さっきまではまちこさんの「ゆるしなさい」は正論だと思いましたが、シャロンさんの「愛されて愛することができる、許されて許すことができる」のほうがガシッときた

聖ファウスティナの受けとった主のメッセージは『わたしは正しさの前に、いつくしみを送っている』という御旨を感じました

誰に対するいつくしみなのか、そばにいる目の前の人ではないかと
その後に「相手をゆるしなさい」という私たちの信じる主の教えが生きてくるのではないかと思います