この日本仏教、いや捏造仏教の迷走は仏教系新興宗教でも踏襲される。

たとえば、オウム真理教を見てみましょう。オウム真理教はもともとヨガのグループ、つまりヒンズー教(バラモン教)だったわけです。
それがいつの間にか、まったく無反省的に、うやむやに、(バラモン教を否定した)仏教でもあるかのごとくなっていったわけですから、
彼らの仏教が永遠の魂を説くのも無理はありません。(後には麻原教祖はキリスト宣言さえしました。)
彼らの薄い仏教の覆いの下には、ヒンズー教の正体がそのままあるのです。

同じような事態は、「幸福の科学」という宗教にも見ることができます。「幸福の科学」も単純に仏教ではありません。
「幸福の科学」の教えには、非常に強い、日本の土着宗教の習慣が取り込まれています。仏教とはまったく関係のない、
先祖供養や死者の霊を慰める行事などがとても重要視されているようです。また、「幸福の科学」はギリシャの神話の神々なども取り入れているようで、
ブッダや大川教祖は、ギリシャ神話の神エル・カンターレがこの世に姿を現したものだそうです。すなわち、魂の存在を信じる日本の土着宗教や
ギリシャ神話が、そのまま仏教と一緒に混在させられているわけです。彼らの仏教が永遠の魂を説くのも無理はありません。

仏教そのものの教えを客観的に追及できないのは、もともと仏教ではない宗教にあとから仏教の教えが取り入れられてできた混交宗教の限界ですが、
これらの例は、仏教に出会う前から信じられていた魂に関する信仰が、そのまま仏教に持ち込まれたことによって、もともとなかった、
輪廻する魂の教えがまるで仏教の教えであるかのごとく、信じられるようになったことをよく示していると思います。


根幹を捏造してしまうと、どこどこまでも捏造を繰り返す事になる。
オウムや幸福の科学も既存日本仏教同様に支離滅裂なのは、日本人が仏教を宗教ではないニヒリズムであり、
集団自殺のマニュアルだと正確に評価しなかった事が原因なのだ。

日本仏教界が世界の仏教界から相手にされていないのも、これが理由だろう。
真の仏教徒は仏教を宗教だと誤解している君たちを見て何を思うか。