「主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形つくり、その鼻に命の息吹を吹き入れられた。
人はこうして生きる者となった」。ヘブライ語でもギリシャ語でも、「息吹」とは「霊」「生命」の
意味である。「神の命の息吹」が「聖霊」でなくて一体何か。
詩編では、「人間が生まれながらにすでに持つもの」としている。
ヨハネ福音書では、イエスでさえ、その臭い息を人に吹きつけ、「聖霊を受けよ」などとほざいて
いるではないか。「鳩ポッポ」など、一体どこから出てくるのか。
キリスト教によるこの聖霊の捏造と冒涜の理由は、若しすべての人間が聖霊を持ったら、
ナザレ村のイエスを唯一神にすることが到底出来ないからである。