+++旧・新約聖書をディープに考察するスレ+++ 第3章
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聖書をディープに語ります。
聖書は智慧のある者にも、ない者にも真理であ るちゃん。
だからディープだ。
初回スレ
http://wc2014.2ch.net/test/read.cgi/psy/1456156648/
第2章スレ
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1462883464/l50
聖書をディープに考察する 約二年の間2つのスレにキリスト教のこと 聖書 イエスの十字架と復活 栄光の現れについて記載してきた、様々な妨害 嫌がらせ 異性の罪等を
犯し続けるような悪魔からの工作員が複数現れては消えてきた 初めから読み返したら 聖書の奥深い内容に驚愕す るちゃんだろう。 >>798
問題提起ありがとうございます。>天国語 とりあえずの仮の名称ですが、新天新地共通言語と呼ぶべきでしょうか? ご存知のようにアダムからノア辺りまでは言語は共通でした。地上ではの話し
バビロンで乱れて 沢山の言語が出来た。今どき言語学者も見向きもしない神話のように思われるが セム語族 ハム語族 ヤペテ語族に仕分けしているのも事実です。 神もみ使いも その言語を話すのです。人間のことばではありません 今日本語を話すように話すことができる。144000人は天で1週間婚宴を過ごしただけでなく いろんなカリキュラムやレッスンがあるようです 言語 新しい歌 飛び方 星を消滅させる裏技など 日本語は日本のために使えよ。聖書信じたいなら現地語で議論すればいいことだな。 >>801
>現地語 ですか?旧約はヘブル語 新約はギリシャ語 って意味すか? 或いは>現地語 仏教のサンスクリット語のような意味合いで議論せよ?すか?
どちらにせよ貴重なアドバイス どうも
憚りながら、現地語も交えて日本語で議論しております。残念ながら未だに肉の身体 天国語 新天新地語を学んでいませんので ではこの続きはまた明日 オバデヤです。おはようございます、朝の爽やかな此の時間に少しだけ聖書を紐解きましょう、
黙示録14章4節 です。
「彼らは、女に触れたことのない者である。彼らは、純潔な者である。そして、小羊の行くところへは、どこへでもついて行く。彼らは、神と小羊とに捧げらる初穂として、人間の中からあがなわれた者である。」 「彼ら」とは一番最初に「携挙」された人類の初穂 144000人 「勝利を得た者(黙2-3章参照)」たちのこと。彼らは天国では7日間(地上では何年間か不明)でしっかり様々な研修と天国語もマスターして キリストと共に世界を治める即戦力のスタッフになっているようですね。 >女に触れたことのない者
ええ!別の翻訳では(童貞)とあります。高村光太郎か?それは(道程)
「東京には空はない」それは奥様、… パニックった!十四万四千人って皆男性だったの
ええ! じゃあ…わたしには関係ないジャンと投げ出した貴女 ちょっと御待ちください、解明いたしますので 「彼らは女に触れたことのない者である」が問題の箇所ですね。女に触れたことがなくて「純潔(童貞)とも訳せる」とくれば じゃあこれは男性だけのことかい、と思いたくなるのは当然です。智恵子には関係ない話
ここをそのまま読んで そんならボクちゃん清く正しく修道院へ直行しちゃったマジメ信者も二千年の中にはかなりいたでしょうね? 有名な聖書参考書、ヘンリー・ハーレイの聖書ハンドブックによると この箇所の此れまで解釈では「女に触れたことのない」「童貞(純潔)」というのはあくまでも比喩であって、これは信仰の純潔さについて言っている と理解するのが主流だったようです。
新約聖書のマタイ22章23節から33節と マルコ12章の18節から27節と ルカ20章の27節から38節とに同じエピソードがあります。「略」 イエスの答えに注目してください。「あなたがたがそんな思い違いをしているのは、聖書も神の力ま知らないからではないか、彼らが死人の中からよみがえるときには、めとったり、とついだりすることはない。彼らは天にいる御使のようなものである。」
つまりキリストは 「復活して新しいからだを持つ者」は御使のように結婚することはない なぜなら彼らはもう死ぬことはあり得ない人間だから ということです。 日本にもユダヤと同じ風習(レビレート婚)がありました。遂 この間(戦前)迄あったと検索にありました。つまり長男に嫁いだ妻 しかし病気や戦死で亡くなると家の家系を守る為 次男と一緒になる話 小説にもありますよね 細雪でしたっけ
死なないということは、世代交代もない。世代交代がないということは 子どもを産む必要もない 従って結婚も必要ない という意味です。 十四万四千人が女にふれたことのない者と言われているのは文字通りの意味です。
彼らは復活の新しいからだを与えられているので、「性別がない」のです!
新品の新しいからだです。過去にどういう結婚暦 男性遍歴 女性遍歴があろうとも、地上で男であったにせよ女であったにせよですね、復活のまっさらなきよいからだは、性別を持たないのです!ですから文字通り、女にも男にもふれたことがない者たちなのです! というわけで、ここはなんと、読んだとおりなのです!智恵子ちゃん ヨハネをとおして神さまは、ただありのままのことをおっしゃったのです。黙示録って、ぶっ飛ぶほどそのまんまのことが書いてありますね。こちらがたじろぐほど淡々とプラグマティックです。 第一回目の携挙組(144000人の「勝利を得た者」「人類の初穂」)と、患難の最中に引き上げられる第二回目の大群衆の「獣に打ち勝つ者」の二組が「第一の復活」者であり、フィリピ3章21節では「栄光のからだ」とあります。
不老不死 つまり無敵な身体になります。空も飛べます 宇宙空間も超光速で移動します、天国も地上も行き来自由 しかも男女の区別がない(以前の婚姻関係とは去らば)
そんな夢のような「復活」に貴方も参加してみませんか?今なら無料 ただ信じて主に申し上げるだけです。イスラエルの血筋限定の第一組に選ばれなかったとしても患難半ば以降に第二の携挙で「花のルンルン天国組」へ行きませんか?ナンチャッテね… お前らの教会の牧師の給与ってどれ位?
うちの牧師は最賃にこだわってそれ以上は受け取らない。
ただし教会と牧師館が一体なので
光熱・通信費は教会負担。
彼らの社会保険って教団?教会?どっちなんだろう。
牧師健康保険組合とか職域保険があるのかな?
単立だと国保と国民年金だろうけど。 黙示録補足説明
ー三年半ー
黙示録には様々な数字が出てきますよね 完全数の三 七 十二
とその倍数、地上全世界を表す四
全体の中の著しい部分を表す三分の一
地上の150年を表す5ヶ月 等
他に四十二カ月 千二百六十日 一年と二年 と半年 この三つは同じ意味です千二百六十日とは一ヶ月を30日として計算しているわけ
ではこの三年半 という奇妙な期間は 何を意味しているのでしょう?実はこの「三年半」の解釈が黙示録理解上非常に重要な鍵となっているのです。 一般的には、この「三年半」は文字通り地上の私たち人間の時間で三年半 と理解されています。ほとんどの黙示録解釈者がこの「三年半」は七年にわたる大患難の半分の期間と解釈しています。この伝統的解釈はどこから来ているのか それには勿論根拠があるのです。 預言者エリシャがベテルに向かって旅をしていたある日、子供たちが彼を取り囲み、彼の坊主頭を冷やかした。「上がってこい、はげ頭!」子供たちがエリシャを野次る。
「上がってこい、はげ頭!」
このため、エリシャは神の名により彼らを呪った。すると、茂みから二匹の熊が突然現れ、四十二人の子供を餌食にしたという…。
神は気まぐれに裁く方ではないといっても、単なる子供の悪ふざけに対して、あまりにもひどい仕返しではないか、坊主頭の大人を少しからかっただけで四十二人もの罪のない子供を殺すのは、あまりにも厳しすぎるのではないかと思うかもしれません。
しかし、その前提が間違っています。彼らは罪のない子供たちではないのです。
ですが、小さい子供たちとあるではないかと言われるでしょう。
残念ながら日本の翻訳でもそのようになっていますが、これは、欽定訳の翻訳が誤解を生んだ結果です。
研究者の間では、言語のヘブライ語の意味を最もよく捉えた翻訳は『若い男たち』だということで意見が一致しています。
新国際訳では『青年』となっています。つまり、これは現代の暴力団予備軍であるストリートギャングに匹敵する、十代の若者が集まった危険な暴力集団だったのです。
かなりの人数の若者に囲まれ、エリシャの命は危険に晒されていたのです。四十二人が熊の餌食になったというのなら、実際には一体何人が彼を取り囲んでいたのでしょうか。
危険に晒されていた?冗談じゃない、単に坊主頭をからかわれただけではと思うかもしれません。
しかし、内容をきちんと理解すれば、これが単なる悪ふざけではないことが分かります。
聖書の注釈を読むと、彼らの野次は単なる野次ではなく、エリシャの預言者としての信憑性を問題にし、挑発していたことが分かります。
特に彼らが、「お前が神の預言者だというなら、なんでエリヤみたいに天国に行かないんだ」と言ったところでは、生きたままエリヤを天に上げた神の行為を明らかに愚弄しており、彼らは、神がエリヤとエリシャに施した行為を信じずに軽蔑していたのです。
それから、坊主頭を揶揄するのは、当時ツァラアトに冒された人々が髪の毛を剃っていたことに関係しています。(レビ記14:1-9) 彼らは神の預言者としての権威と威厳を持つエリシャを、社会から隔離された人と同じレベルで責め立てていたのです。
つまりこれは、エリシャに対する中傷や野次という問題にとどまらず、神の預言者であり、神の代理人であるエリシャを中傷することにより、神を中傷していたのです。
それは大した罪にはならないと言いますか?
そうは行きません。エリシャは、ギャング団に囲まれ、身の危険を感じました。そして彼らは実際にエリシャだけでなく神を攻撃していたのです。
ですから、今後同じように預言者を攻撃しようとする人々への予備防御として書かれているような神の裁きが下されたのです。
この事態をそのまま見過ごしては、エリシャの命を危険に晒すだけでなく、悪い前例を作ることになります。
神が自分の預言者を助けずに、ギャング団の手に落ちるままにしたら、社会にどんな悪影響が出るか考えてみてください。
人々は何をも恐れることなく預言者を攻撃するようになるでしょう。そうなったら、預言者を通して伝えられる神からの緊急メッセージが伝わらなくなってしまいます。
ある評論家は、こう言っています。
「罪の度合いが大きくなれば、神はそれに合わせてかなり大がかりで壊滅的な正義と裁きを下さなければならなくなる。
神がエリシャを囲んだ青年たちの無法行為を野放しにせず、熊による裁きを行なったのは、人間の罪があまり大きくなっていない段階で、自らの存在と裁きの事実を人々に知らせようとした神の最大限の努力の証である。
神はこうした小さな罪を裁くことで、人間を神の御元にたちかえらせるための、たゆまぬ努力を重ねていた。・・・・熊によるギャング団攻撃の後にサマリヤ人がその罪を告白していたなら、サマリヤの大崩壊は避けられたのである。」 ここでもう一度、神の主権について付け加えなければなりません。
彼らの命を奪ったのはエリシャではないのです。ギャング団の青年をこの世に創った神が、熊を放ったのです。
神が命を創ったのであれば、それを奪う権利も神にあります。
エリシャを襲った彼らの態度は、神に対する反逆という彼らの真意を表すものです。
挑戦的に神を呪い、あくまでも神に反抗し続ける姿勢を維持することは、自らを破滅への道に追いやることです。
彼らが単なる子供だったというのは、原本の読み違えなのです。ヘブライ語を見ますと、ここに登場するギャング団の年齢は十二歳から三十歳くらいであることがはっきりしています。
聖書の他の箇所で、従軍している男性を指すのと同じ言葉が使われているからです。(I列王20:14-15)
ですから、すべての要素をきちんとした観点から見れば、最初のイメージとはずいぶん違う話が見えてくるものなのです。 「彼はそこからベテルにのぼったが、上って行く途中、小さい子供(原語ヘブル語/ナール)等が町から出てきて彼をあざけり、彼に向って
『はげ頭よ、昇れ。はげ頭よ、昇れ』と言ったので、彼は振り返って彼らを見、主の名をもって彼らをのろった。
すると林の中から二頭の雌熊が出て来て、その子らのうち42人を裂いた。彼はそこからカルメル山へ行き、そこからサマリヤに帰った」。 U列王2:23〜25
「小さい子供ら」は誤訳
ヨセフが兄弟たちにイシマエル人の隊商に売り渡された時、17歳でしたが、このヨセフについて創世記37章2節は「17歳の少年(ヘブル語/ナール)」と上記の「小さい子供(ナール)」と同じ語を使っています。
聖書協会口語訳も新改訳も共にこの語を訳出していませんが、文語訳は「ヨセフは童子(わらべ)にして」とその語を訳出しています。
また、ソロモンが父ダビデの後を継いで王位に就いた時、彼は自分のことを神への祈りの中で、「小さい子供(ヘブル語/ナール)」と呼んでいます(T列王3:7)。
しかし、この時、彼ソロモンは結婚していて、1歳の息子がいたのです。その証拠は、ソロモンの在位は40年で(U歴代9:30)、その子レハベアムが王位を継承した時、レハベアムは41歳だったからです(U歴代12:13)。
聖書学者によると、旧約聖書は12〜30歳までの男子にこの若者「ナール」という語を用いるそうです。従って、「ナール」は「若者」が適訳でしょう。
彼らは、預言者エリシャ個人をからかったのではなく、預言者エリシャを遣わした神を侮辱した
彼らが言っていた「のぼれ、のぼれ」という言葉は、預言者エリシャの先生である預言者エリヤが火の馬車に乗って天に昇ったように(U列王2:11)、
「お前も昇ってみろ」ということであり、「ここから消えて居無くなれ」という意味でした。
ですから、新改訳の「上って来い」ではなく、共同訳の「上って行け」の方が適訳です。
彼らは、エリシャを遣わした主なる神を拒絶し、預言者エリヤを天に昇らせた主なる神を侮辱したのでした。 ダニエル書の9章にある 七十週預言から(24〜27節)起点をネヘミヤのBC445年で エルサレムを建て直せの命令が出て 7×69=483年後 イエスの年数が算出される内容… 少し疲れたようで本日は不本意ながら 此所までとします、次回にします。おやすみなさい。 〜追加、「完全解読七十週の預言」で検索しますと、詳細にダニエル書預言の年代計算算出式が出てきます
非常に難解ですが興味ある方は次回迄に予習として学ばれてみてください。おやすみなさい。 1日遅れましたが8月15日に因み、硫黄島とサイパン島の日本人の勇敢さを伝える記事を貼ります。
硫黄島攻防顛末の話
サイパン島敵ながら天晴れ大場隊
http://m.ameba.jp/m/blogArticle.do?guid=ON&unm=tashutayou&articleId=10364712062
共に映画化されました、前者はクリント・イーストウッド監督で 後者も太平洋の奇跡として 竹野内豊でFOXと呼ばれた男〜太平洋で散った英霊が シンゴジラとなって日本を襲った解釈です。皇居へ靖国へ行きたかった…奇しくも竹野内豊出演が それを裏付けています。頭と尻尾にある光線を吐き東京駅で停止 黙示録のイナゴ形態のゴジラが世界に復讐するのを阻止した … 第一形態〜羽田沖で尻尾のみ現れる
第二形態〜※蒲田呑川から北上
第三形態〜北品川から京浜運河で東京湾へ
第四形態〜鎌倉から武蔵小杉タバ作戦〜東京駅
第五形態〜イナゴ形態で世界中へ復讐飛び立つ前に阻止される。
※なぜ蒲田?若い水兵の霊が映画女優に憧れたのでは?原節子とか… >>820
ネヘミヤの起点だと紀元前445年 エズラ7:7のペルシャのアルタシャスタ王による〜「エルサレムを再建せよ」勅令だと紀元前457年に起点をずらして計算します。後者を採用するなら69週=483年後、メシアが現れる イエスのヨルダン川受洗公生涯開始の紀元26年秋か冬になります。 公生涯開始西暦26年秋に「およそ30才」なので 逆算すると主の誕生は紀元前4〜7年となります。
「あなたの民とあなたの聖なる都については、七十週が定められている。それは そむきをやめさせ、罪を終わらせ、咎(とが)を贖(あがな)い、永遠の義をもたらし… 「…それゆえ、知れ。悟れ。引き揚げてエルサレムを再建せよ、との命令が出てから 油そそがれた者(=メシア、キリスト)君主の来るまでが七週。また六十二週の間、…」 「その六十二週の後、油そそがれた者(キリスト)は断たれ(殺され)彼には何も残らない。…」
七週と六十二週の後 西暦26年秋とするなら、三年半の公生涯(七十週目の最後の1週=7年の半分)を加算するし、ネヘミヤの起点445年で計算すると(例の複雑な一年360日算出の)西暦30年イエス エルサレム入場の時となります。 非常に微妙ながらエルサレム再建命令の起点を何処におくかで キリストの十字架と復活を最後の1週(七年)を残したか、あるいは否 最後の半週(三年半)を残したか議論の別れるところなのです。
問題なのは続くダニエル9章27節です。 「彼は一週の間、多くの者と堅い契約を結び、半週の間、いけにえとささげ物とをやめさせる。… 」 話をまとめ整理しましょう、ダニエル書の9章の七十週預言に関して、エルサレム再建命令の起点を@ネヘミヤの起点紀元前445年として69週目がイエスのエルサレム入場 紀元30年となります。(十字架と復活の年です)
A起点をエズラの紀元前457年とするなら、69週目は主がヨルダン川受洗公生涯開始の紀元26年秋となります。 >>831
@を採用するなら、9章27節の最後の(七十週目の)1週(七年)まるまる残り→終末の患難時代に移行か。
A採用するなら、残りの七年の内 公生涯に三年半費やし 大患難の期間は残りの半週(三年半)と計算される
以上が今までの「定説」でした。 >>830
「彼は」の彼をイエスとするか?(第二の)獣、偽キリストとするか またダニエル書の時間軸が一旦停止して終末に移行される?など 本当にあり得るのか様々な議論展開しました、まさに神学論議ですね。 ダニエル9章27節の「彼」を「メシヤ」とするか「荒らす者」すなわち「偽メシヤ」ととるかで意見が分かれる (エルサレム再建命令の起点に関してと二点だ)
此れまで「一週」を七年、「週の半ば」を三年半と解釈してきたために、「メシヤ」説ではキリストが地上で公生涯を送られた三年半の終わりに 十字架の贖ないにより旧約時代の神殿犠牲を廃された、と理解する。 「メシヤ」説の場合残り「半週=三年半」がどこへ行ってしまったのかイマイチ不明 終末の患難期間としているのは前に述べた通りだ
また「荒らす者」説では、偽メシヤが実権を握る三年半に礼拝行為が禁止される、と理解する。この場合、「彼」が「荒らす者」なのに その後「また荒らす者が来る」と新たに登場する感が不自然だ。 其れでは勿体ぶらずに答えを明かしましょう。ダニエル9章27節の「彼」というのは…「イエスご自身のこと」です!
イエスが一週の間に契約を結ぶ多くの者とは「十四万四千人」のことだったのです。
つまり、69週預言までは主の十字架と復活で良い。残り「一週」はニュアンスが微妙に違う意味で「キリストは天での一週の間、十四万四千人と堅く契約を結ぶ」そして「週の半ばに犠牲と供え物を伴うあらゆる礼拝を廃止させる」意味となる。 礼拝の廃止については、地上でその時期に宗教弾圧する「偽メシヤ」を通し既存のあらゆる宗教を一度廃止取っ払い ただおひとりの真の神として地上再臨される主を人々が受け入れる準備をさせるのは 実はキリストご自身だということだ。
ローマ11:33 旧約聖書 エレミヤ書 7章
9節 盗み、殺し、姦淫し、偽って誓い、バアルに香をたき、
知ることのなかった異教の神々に従いながら、
10節 わたしの名によって呼ばれる
この神殿に来てわたしの前に立ち、『救われた』と言うのか。
お前たちはあらゆる忌むべきことをしているではないか。
〔 聖書 新共同訳 日本聖書協会 〕 創世記 1:1
Breshit bara Elohim べレーシート バーラー エローヒーム エロヒム神は 創造した はじめに
et Ha'Shamaim v'et ha'Aretz エーット ハッシャーマイム ヴエーット ハーアーレツ 天と地とを
創世記は 【בְּ ベート】 つまり B から書き出されている。
エロヒムは はじめに 天と地をおつくりになった
ヘブライ語は特殊な文字で アルファベットはそれぞれ数字を現す。
つまり 現行の聖書が 【2】から始まっているのは、 彼らの世界感から考えて おかしい。
彼らの世界感から考えれば 【A アレフ 1 】から始まるのが自然である。
もし仮に 最初に【 A アレフ 】を置いた場合は どうなるであろうか ?
創世記 1:1
Ab-reshit bara Elohim エべレーシート バーラー エローヒーム 最初の神は エロヒムを創造した
et Ha'Shamaim v'et ha'Aretz エーット ハッシャーマイム ヴエーット ハーアーレツ 天と地とを
※ 最初の神 は エロヒムを創造し エロヒムたちが天と地を造った となる。
これはゼカリヤ・シッチンの仮説である。(神々との遭遇)
彼は これはあくまでも仮説であると主張するが 最後に黙示禄21:6を 参考として挙げている。
※ われは AでありΩである 今帰宅、シャワー浴びてきてBS3で生中継 日本のお盆 大文字の送り火やってます、ああ反キリストの時代になるとこのような日本の風情(宗教)も、弾圧されて世界から宗教が消えていくんだなあ と感慨無量で観ています。ああ京都 懐かしい… >>839
興味深い見識ですね、以前此処にいらした方(リヴァイさん?)が創世記の最初の蘊蓄をされてたのを思い出しました。
とにかく聖書は本当にディープですね。本願寺や高野山にも聖書研究会があるそうですよ♪アレフから始まらないのは それ以前に霊界でいろいろあったからではないでしょうか?サタンの反逆とか 盆踊りの起源は士師記の最後のエピソード ギベアでの集団レイプ事件で ベニヤミン族が消滅するのを惜しんだイスラエルの族長らが考えた 仮庵の祭りで、男女入り乱れての踊りの際に ベニヤミン族は女性を略奪する風習からです。略奪婚の起源でもあります。 今でも地方に行くと 盆踊りなど非日常な祭りの際は 公然と男女は交わることが許されていました。其れをさけて娘を土蔵に隠した長者の話があるそうです。秋田では夜這いで 後家の女性を孕ませる風習もあります。かなりおおらかな祭りですね キリスト教以外の偶像や道具や文書は盗め消去し破壊しろ。
キリスト教以外の風習や仕草や儀式は止めさせ廃止しろ。
イスラム過激派と同じ破壊構造を持っているキリスト教の教え。
旧約聖書を共有する同じ精神構造で、
ユダヤ教以外の文化財や偶像への破壊主義が同根の原因か? 盆踊りの起源はイスラエル
http://m.ameba.jp/m/blogArticle.do?guid=ON&unm=lightanjel&articleId=10480232946 やはり、…神さまはすべてを取り仕切って居られた、だからこそ「主なる神」天地創造された張本人なんだが、コロサイ書1章にあるよね。「万物は御子により(創造され)、御子にあり(管理され)保たれてあり、御子の為に(万物森羅万象の目的)存在する と
サタンや反キリストさえ 神の目的の為の齣でしかない とは 嗚呼 世界は万物はヤハウェ(エホバ)により存在し 保たれ 生かされている。ヤハウェの意向に背く輩(闇勢力=ルシファ、反キリスト、イルミナティ等)は役割を終えれば 即頚を跳ねられて燃える火の地獄行き 其れまでの期間限定で悪役を演じているに過ぎない 悪い役回りだ。 「世界」はヤハウェ劇場 舞台は地球、観客は御使いたち。監督は父なる神、脚本は聖霊なる神。主役は旧約篇では「ヤハウェの使い」正義の味方 御子なる神。新約篇では自ら人として舞台に登場 クライマックス受難の十字架の死 勝利の復活 昇天する美味しい役だ! 主役(ヒーロー)がいるなら準主役(ヒロイン)もいる。花婿イエスを信じきる健気な花嫁144000人だ。その代表者が「マグタラのマリヤ」
わたしはイエスがわからない ラボニは物語を一転 ラブストーリ ミュージカルに換えてしまった。
悪役もいる サタンと悪霊たち 666の獣と 大バビロン娼婦だ。
さぁいよいよ物語は佳境に入ってきた 西暦九十年前後にパトモス島に流刑とされた聖なるヨハネ(齢八十代)に此れから起こる 情報を与えられた。其れが「黙示録」だ。 7つの教会を見守る御使いへの手紙の後、天上での光景を臨み見たヨハネ
小羊が受けとる「巻物」の7つの封印が開かれプロローグ予告編が終わるといよいよ 7つのラッパの出番だ、 時系列順に記そう、先ずは第5のラッパ(一番目の災い)
150年間のイナゴの災い 教会バビロン幽閉から宗教改革までだ
次に第一から第4のラッパで 空からの脅威 海や川 湖水の汚染 放射能の脅威 大気汚染 第6のラッパ(第二の災い)
1914年第一次世界大戦開戦〜1945年第二次世界大戦終了までの期間だ。
※異端エホ証は1914年が第一の封印開封 「世の終わり」の始まりと解釈しているが 間違い。第6のラッパが鳴らされたのだ。世の終わりは「新約時代」から始まった。特にペンテコステから 1914年は第二幕に過ぎない マタイ24章参照 第三幕は此れから起こる〜
第6のラッパが鳴らされ終わった1945年から 既に73年経過した「現在」
黙示録十章の「7つの雷」の封印された出来事が起きたなら即 「最後の第7のラッパ」が吹き鳴らされる。
それが起こるといよいよ第三幕 大患難突入だ。先ずは序盤戦 まだ患難期間前プロローグに 「※携挙」が起こる〜
※イスラエルの血筋の信者144000人限定
「黙示録2-3章の勝利を得る者の復活」だ! 人数限定の携挙の3ヶ月後に第二の獣(個人ではなく組織)が台頭し現れる。患難時代のスタートだ!
何が起こるのか(詳しくは過去ログ参照)
また此れからの書き込みにも注意せよ。今黙示録14章の初めまで考察中だ!
ざっと今までのダイジェストを振り返ってみました。では次回からこの続きをします。北風が吹き荒れていますね。暑い夏の空気(太平洋高気圧)から涼しい乾いた秋の高気圧に入れ換わろうとしています、ああ 夏も実質終わりましたよ! 考え方は色々ある。キリスト教的には人間を性悪説で捉えている。
聖書の言う所に反する「罪を憎んで人を憎まず」ではないのです。
人は生まれながら胎内にいた時から罪を持って生まれてくる(詩篇51篇)。
だからイエスの十字架の贖罪を信じないと唯一の神から罪を赦してもらえない。
罪が赦されないと死後には唯一の神のいる天国に行けない。
そういう考え方が聖書の言う所のキリスト教の考え方なんです。 キリスト教の思考回路は、ただ聖書を読んだだけでは分からないのです。
日本人は聖書を読みながら、無意識のうちに、
聖書の文面を、因果応報、輪廻転生の物差しで見ながら、
人間は悪くない、他人からワルを教えられて、自分は悪くなる、
人を憎んで罪を憎まず、と思って読んでいるのです。
だから日本人は、いつまで経っても
キリスト教の思考回路が理解できない。
それで白人キリスト教徒の罪と罰の戦争の思考回路が信じられない。
儒教や仏教の考え方をする日本人と白人のキリスト教徒は平和解決しない。 【 原罪を贖う十字架 】
★マタイ伝9:13 『わたしはあわれみは好むが、いけにえは好まない。』とはどういう意味か、行って学んで来なさい。
わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。
★ヤコブ2:13 憐れみを行わなかった者に対しては、仮借のない裁きが下される。憐れみは裁きに打ち勝つ。
★へブル書7:27 ほかの大祭司たちとは違い、キリストには、
まず自分の罪のために、その次に、民の罪のために毎日いけにえをささげる必要はありません。
というのは、キリストは自分自身をささげ、ただ一度でこのことを成し遂げられたからです。
★ガラテヤ書3:13 キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって、
私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。
なぜなら、「木にかけられる者はすべてのろわれたものである」と書いてあるからです。
★申命記21:22〜23 ・・・死刑・・・木につる・・された者は、神にのろわれた者だからである。
★ローマ書7:6 しかし今や私達を繋いでいたものに対して死んだのであって、
私達は律法から解放され、その結果、古い文字によってではなく新しい霊によって仕えているのである。
★コリントβ書3:6 神は私たちに力を与えて新しい契約に仕える者とされたのである。
それは文字に仕える者ではなく霊に仕える者である。[律法の]文字は人を殺し[キリストの]霊は人を生かす。
★ガラテヤ書3:14 このことは、アブラハムへの祝福が、キリスト・イエスによって異邦人に及ぶためであり、
その結果、私たちが信仰によって約束の御霊を受けるためなのです。
★コリントα書15:44 自然の命の「体」があるなら、霊的な「体」もあります。
★ヨハネ伝3:5〜8 肉から生まれた者は肉であり、『霊』から生まれた者は霊である。
★ガラテヤ書6:8 自分の肉に蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、霊に蒔く者は、霊から永遠の命を刈り取ります。
★マルコ伝12:17 「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい」 教会史なる内容を図書館で捜してこようか検索で読むか、悩んでいたら、ふと手元にある「ヘンリー・H・ハーレイの聖書ハンドブック」巻末に詳しく載っていました。なるほど、さっそくローマ・カトリック バチカンに至る歴史をざっとですが紐解いてきました。 なるほど 90年代に生きるヨハネにとって、黙示録12章の太陽や月、星を冠にする美しい女性「信仰」
キリスト教会のあるべき姿が「大バビロン」と呼ばれる娼婦に変貌していることに オッタマゲたことでしょう! 811愛の天使 ◆ClyKlO5taI 2018/08/17(金) 22:52:13.10ID:Iu48Iz8I>>813
アトランティスに来る前は太陽系外の惑星にいました。
821 名前:シャロン 2018/08/17(金) 23:10:21.14 ID:6TVpFJow
なるみさんには参りました。
私もトチ狂った時代あったけど今は完全に離れる事が出来たよ^^ 三世紀までは、教会は迫害の厳しい試練を通過する時代でした。軈て、世俗的権威に頼るようになり、ローマ帝国の国教になると 別の試練が待ち受けました。堕落です。背教です。
東西に別れた教会の西ローマ帝国はゲルマン民族大移動で壊滅 何とか世俗的権威にしがみついた教会幹部は 教皇の絶対権力に走り出す やがてピピンの子 カール大帝時代 教皇は多大な権威を彼に与え「神聖ローマ帝国」(800〜1799)皇帝の冠を戴き 今のドイツ、フランス、スペイン、イタリアその他の広大な土地を回復 教皇にも「バチカン」領土が拝領され 大いなるバビロンの土台が築かれていきます。 主再臨と期待された「1000〜1030」年何も起きなかった。イスラムへの攻撃開始 いわゆる十字軍だ!軈て教会への権威喪失 アヴィニョンでのバビロン捕囚で 教会分離を避ける為 フスを火あぶり刑 しかし反教皇は根強く ルターによる宗教改革でプロテスタント教会が 新教プロテスタントに対抗する為 イエズス会ロヨラにより発足、奇しくも大航海時代 福音伝道は新大陸とインド経由で中国 日本へ
フランシスコ・ザビエルによるキリシタンが 何と日本全国の三割にいたる勢い→迫害禁教まで続く 一方 スペイン経由で新大陸特に南米中米での略奪の植民地支配による多大な財宝 富がカトリックを潤す。
軈てルネサンス、産業革命を経て 知識層 プルジョア層を取り込むことに成功
とにかくバチカン=大バビロンは世俗の権力と権威に頼り 主なる神に背を向け続けた 旧約のイスラエルと同じ道へ 神聖ローマ帝国→ブランク王国→ヨーロッパ支配していた教会権力支配
イエズス会が暗躍し闇の勢力イルミナティと結託 フランス革命→ナポレオン台頭で神聖ローマ帝国滅亡 キリストの花嫁である筈の教会が 世俗的権威に頼り 神を蔑ろにしたのがバチカン=大バビロンの姿だ!
近代 ナチスやファシズムと結託 教皇領土を回復する浅ましさだ …野坂昭如の「焼け跡のお菓子の木」を思い出す、戦時下で満足に美味しいお菓子を食べさせたいママが 病気の男の子の為に奮闘する最初はユーモラスに描いていたが…空襲でママは焼け死んでしまう、防空壕に残された男の子が植えたバームクーヘンの欠片が奇蹟を生む。
?この親子に希望はあるのか?朗読を聴いて久しぶりに涙が頬を流れ落ちた… 焼け跡のお菓子の木 世界中の病弱な男の子を持った健気でお人好しなお母さんたちへ
今の平和な時代は終わります。この短編童話のような厳しい試練の時代が来ます。どうか奇蹟を信じてください。復活を信じてください。わたしの今言いたいことはそれだけです。
昔少女だったお母さんたちへ、エールを送ります。(恐ろしい嵐が来る前に先回りの祈りをしておきます) 公義を行う善意の人 清貧の思想を実践する人
たまに世間に目立たないが現れる。良寛さんかアッシジのフランシスコか、
ボランティアでヨシキちゃんを見つけてたまたまクローズアップされた天晴れな人。 >>871
つまり、こうですか?12章の女性が「信仰」の体現だとするなら、→ 自称キリストの妻、実は淫乱女「大いなるバビロン、ローマカトリック(バチカン)」
→貞節を守った信仰の体現者は「新しいエルサレム」キリストの真の妻 【 紀元前と紀元後 】
A.D.=[羅]アノ.[H]アドナイ. 年.[H]主の.
↑
復活・昇天・聖霊降臨・教会の成立、生者への福音伝道の開始。[使徒の働き・使徒行伝・使徒言行録]
神の子・主イエス_キリストの誕生
十字架で死して葬られ陰府に降り、死者にも福音を宣べ伝えた。[ペテロ一4:6]
↓
B.C.=[英]ビフォア.[G]クリストス. 前.[G]キリストの.
ペトロの手紙一4章6節
死んだ者にも福音が告げ知らされたのは、
彼らが、人間の見方からすれば、肉において裁かれて死んだようでも、
神との関係で、霊において生きるようになるためなのです。
『聖書 新共同訳 日本聖書協会』 マグダラのマリアの位置づけは?
ナグ・ハマディ文書U 福音書 岩波書店 荒井献・大貫隆 小林稔・筒井賢治 訳
【 フィリポによる福音書 】
§68 主はあらゆる技を秘儀の中で[行っ]た。
すなわち、洗礼と塗油と聖餐と「救済」と新婦の部屋(のことである)。
註:(1)・・・「救済」も葬送儀礼の一部となる。
§32三人の者がいつも主と共に歩んでいた。
それは彼の母マリヤと彼女の姉(妹)と
彼の伴侶と呼ばれていたマグダレーネであった。
なぜなら、彼の姉(妹)と彼の母と彼の同伴者は
それぞれマリヤ(という名前)だからである。
§55a不妊の女と呼ばれるソフィアは[天]使たちの母である。
そして[キリスト]の同伴者はマ[グ]ダラの[マリ]ヤである。
§55b[主は]マ[リヤ]を[すべての]弟[子]たちよりも[愛して]いた。
[そして彼(主)は]彼女の[口にしばしば]接吻した。
他の[弟子たちは]彼が[マリ]ヤ[を愛しているのを見た。]
彼らに言った、「あなたはなぜ、私たちすべてよりも[彼女を愛]されるのですか」。
救い主は答えた。彼らは彼らに言った、
《彼は彼らに言った》「なぜ、私は君たちを彼女のように愛さないのだろうか」。 黙示録に予告された「子羊の怒り」から逃れる為に都市から脱出して 預金封鎖 パンデミック 護身の為に銃器など武器で武装している「サバイバリスト」たち
彼らは知らない。子羊の怒りを避ける唯一の道は 子羊イエスの御心を知り、対処していくことを… そりゃそうでしょう、小羊の怒りとは例えば「大魔神」と同じ絶対的超能力を持つ魔神イエスを敵に回すようなもの
悪代官なるサタンが何必死こいたって、大魔神の前に敵なし、一番の善策は 魔神に味方だと認知して戴くこと どんなに強大なパワーの神でも 味方を叩くことはあり得ない。神を畏れキリストを信じるとはそう言う意味だ。 >>877
🎀ナグ・ハマディ写本が発見された経緯を知ると、(父が)殺人→(被害者の遺族が)復讐殺人→(父の息子たち)がそのまた復讐殺人→家族で心臓を食べる→この兄弟が写本の第一発見者であることがわかる。
(父親が人殺し、息子二人も人殺し、一家で人殺し&人肉食い)
発掘されたキリスト教異端グノーシス派の文書群=ナグ・ハマディ写本
『マグダラのマリアによる福音書』
『ユダの福音書』
『トマスによる福音書』など
聖なるものが、このような汚れた者たちから発見されるだろうか?
彼らはその後、悔い改めて立派な生き方をしたのだろうか? 創世記から黙示録まで聖書(旧約聖書と新約聖書)を読んだ方おられます?いわゆる、外典 偽典は数えなくて良いです。 全巻通読は新約聖書だけね。旧約は断片的。レビ記はキモイ。 >>883
しかし、新約聖書だけでも通読されたのは偉いよ。黒潮って雑誌出していた相沢牧師って大島にいたんだけど、三浦綾子さんのエッセイにも度々出てくる有名な人
将棋も強い、大山名人と手合わせした一局 とか、わたしの母が脳腫瘍になった際に手紙のやり取りで祈っていただきお陰様で手術成功したんです。実話。 三浦光世氏も書いていらっしゃいました、相沢牧師の気さくな人格を…短歌や唄も名人で 鉄道唱歌にあわせて、「マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ。
使徒ロマ コリントガラテヤ書…って唄があるこてを教えていただきましたことを思い出す。今天国で見守ってくださっておられますことでしょう。懐かしいなぁ >>883
聖書スペシャルデータの一部を引用いたします。
◇聖書の書物の数:66
◇全聖書の章(品)の数:1189
◇969年生きた男:創世5・27
◇人の言葉を話したロバ :民数22・28-30
◇獣の心を与えられた人間: ダニ4・33
長さ4メートル、幅1.8メートルのベッドに寝ていた男 :申命3・11 聖書スペシャルデータ続き
◇90歳で子を生んだ女 創世17・17
◇重さ2.6キロの髪を持った男 :Uサム14・26
◇手の指12本、足の指12本だった男 :Uサム21・20
◇自分の子を食べた女 :U列王6・29
◇88人の子をもうけた男:U歴代11・21 B年年間第20主日
(浅はかさを捨て、命を得るために、父である神に感謝し、このパンを食べる)
回心
あわれみの賛歌
栄光の賛歌
第一朗読 箴言9:1-6
浅はかな者はだれでも立ち寄るがよい。
答唱詩編 詩編145・10+11、13ab+14、15+16
いのちあるすべてのものに、主は食物を恵まれる。
第二朗読 エフェソ5:15-20
19詩編と賛歌と霊的な歌によって語り合い、主に向かって心からほめ歌いなさい。
20そして、いつも、あらゆることについて、わたしたちの
主イエス・キリストの名により、父である神に感謝しなさい。
アレルヤ唱
福音朗読 ヨハネ6:51-58
このパンを食べる者は永遠に生きる。
信仰宣言
パンを供える祈り・カリス(杯)を供える祈り
感謝の賛歌
記念唱
主の祈り・平和のあいさつ
平和の賛歌
拝領前の信仰告白 聖書スペシャルデータ続き
◇三年間裸だった男 :イザ20・3
◇祈りにより寿命が15年延びた男 :イザ38・5
◇カラスに養われた男:T列王17・4
◇集団自殺した豚:マコ5・13
◇水の中で浮いた斧 :U列王6・6
◇燃える炉の中で平気だった人 ダニ3・20
◇海の中にできた道 :出エ14・22
◇まぬしに咬まれても平気な男:使徒28・5
◇ものを言う銅像 :黙示13・15 聖書を信じると大変な事になるが、
楽しんで読む分には、笑いあり涙ありの小説だねぇえ。
何というか人生物語かも。 >>888
日本ハリストス正教会では
プロテスタント福音派の解説に言う
古代教会で唱えていた詩篇での「食前の祈り」を
現在でも唱え、今に伝えている。
実用聖書注解 いのちのことば社 p665
詩篇
145篇
[概説]
表題の「賛美」は〔ヘ〕テヒッラーで、この言葉の
複数形テヒッリームが「詩篇」である.・・・
[注解]
・・・
15−16節は、104:27−28からの引用である.
この節は食事の感謝の祈りの一部として,また
古代教会では昼食の歌として用いられたと言う.
・・・
旧約聖書 詩編145編
15節
ものみながあなたに目を注いで待ち望むと
/あなたはときに応じて食べ物をくださいます。
16節
すべて命あるものに向かって御手を開き
/望みを満足させてくださいます。
『 日本聖書協会 聖書 新共同訳 』
日本ハリストス正教会 小祈祷書
【 食前の祝文 】
主(しゅ)や、衆人(しゅうじん)の目は なんじを望(のぞ)む、
なんじは時にしたがいて 彼等に糧(かて)をたもう、
なんじの豊(ゆたか)なる手を開きて、
もろもろの生ける者を なんじのめぐみに飽(あ)かしむ。アーミン。
【 食後の祝文 1 】
ハリストスわが神よ、
なんじが地上の福(ふく)を我等に飽(あ)かしめたまいしをなんじに感謝す。
求む、なんじの天国をも我等に得(え)しめたまえ。アーミン。 【 使徒信条の成立 】
[原典古代キリスト教思想史3ラテン教父 (小高毅編:教文館)によれば]
700年代以降のシャルルマーニュ時代の南フランスで成立し、
ローマや北イタリヤではないとされている。
1438年のフェラーラ・フィレンツェ公会議で、
[陰府に降りの文句の]
使徒信条は、
東方圏に伝わっていなかった事が分かり、
エフェソス司教マルコス・エウゲニオスが、
使徒行伝のエルサレム会議の描写に織り込まれていないので、
(東方教会の伝承としては)
知りもしないし、信条として宣言していない。と語ったと言う。
三人の主教(監督)による按手(アクシオスの儀式)で
使徒の教会である東方正教会では、
750年頃の西方教会の使徒信条を用いない。
381年ニカイア・コンスタンチノポリス信経を用いる。
使徒信条(シンボリウム・アポストロルム)の
現在型は、いつ出来たか?
700年代の南ガリア(アルル、プロバンス)で。
800年はシャルル・マーニュ戴冠のフランク王国の時代。
原典 古代キリスト教思想史 3 ラテン教父
小高毅 編 教文館
p182
13 古ローマ信条と使徒信条
・・・、一四八三年の
フェラーラ・フィレンツェ公会議において、
この信条が
東方圏では伝えられてこなかったことが
明らかになった。・・・
・・・。現在の形で、最初にこの信条が
文献に登場するのは、
八世紀前半のコンスタンス湖近くの
ベネディクト会修道院の
創立者ピルミニンの著作においてである。
・・・様々な変形が現れており、・・・
しかしながら、ローマで現在の形の信条が
用いられ始めるのは八世紀以降のことである。
・・・使徒信条の起源はローマにはなく、
シャルルマーニュの時代の典礼統一の動きに伴い
ローマに導入されたものと考えられている。
諸文献を比較すると、
現在の使徒信条に最も近い形が現れるのは、
七世紀の南ガリア、
ピレネー山脈からローヌ川までの地域である。
それがまずガリア、ドイツでその権威が確立され、
更にローマのものとして確立されることになったと
考えられている。 聖書は神の言葉です。聖書は神から私たちへのメッセージ、愛のメール LOVEレターです。
皆さん恋しい人からの手紙 金や宝石より貴重な尊い手紙 大切にしまっていますか?奈良わかりますよね 「聖書」を大切に大事に扱いましょう!拝めとはいいません、大事に読み解く必要なのです。 特に巻末の預言書の集大成「ヨハネの黙示録」は取り扱い注意する。理由は過去の投稿に再三書きました。とにかく、創世記から始まった「謎」(3章15節)の「解き明かし」が「黙示録」なのです。他に詩編やダニエル書やエゼキエル書の謎解明も担っていますです。 それでは次回より 黙示録14章の内容の説明の続きを執り行います。お楽しみに
インフォメーションでした。おやすみなさい。 エベンキ族、穢(ワイ)族
http://m.ameba.jp/m/blogArticle.do?guid=ON&unm=nakasugi-hiroshi&articleId=12084840897 ドイツ在住の姉妹
フィンクバイナー佳代さんの著作「黙示録をほどく」上下巻(文芸社刊)が種本ですね♪ >「大バビロン」が=バチカン
だとすると、獣の背後にはロス茶井留戸やロックフェラ(石屋)がいますよね
政治 経済 宗教に巣食う悪魔の組織が
http://blog.m.livedoor.jp/wisdomkeeper/article/52030911?guid=ON ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています