世界は永遠か、終焉があるか。有限か、無限か。霊魂は存在するか、しないか。死後の世界があるか、ないか。私はこれらのことを、確かなものとして説かない。
 なぜならそれは、心の清浄・安らぎという目的にかなわず、欲望ゆえの苦痛を越える修行として、役に立たないからである。
 私は、これらの目的にかない、役に立つことを、確かなものとして説く。
 それは、生きることは苦しみを伴う。苦しみには原因がある。苦しみは消すことができる。そのための道(方法)があるということーーー四聖諦ーーーである。
ーーー弟子マルンキャプッタへの教え マッジマ・ニカーヤ

世間での苦しみが、教えに示される霊因縁の仕業と置き換えられていないか。
それは、教えのお力を求めるという別の欲望や妄想を植え付けられて、求めさせられる別の苦しみとなる。むしろ、役に立たないものとなるであろう。