目に見ないものを観たり聞こえない声を聴く経験に裏付されない言葉は軽い。
単語だけの意味で語り単語としてだけ受け止める。
そこに目に見えない耳に聞こえない神の意図に想いを巡らすことに気がまわらないでいる。

それなので自分に有利であるか自分への評価を判断の基準としてしまう。

与えきりのこの世界でまだ何を求めるのだろう。
命を救われ、大事故を起こさずに済ませてくれた神にどれほど感謝をしたらよいのでしょう。

神は語る。遅れてくるものに手を貸してあげなさいと・・・