【イエス】 私たちは神に愛されています 【キリスト】 Part.7
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私たちが既に受けた神様の愛と恵みについて話し合い、
神様を讃美いたしましょう。
わたしたちが神を愛したのではなく、
神がわたしたちを愛して下さって、
わたしたちの罪のためにあがないの供え物として、
御子をおつかわしになった。ここに愛がある。
1ヨハネ 4:10
ところが、主が言われた、
「わたしの恵みはあなたに対して十分である。
わたしの力は弱いところに完全にあらわれる」。
それだから、キリストの力がわたしに宿るように、
むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう。
2コリント 12:9
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※前スレ
【イエス】 私たちは神に愛されています 【キリスト】 Part.6
http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1525337862/ --
†
狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。
そして、そこから入って行く者が多いのです。
(新約聖書 マタイによる福音書7章13節)
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https://www.youtube.com/watch?v=pb9_3sy1uNU
http://koumokuten.jpn.org/
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† エペソ6章10-12節
終わりに言います。
主にあって、その大能の力によって強められなさい。
悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。
私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、
また天にいるもろもろの悪霊に対するものです。
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http://koumokuten.jpn.org/ 2038年にこの世の終わりがきます!
カミユ・フラマリオン(19世紀フランスの天文学者)著「この世の終わり」
La Fin du Monde Camille Flammarion
「Quand Georges Dieu crucifiera,
Que Marc le ressuscitera,
Et que St. Jean le portera,
La fin du monde arrivera
聖ゲオルギオが十字架に
聖マルコが復活に
聖ヨハネが聖体に重なる年に
世の終わりが来る
詩の意味はこうなります。
聖ゲオルギオの祝日が聖金曜日に
聖マルコの祝日が復活節に
聖ヨハネの祝日が聖体節に重なる年に
世界は終わる。
(中略)
最近では1666年、1734年、1886年、
1942年、2038年、2190年にもこの年が巡って来ます。」 尊者オトランテのヴェルディン僧院長(13世紀)
(南イタリアのレッチェの修道院創設者)
預言
「反キリストがくる前に、
世界各国は4年間戦争状態になり、世界の大部分が破壊され
すべての教派が消え、世界の首都は倒れる。
聖ゲオルギオの祝日(4月23日)が聖金曜日に、
聖マルコの祝日(4月25日)が復活節に、
聖アントニオの祝日(6月24日)が聖体節に 重なる年に
http://www.catholicrevelations.org/PR/werdin%20ontrante.htm
「聖ゲオルギオの祝日(4月23日)が聖金曜日に、
聖マルコの祝日(4月25日)が復活祭に、
聖アントニオの祝日(6月24日)が聖体祭に重なる年」
は、今世紀では2038年です。 スウェーデンの聖ビルウィッタの預言
聖マルコの祝日(4月25日)が主の御復活に
聖アントニオの祝日(6月13日)がペンテコステに
聖ヨハネの祝日(6月24日)が聖体節に重なる年に
全世界が叫ぶことでしょう。
「災い、災い、災い」と。
Mirna注釈
ビルウィッタの預言に適合する年は、今世紀では、2038年です。
前の世紀では、1942年、第二次世界大戦の真っ只中です。
2038年に核戦争の勃発が予想されます。
最後の行に注目しましょう。h
「災い、災い、災い」
同じフレーズが聖書の預言に記録されています。
ヨハネ黙示録8:13
「地に住むものたちは災いだ、災いだ、災いだ。」
ヨハネ黙示録では、これ以降、三つの災いが詳しく預言されています。 清掃員の雹は日曜に教会行っても誰からも受けいれられず、帰ってくるや
5ちゃんで憂さ晴らし。
リアルで犯罪だけは犯すなよw 「私は高橋佳子を信じません」
ここまで言いなさいよ、ゴリラ
あなたは何に対して信じないと言ったのか、曖昧にすることでごまかしています
以下の発言も意味不明でした
「私は地獄がなくても困らない」
「私は輪廻がなくても困らない」 前スレ>>1000 なおさんへ
> >>994
> 性の事で頭が一杯である人が、
> ある性的事件を取り上げる時、
> 別個だと、わたしは思いませんね。
>
> 私に対してのGLAだとかのいいがかりなんかも
> 頭に思い込んで、こびりついて離れないからです。
それはなおさんの解釈であって、客観的には説得力がありません
なぜならぴっぴさんは性のこと以外も普通に書いてますし
この性的事件については、そのあとにヒンドゥー教のカルマ思想に原因を求めているからです
つまりぴっぴさんのいつものイエス関連の書き込みとは全く別の観点からの書き込みです
むしろなおさんのほうがぴっぴさんの書き込み内容とは無関係の
個人的な対立関係をぴっぴさんの書き込みに勝手に被せて書き込んでいます 俺の個人的な印象では、なおさんはそのGLAとかいうのとは全然関係がないように見えるけどね
考え方がたまたま似ているというのはあるかもしれないけど
少なくとも本人は意識的な影響関係はないと言ってるから、そうなんだろうと思う ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています