ミヤテツが「中沢新一の著書はアカデミックな仏教界では全く相手にされていない」と、
中沢新一に対して辛辣なのは、中沢が仏教徒の皮を被ったヒンズー教徒だからだ。
仏教を愛している人からすると、中沢やジャンキーのような連中は仏教に風評被害を与えている迷惑な連中なのだ。

チベット仏教もタイ仏教やミャンマー仏教や日本仏教の大半のように死後の世界を認めている。
これはオカルトであり、仏陀が完全否定した概念だ。死後の世界を認めると、誕生前の世界(前世)も認めることになる。
そうすると、「お前は前世で悪い行いとしたからカーストが低いのだ。奴隷のように生きろ」や、
「貴方のお父さんがガンになったのは前世で罪人だったからです。この300万円の壺を買えばそのカルマから逃れられます」というような、
悪徳行為を生んでしまう。仏陀はそんな不正義と戦った立派な思想家だ。
現代では悪徳商法と戦う弁護士だ。

そして、正しい仏教徒はそんな仏陀と仏教に誇りを持っている。
仏教は素晴らしいんだと。そのような仏教を心の底から愛している人にとって、
やれ加持祈祷の空海だの、やれお盆に死者が帰ってくるだの、やれ墓参りして先祖供養だの、
やれ輪廻転生だの、やれ瞑想で超越神と自己が合一する神秘体験だのは許せないのだ。
それは仏教でないだろ!それはヒンズー教だ!仏教を冒涜するな!と。

仏教は宗教ではない。神、神秘、人智を超えたものを否定する。
素晴らしい哲学だ。

悪いのは仏教の看板を掲げながらヒンズー教を信仰している似非仏教界である。
日本仏教が行っている死者に関する行事は全てヒンズー教だ。
極楽浄土もヒンズー教だ。仏教大学がチベット仏教徒の中沢新一を全く相手にしないのは当然なのだ。
チベット仏教はヒンズー教なのだから。