よく、如苑の信仰を、キチガイ信心だ〜などと言い放つ者が居るが、
仮に、鰯の頭信仰でも自由。
問題は、その教義の中に、どれだけ悪質さが隠されているか、だ。
それを、権威で覆い隠す。
どの破壊的カルトも慈善事業を欠かさないが、それは彼らの悪質実態を覆い隠す為なのである。w

しかし、そのような権威主義を、本来の仏教者である釈迦は、完全棄却している。
人の言葉を鵜呑うのみにして頼るのではなく、
「何が正しいかをはっきり見定めることのできる自分を確立してゆくことが大切であること」を、釈迦は「誰かを盲信せず自らを灯明とせよ」として遺言で指し示したのです。

しかし、真如苑ではこの教えを教えられることは在りません!
何故なら、この、仏教の旗印「自灯明」を真如教徒が会得してしまうと、真如苑に絶対服従させ操ることが出来なくなるからです。w