への畏敬が足りない
これもまた一つのフハハハである 暗い暗いと不平を言うよりも、 すすんであかりをつけましょうw マタイ3章を注意して読めば
聖霊と火のバプテスマが 一つではなく、 二つのバプテスマをさしていること
火のバプテスマはキリストを拒否する人たちに向けられたものであることがわかります。
バプテスマは、つける、浸す行為です。投げ込むと言ってもいいでしょう
火のバプテスマは火に投げ込むこと。
火と水は相克関係にあります
キリストが水の洗礼を受けた時に聖霊が鳩のように下ってきました
水と聖霊のふたつのバプテスマを受けたのです。
「水と霊によって生まれなければ神の国を見ることはできません」
なぜ、「火と霊」といわなかったのでしょうか
火は水を打ち消してしまうし、 そもそも、火は悔い改めない人への裁きを象徴します。
水の洗礼によって悔い改めを経験した信徒に火は不要ですよね。
ペテロT 3:20 「箱舟に乗り込み、水を経て救われたのは、8名だけだった
この水はバプテスマを象徴するものであって、今やあなたがたをも救うのである。 」
ペテロは水の洗礼をノアの洪水にたとえています。
また、再臨の時に世界を覆うのは、水ではなく火であるともいってますね。
「第U 3:10
しかし、主の日は盗人のように襲って来る。
その日には、天は大音響をたてて消え去り、天体は焼けてくずれ、
地とその上に造り出されたものも、みな焼きつくされるであろう。」
これが火の洗礼ですよ。 >>331
暗さは執着からくる
執着に身を委ねると「暗いまま」が持続する
あるがまま、で居られるのはそれを卒業した人だけだと思われw >>334
よく言われるw
(連投規制で回線変えた)
おやすみなさいませ >>303さんへ
どういたしまして。
貴女がその先の良き事に向かい歩みを進まれる事を願って心より御祈り申し上げます。
"芽吹く葉に 命輝き その新緑(みどり) そよ風揺れゆき 心煌めく" >>317
逆に排他性無しにキリスト教が存続できるとは
思えません✨👰
他存在や神を認めたらキリスト教ではなくなります✨⭐
排他性はキリスト教の存在が、掛かった真剣さかもね⭐。😸
多神教はそれぞれのんがそれぞれの守り手なので他の存在や神をそれぞれの守り手として認めれる。😸
多神教を認めれるとキリスト教ではなくなりますからかなかな⁉✨ >>317
シャロン姫👸は 実際にリンゴ🍎皇子と逢って
信頼と好感を持っていますので
心や感情が優先されての応援📣と思います✨👰 >>343
訂正
他の存在や他の神を認めたらキリスト教ではなくなりますのではないでしょうか✨⭐ >>332
違います。火の洗礼とは
マタイ
3:11わたしは悔改めのために、水でおまえたちにバプテスマを授けている。
しかし、わたしのあとから来る人はわたしよりも力のあるかたで、
わたしはそのくつをぬがせてあげる値うちもない。
このかたは、『聖霊と火』とによっておまえたちにバプテスマをお授けになるであろう。
3:12また、箕を手に持って、打ち場の麦をふるい分け、麦は倉に納め、
からは消えない火で焼き捨てるであろう」。
マルコ
1:8わたしは水でバプテスマを授けたが、
このかたは、聖霊によってバプテスマをお授けになるであろう」。
9:49人はすべて火で塩づけられねばならない。
9:50塩はよいものである。しかし、もしその塩の味がぬけたら、
何によってその味が取りもどされようか。あなたがた自身の内に塩を持ちなさい。
ルカ
3:16そこでヨハネはみんなの者にむかって言った、
「わたしは水でおまえたちにバプテスマを授けるが、
わたしよりも力のあるかたが、おいでになる。
わたしには、そのくつのひもを解く値うちもない。
このかたは、聖霊と火とによっておまえたちにバプテスマをお授けになるであろう。
3:17また、箕を手に持って、打ち場の麦をふるい分け、麦は倉に納め、
からは消えない火で焼き捨てるであろう
ヨハネ
1:31わたしはこのかたを知らなかった。しかし、このかたがイスラエルに現れてくだ
さるそのことのために、わたしはきて、水でバプテスマを授けているのである」。
1:32ヨハネはまたあかしをして言った、「わたしは、御霊がはとのように天から下っ
て、彼の上にとどまるのを見た。 1:33わたしはこの人を知らなかった。
しかし、水でバプテスマを授けるようにと、わたしをおつかわしになったそのかたが、
わたしに言われた、『ある人の上に、御霊が下ってとどまるのを見たら、その人こそは
、御霊によってバプテスマを授けるかたである』。 1:34わたしはそれを見たので、
このかたこそ神の子であると、あかしをしたのである」。
そして、互に和らぎなさい
ヨハネは水でバプテスマを
イエスは聖霊と火とでバプテスマをされるのである。
聖霊と火とはセットです。同時です お、美魔女がずいぶんまともになってるような気が
>>343
宗教は程度の差はあれ、それぞれに絶対的な真理を標榜するから
その意味ではキリスト教のみならず、一般に宗教には排他性・独善性があると言っていいね
でもそこで書いた排他性や独善性っていうのはそういった次元の排他性・独善性ではなく
他者の信仰を許容しない、という意味での排他性ね
キリスト教(一神教)は特に絶対的真理・排他的真理を強く打ち出す宗教だから
当然内部的に他の神を認めることはない
俺が問題にしているのはそういう内部的な排他性ではなく、対他的な排他性
他者の信仰やその表出、他者の言論の自由を排斥する排他性
リンゴおじさんが自分の信仰の絶対的真理性を確信し、それを表明するのはいっこうにかまわない
その信仰から神学論争は止めろと訴えることすら構わない
そう主張するだけなら他者の言論や反論を排斥することにはならないから
だがリンゴおじさんがやっていることは、他者の信仰や言論を物理的に妨害しようとすること
公開の掲示板なので他者の発言を物理的に追い出すことができないだけで
大量のコピペによって物理的排斥に代替しているだけ、しかも意図をもってやってるわけ
これはスターリンやヒトラーの言論弾圧と本質は何ら変わらない
>>345
すばらしい!他者の立場に立って、その背景や感情にまで配慮して書き込んでるね
たしかに美魔女の言うとおりだと俺も思う
だけど上に書いたように、問題は感情的な次元を超えた、いわば言論の自由という
現代社会に暮らす人が共通に順守しなければならない基本原理に関すること
バハムーチョ君のアイラブ朝鮮ブログ垂れ流しとかとは訳が違う
バハムーチョ君はしょーもない怨念や悪口を垂れ流しても
他者の言論を排斥することはない(たとえその行為が結果的に一部の人には荒らしと映っても)
シャロンさんの主観にとっては、聖句をコピペするリンゴおじさんより
バハムーチョ君のほうが何倍も酷い荒らしに見えるはずだが
客観的な本質は全く逆で、というか次元が別で、リンゴおじさんの行為はあってはならない行為なの
俺はそこのところをシャロンさんにも冷静にできるだけ客観的に判断してほしいと思ってるわけね
こういった原理原則の部分では日和ってほしくないわけね >>349
おはよう。atheist君、それはどうかな。宗教は程度の差はあれというが、
イエス・キリストの御名がある限り、全能の神、完全者、聖なる神という
絶対的な真理を標榜するわけですよ。
その意味では、イエス・キリストの真理を守るために、
ヤハウエの御名のために、一般に宗教には排他性・独善性があるのは必然的ですよ。
君が言うことの排他性や独善性っていうのはそういった次元の排他性・独善性ではなく
他者の信仰を許容しない、という意味での排他性はパウロが手紙で厳しく警告してますよ。
キリスト教(一神教)は特に絶対的真理・排他的真理を強く打ち出す宗教というより、
内部的に他の神を認めることは出来ないでしょう。
なぜなら、聖なる神だから、俗は受け付けない。神聖を侵すなです。
atheist君が問題にしているのはそういう内部的な排他性ではなく、対他的な排他性
他者の信仰やその表出、他者の言論の自由を排斥する排他性を論じるのは、
ヤハウエ神の全能、完全者、特に「聖なる神」を知らないからです。
君が自分の意見を確信し、それを表明するのはいっこうにかまわない
その点から君の言論は止めろとは言わない。
そう主張するだけなら他者の言論や反論を排斥することにはならないが、
だがatheist君がやっていることは、イエス・キリストの全能性、完全性、
聖なる神の性質を妨害しようとすることですよ。 >>349
感情的な次元を超えた、いわば言論の自由という
現代社会に暮らす人が共通に順守しなければならない基本原理以前に、
atheist君は、聖なる神の全能性を軽んじてますよ。
さくらやバハムーチョのアイラブ朝鮮ブログ垂れ流し、
バハムーチョのはしょーもない怨念や悪口を垂れ流しては、
イエス・キリストの真理に関する神学論争ではありません。
シャロンさんの主観にとってではなく、聖句をコピペは、
イエス・キリストの神聖を守るため。
バハムーチョ君のほうが何倍も酷い荒らしに見えるはずだが
客観的な本質は全く逆で、というか次元が別で、atheist君や、
神学論争する者たちの行為は、イエス・キリストの御名の元、
あってはならない行為なの
わたしはそこのところを君たちににも冷静にできるだけ
客観的に判断してほしいと思ってるわけですよ。
イエス・キリストの御名、信仰原理原則の部分では日和ってほしくないわけです。 >>349
最近の美魔女さんは、大王さんにもdp9さんにもはっきりとした気遣いを見せているし、
もっと以前から、まちこさんにもシャロンさんにも気遣いを見せてたよ。
人の心が読める人、ネットではレスの行間が読める人なのは確かだろうと思う。
特に「人の寂しさ」を敏感に感じるセンスは強いと思うよ。
もともと、心が優しい人なんだろうね。
まあ、ヨハネスさんのお気に入りだからw とはいえ、美魔女は貧乳なのですから、既に鯖枯れています。
だれも、リンゴ君でさえ92Fの前にクリスチャン的信仰を見出すほどなのです。 リンゴ君は、チョーへたくそな与奪戦法(相手の議論の骨格を盗んで相手を斬り返す)を
常とするので今回も汗椅子徒くんへ、チョー下手与奪戦法で臨んでいるわけですが、
それはともかくとして(論じるまでもなくリンゴ君の間違い)
リンゴ君はかわいそーな人なんです。
チョーあほな人格で神を信ずるあまり、教会からはみだして追い出され
2chで女とみるやだれであれ見境なくすり寄るという変態さんなんです。
シャロンさん、まちこさん、プリティさん、美魔女さん、dp9さん
だれでもいいのです。なんと間口の広いことでしょうか。
そんなりんご君でもシャロンさんにとっては、ただひとりの信仰のお友達で
シャロンさんを否定しない信仰の友なのです。リンゴ君が荒らしても
すれっどを護る王子様なのです。 >>355
豊乳ブラで世間を騙せても、神を偽ることはできないのです。 >>350
おはようございます、リンゴおじさん
時間がないので簡潔にすましますが、ご容赦ください
> 他者の信仰を許容しない、という意味での排他性はパウロが手紙で厳しく警告してますよ。
であれば、そのパウロの言葉に従って他者の信仰(議論)を許容してください
> だがatheist君がやっていることは、イエス・キリストの全能性、完全性、
> 聖なる神の性質を妨害しようとすることですよ。
全能・完全であれば、妨害しようにもできません
> 神学論争する者たちの行為は、イエス・キリストの御名の元、
> あってはならない行為なの
それはリンゴおじさんと考え・信仰を同じくする人たちの間だけで通用することです
そういう人たちだけを集めた私的掲示板でリンゴおじさんがその戒律を貫くのは自由です
しかしここにはリンゴおじさんとは異なった考え・信仰の人たちがいます
そしてここは公開の掲示板で、憲法で保障された言論の自由が担保される場所なのです
ですから神学論争も自由です
リンゴおじさんにそれを止める権利はありません >>352
それは気付きませんでした
俺の落ち度です みんな他人の事は良く見えるんです。
でも、これは自己究明の妨げになる。
自己からの逃避です。
あくまでも自己とはなにか。 >>356
シャロンさんにとっての王子様であることは了解しました
でも言論の自由はやはり守るべきものだと思いますし
シャロンさんにもその価値観を共有してもらいたいと願います
ではまた夜にでも マタイ3章を読むと、聖霊と火のバプテスマが 一つではなく、 二つのバプテスマをさしていること
火のバプテスマはキリストを拒否する人たちに向けられたものであることがわかります。
バプテスマは、つける、浸す行為です。
水の洗礼が悔い改めた信者を水につける行為なら、
火のバプテスマは悔い改めない悪人たちを火で燃やす行為です。
キリストが水の洗礼を受けた時に聖霊が鳩のように下ってきました
水と聖霊のふたつのバプテスマは同時に受けるということです。
「水と霊によって生まれなければ神の国を見ることはできません」
なぜ、「火と霊」といわなかったのでしょうか 。
火は水を打ち消してしまうし、 そもそも、悔い改めない人への裁きを象徴します。
水と御霊の洗礼によって神の国を見るに至った信徒に火の洗礼は不要ってことです。
ペテロT 3:20 「箱舟に乗り込み、水を経て救われたのは、8名だけだった
この水はバプテスマを象徴するものであって、今やあなたがたをも救うのである。 」
ペテロは水の洗礼をノアの洪水にたとえています。
また、再臨の時に世界を覆うのは、水ではなく火であるとも。
「手紙U 3:7 今の天と地とは、同じ御言によって保存され、不信仰な人々がさばかれ、
滅ぼさるべき日に火で焼かれる時まで、そのまま保たれている。
3:10 主の日は盗人のように襲って来る。その日には、天は大音響をたてて消え去り、
天体は焼けてくずれ、地とその上に造り出されたものも、みな焼きつくされる。」
これが火の洗礼です おはようございます。
あのう、昨日は本当にすみませんでしたm(_ _)m
挨拶の一言がいただけなかったというだけで、頭に血が上ってしまっていたようです。
許していただけないかもしれませんが、一言お詫びがしたくて来ました。
皆さんへの数々のご無礼、本当に申し訳ありませんm(_ _)m 美魔女より上に立ってどうこう評価する態度がキモいわ >>364
おっぱいに免じて許します。
男性陣は全員許します。 >>358
> 他者の信仰を許容しない、という意味での排他性はパウロが手紙で厳しく警告してますよ。
☆パウロの言葉に従って他者の信仰(議論)を許容してくださいとはならないですよ。
☆パウロの手紙に従うならば、atheistおじさんの好きな神学論争は許容できないのです。
>☆ だがatheist君がやっていることは、イエス・キリストの全能性、完全性、
>☆ 聖なる神の性質を妨害しようとすることですよ。
>全能・完全であれば、妨害しようにもできません
> ☆神学論争する者たちの行為は、イエス・キリストの御名の元、
> ☆あってはならない行為なの
>それはリンゴおじさんと考え・信仰を同じくする人たちの間だけで通用することです
>そういう人たちだけを集めた私的掲示板でリンゴおじさんがその戒律を貫くのは自由です
>しかしここにはリンゴおじさんとは異なった考え・信仰の人たちがいます
☆イエス・キリストの御名がある限り、それは出来ません。
シャロンのスレというタイトルならば、君の言うようなことでいいでしょう。
>そしてここは公開の掲示板で、憲法で保障された言論の自由が担保される場所なのです
ですから神学論争も自由です
☆イエス・キリストの御名の元、憲法で保障された言論の自由より、
神の律法が勝ります。
ですから、神学論争はやめなさい。 >>353
貧乳は謙虚です。貧乳は自慢せず、高慢になりません。
貧乳は着物が似合い、モードファッションが似合います。またアスリートに向いています。
貧乳は肩こりが少なく、アセモになりません。
ボディソープが少なくて済み、環境を守り、命を守ります。
満員電車のスペースを独占せず、狭い隙間で耐え忍びます。
貧乳は決して垂れることがありません。 >>366
ありがとうございますm(_ _)m
もう垂れ始めてるかもしれませんが、スペックだけで評価していただいていることに感謝いたします。 >>3t8
イエス・キリストが王子ということですよ。ただ、
イエス・キリストは、ご自身を信じる者たちに
キリストご自身を現されるので、わたしやクリスチャンたちも
王子とも言えます。
さて、聖書のみことばです。
「不信者と、つり合わないくびきを共にしてはいけません。
義と不義となんの係わりがありますか。
光とやみとなんの交わりがありますか。キリストとベリアルとなんの調和がありますか。
信仰と不信仰となんの関係がありますか。
神の宮と偶像となんの一致がありますか。わたしたちは、生ける神の神殿です。
神がこう仰せになっています、
『わたしは彼らの間に住み、 かつ出入りをするであろう。
そして、わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となるであろう』。
だから、『彼らの間から出て行き、彼らと分離せよ、とヤハウエは言われる。
そして、汚れたものに触れてはならない。触れなければ、わたしはあなたがたを受けいれよう。
そしてわたしは、あなたがたの父となり、あなたがたは、
わたしのむすこ、むすめとなるであろう。全能のヤハウエが、こう言われる』。」 >>362
イエス・キリストが王子ということですよ。ただ、
イエス・キリストは、ご自身を信じる者たちに
キリストご自身を現されるので、わたしやクリスチャンたちも
すべて王子とも言えます。
さて、聖書のみことばです。
「不信者と、つり合わないくびきを共にしてはいけません。
義と不義となんの係わりがありますか。
光とやみとなんの交わりがありますか。キリストとベリアルとなんの調和がありますか。
信仰と不信仰となんの関係がありますか。
神の宮と偶像となんの一致がありますか。わたしたちは、生ける神の神殿です。
神がこう仰せになっています、
『わたしは彼らの間に住み、 かつ出入りをするであろう。
そして、わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となるであろう』。
だから、『彼らの間から出て行き、彼らと分離せよ、とヤハウエは言われる。
そして、汚れたものに触れてはならない。触れなければ、わたしはあなたがたを受けいれよう。
そしてわたしは、あなたがたの父となり、あなたがたは、
わたしのむすこ、むすめとなるであろう。全能のヤハウエが、こう言われる』。」 ではどうして、王子様のリンゴ君が
キリスト教界から出ることになったのですか?
そして教会の主日礼拝に出て、信徒の交わりを持てないのですか?
ノン栗の私でさえ、主日の教会に招かれますよ。
そして愛餐会にお呼ばれします。 >>360
美魔女さんは大阪の人だし、上沼恵美子キャラに近かったからw
吉本新喜劇文化圏の人でなきゃ、わからない空気はあったと思うw パウロは、教会をキリストの体と言ってますよ
王子様のリンゴ君は、キリストの体である教会から切り離され
棄てらた垢のようなものですよ。
キリストのからだである教会の交わりの外にいていいのですか?
根拠を聖句からどうぞ 吉本新喜劇文化圏の人であり、上沼の番組をよく見るが
美魔女の豊胸カップをわたしは赦せんぞ。
貧乳を背負って生きるべきだ atheist君は、確か自分で証していたように、
父親と生き別れ、母だけに育てられた。
だからマザコンなのもわかる。しかも、
彼は、わがままです。父の厳しさを知らないから。
クリスチャンたちには、イエスがご自身を現されるのです。
イエスは、父なる神の現れ、そして、リンゴにイエスが顕現した。
わたしは、イエスの現れです。だから、父なる神の性質があります。
atheist君は、わたしが厳しく見えた。
なぜなら、彼は、父の厳しさを知らないで育ったから。
彼は、リンゴに反発してるのでなく、イエス様と父なる神に
だだっ子になっているのです。 >>373>>375
君は、カトリーカを語ってます。神の召しを受けた者たちの集まり、
エクレシアを知るならば、そんな戯言は言わないでしょう。
パウロは、世界を旅し、教会にいつも
出てたわけではありません。クリスチャンたちの体が神殿です。
ですから、どこにいてもイエス様を賛美できます。 atheist君は、あー見えてもけっこうな
だだっ子だからね。(^_^)/~~ 教会から切り離され棄てらた垢のようなのは暇人も同じ >>376
豊胸カップはね・・・
敬虔なクリスチャンが聖書の豆本を、肌身離さず身につけておくために開発した「装備」なんだよ?
現代では一般的に、身分証明書や印鑑を入れておくための装備になったけどさ。
大阪ではオバチャンが、飴ちゃんと呼ばれる交渉の切り札を入れておくための装備であり、
戦場では心臓付近を守る鉄板と、最後の切り札になるデリンジャーを忍ばせておく装備なんだ。
そういうことを、しみじみとわかれw 水と霊と火のバプテスマ
マタイ3章を読むと、聖霊と火のバプテスマが 一つではなく、 二つのバプテスマをさしていること
火のバプテスマはキリストを拒否する人たちに向けられたものであることがわかります。
バプテスマは、つける、浸す行為です。
水の洗礼が悔い改めた信者を水につける行為なら、
火のバプテスマは悔い改めない悪人たちを火で燃やす行為です。
キリストが水の洗礼を受けた時に聖霊が鳩のように下ってきました
主は水と聖霊のふたつのバプテスマを同時に受けたということです。
弟子たちはペンテコステに受けました。
「水と霊によって生まれなければ神の国を見ることはできません」
なぜ、「火と霊」といわなかったのでしょうか 。
火は水を打ち消してしまうし、 そもそも、悔い改めない人への裁きを象徴します。
水と御霊の洗礼によって神の国を見るに至った信徒に火の洗礼は不要ってことです。
ペテロT 3:20 「箱舟に乗り込み、水を経て救われたのは、8名だけだった
この水はバプテスマを象徴するものであって、今やあなたがたをも救うのである。 」
ペテロは水の洗礼をノアの洪水にたとえています。
また、再臨の時に世界を覆うのは、水ではなく火であると言ってます。
「手紙U 3 前の天地は水で滅んだ。 今の天と地とは、同じ御言によって保存れ、不信仰な人々が裁かれ、滅ぼさるべき日に火で焼かれる時まで保たれている」
「主の日は盗人のように来る。その日には、天は大音響をたてて消え去り、
天体は焼けくずれ、地とその上に造り出されたものも、みな焼きつくされる」
これが火の洗礼です。暇人に騙されないでください。この人は悔い改めていません。羊の皮をかぶる悪党です 悔い改めのない者が投げ込まれるというのは
死んでからの、地獄のイメージから来ていそうですね。
また、水ぜめ、火ぜめの拷問や、洪水、火災の災害の事が、
聖霊、霊性の炎とまぜこぜになっているような気がいたします。
さらに、理的な観点からも、火が水を打ち消すではなく
火は水を生かしている大いなる側面があります。
人間の体は、水分でできているけれど、
循環させたりするには、熱量が必要で
身体は冷やしたら、故障が生じやすい。
水分補給は常に必要ですが、それは冷える事とは違います。
大自然も、熱が海の水を蒸発させて空に上がり、
森林や河、湖など、生物が住むところに慈雨をもたらす
大循環系も、熱がなければ起こせない。 、 聖霊のバプテスマを火の洗礼と同じにしてしまうのは、盗賊のように襲ってくる火の洗礼から注意をそらすための、サタンの最大の策略の一つです。
どうか騙されないで。暇人ははじめから嘘つきです。サタンの使いです イエス・キリストを信じる人には、
聖霊の洗礼が与えられます。
イエスを信じる人には誰でもです。
聖書のみことば
「わたしよりも優れた方が、後から来られる。
わたしは、かがんでその方の履物のひもを解く値打ちもない。
わたしは水であなたたちにバプテスマを授けたが、その方は聖霊でバプテスマをお授けになる。」(マルコ1・7〜8)
では、「その方」とはイエス様です。
「聖霊によるバプテスマ」とは、火の洗礼です。どのようなものか。
聖霊は、聖書の中で「鳩のように下る霊」
「炎のような舌」「火」「神の知恵」と
書いてあるからです。 ですから、愛の天使のいうことは間違い。
この人は、よく嘘をつく荒らしですから、
みなさん気をつけてください。 イエス・キリストを信じる人には、
聖霊の洗礼が与えられます。
イエスを信じる人には誰でもです。
聖書のみことば
「わたしよりも優れた方が、後から来られる。
わたしは、かがんでその方の履物のひもを解く値打ちもない。
わたしは水であなたたちにバプテスマを授けたが、その方は聖霊でバプテスマをお授けになる。」(マルコ1・7〜8)
では、「その方」とはイエス様です。
「聖霊によるバプテスマ」とは、火の洗礼です。どのようなものか。
聖霊は、聖書の中で「鳩のように下る霊」
「炎のような舌」「火」「神の知恵」と
書いてあるからです。 水と霊と火のバプテスマ
マタイ3章を読むと、聖霊と火のバプテスマが 一つではなく、 二つのバプテスマをさしていること
火のバプテスマはキリストを拒否する人たちに向けられたものであることがわかります。
バプテスマは、つける、浸す行為です。
水の洗礼が悔い改めた信者を水につける行為なら、
火のバプテスマは悔い改めない悪人たちを火で燃やす行為です。
キリストが水の洗礼を受けた時に聖霊が鳩のように下ってきました
主は水と聖霊のふたつのバプテスマを同時に受けたということです。
弟子たちはペンテコステに受けました。
「水と霊によって生まれなければ神の国を見ることはできません」
なぜ、「火と霊」といわなかったのでしょうか 。
火は水を打ち消してしまうし、 そもそも、悔い改めない人への裁きを象徴します。
水と御霊の洗礼によって神の国を見るに至った信徒に火の洗礼は不要ってことです。
ペテロT 3:20 「箱舟に乗り込み、水を経て救われたのは、8名だけだった
この水はバプテスマを象徴するものであって、今やあなたがたをも救うのである。 」
ペテロは水の洗礼をノアの洪水にたとえています。
また、再臨の時に世界を覆うのは、水ではなく火であると言ってます。
「手紙U 3 前の天地は水で滅んだ。 今の天と地とは、同じ御言によって保存れ、不信仰な人々が裁かれ、滅ぼさるべき日に火で焼かれる時まで保たれている」
「主の日は盗人のように来る。その日には、天は大音響をたてて消え去り、
天体は焼けくずれ、地とその上に造り出されたものも、みな焼きつくされる」
これが火の洗礼です。
聖霊のバプテスマを火の洗礼と同じにしてしまうのは、盗賊のように襲ってくる火の洗礼から注意をそらすための、サタンの最大の策略の一つです。
暇人とリンゴに騙されないでください。 >>370
我々はイエス様によって許された罪人ですから、実はおっぱいによる贖いがなくても許されます。
許さない者は許されませんから。 新約聖書 マタイの福音書
「その方は、聖霊と火で
あなたたちに洗礼をお授けになります。
そして、手に箕を持って、
脱穀場を隅々まできれいにし、
麦を集めて倉に入れ、殻を
消えることのない火で焼き払われます。」
聖霊と火で洗礼を授ける
そのかたとはイエス・キリストです。
イエス様を信じる人は、誰でも
聖霊と火で洗礼を授かるのです。 みなさん、 愛の天使は、昔から、
イエス様を信じようとする人々の
信仰を邪魔して、
イエス・キリストの救いの門を
閉ざそうとするサタンのつかいです。
気をつけてください。 新約聖書 マタイの福音書
「その方は、聖霊と火で
あなたたちに洗礼をお授けになります。
そして、手に箕を持って、
脱穀場を隅々まできれいにし、
麦を集めて倉に入れ、殻を
消えることのない火で焼き払われます。」
聖霊と火で洗礼を授ける
そのかたとはイエス・キリストです。
イエス様を信じる人は、誰でも
聖霊と火で洗礼を授かるのです。 おはようございます
論点が随分深く広くなってきましたね。
皆さまについていかれるかどーか^^;
何せ当方は至ってシンプルな信仰の持ち主でして。
リンゴさんのこぴべと愛の天使さんの解き明かしには
感謝と興味をもって見ています。 イエス・キリストのみことば
「また神の国は、良質の真珠を探している宝石商のようなものです。
彼はすばらしい価値のある真珠を見つけると、持ち物全部を売り払ってでも、
それを手に入れようとするのです。
また神の国は、漁師にたとえることもできます。
漁師は、いろいろな魚でいっぱいになった網を引き上げると、岸辺に座り込んで
網の中の魚をより分けます。
食べられるものはかごに入れて、食べられないものは捨てるというふうに。
この世の終わりにも、同じようなことが起こります。天使がやって来て、
正しい者と悪い者とを区別し、悪い者を火に投げ込むのです。
彼らはそこで泣きわめいて、くやしがります。
これでわかりましたか。」
弟子たちは、「はい」と答えました。 >>393
彼女に関してまだはっきりしない点が多いです。
でも時々はっとする書き込みに教えられるのも事実。 リンゴおじさんはクリスチャンを自称するのやめてほしいお
典型的なカルト狂信だからクリスチャンが誤解されるから
ちなみに第二バチカンの信教の自由の宣言
https://blog.goo.ne.jp/thomasonoda/e/cdd8c51a0afabc27305b4a15001076dd
信教の自由は個の尊厳に足場がある
父性云々の話が出ていたが、それはダメな例であり
本当の父性は子がひとりの人格である、ということを受け入れ、尊重し、大人と接するのと変わらない態度で子と接し、子に対して愛を与え、彼の個が育つ環境を準備し、父の温かい眼差しで見守ることだよな マタイの福音書
☆イエスは、別のたとえを持ち出して言われた。
「天の国は次のようにたとえられます。ある人が良い種を畑に蒔いた。
人々が眠っている間に、敵が来て、麦の中に毒麦を蒔いて行った。
芽が出て、実ってみると、毒麦も現れた。僕たちが主人のところに来て言った。
『だんなさま、畑には良い種をお蒔きになったではありませんか。
どこから毒麦が入ったのでしょう。』
主人は、『敵の仕業だ』と言った。
そこで、僕たちが、『では、行って抜き集めておきましょうか』と言うと、
主人は言った。
『いや、毒麦を集めるとき、麦まで一緒に抜くかもしれない。刈り入れまで、両方とも
育つままにしておきなさい。
刈り入れの時、
「まず毒麦を集め、焼くために束にし、麦の方は集めて倉に入れなさい」と、
刈り取る者に言いつけよう。』」 C-cupよ、C-cupよ、野菜名人の名が抜け取るぞよ >>397
愛の天使に騙されないでください。
>>398
神のみことばに反する第二バチカンの信教の自由の宣言など、
サタン教義ですよ。 >>255
ルターは聖書のみ信仰のみじゃやなかったっけ? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています