入信・信仰の理由
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宗教を信仰されてる方々へ
質問:
入信する前は、宗教に対してどう思われていましたか?
また、入信に至るキッカケや信じられるようになった経緯を教えてください。
入信前の自分に、なぜ信じられるようになったのか、なぜ入信したのか、なぜ信仰しているのかを説明するような感じでお願いします。
理由:
宗教は、いつの世にも存在し、信仰されている人口は膨大なので、相当な意義があるのだと思いますので、
私は、宗教を理解した上で、信仰するか、しないかを決めたいと考えていますが、
宗教を理解できず、信仰できる理由も分かりませんので、教えていただきたいのです。 宗教信じ切ってる人の数 0人
宗教に限界を感じてる人の割合 100.0% 100%ってことはないだろうけど
限界を感じる以前に、扱えてもいないと思う 信仰係数
30から50くらいのグラデーションの世界にいる。 ありがとうございます。
宗教を信仰されている方々でしたら、↓はいかがでしょうか。
宗教を信仰せず生きるのは不安
宗教を信仰することで
不安が軽くなる
不安が解消するかも知れない
不安が解消する
宗教に触れて
正しいと思える、目が覚めた
楽しい、充実感がある >>3
そうなんですね
それでも続けるのは罪悪感?
止めにくい? >>5
信仰するのは大変だと思いますが、
〉30から50〜
それなのに続ける理由は何でしょう? 家が代々仏教だったというだけで自分にとっては「葬式仏教」でしかなかった。
代々というけれど伯母は新興宗教の信者だが、身内には布教しない。
もともと日蓮宗だったはずがいつの間にか他の宗派になってた。そんなもので
いいのか、と青年期に思った。
中年にさしかかり、果たして自分は仏教徒なのかと自問したときに、聖書を読んで
キリスト教を信仰するに至った。まだ洗礼は受けていないし、この先受けないかも
しれない。ただ、自分の宗教観に最も近いのがキリスト教だった。 >プロテスタントとカトリック、どっちがいいの?
ーーー正教会を忘れないでね。
カトリック・正教会・プロテスタントはどれがいい?ではなく、その人の選択肢の問題。
誰にでもおすすめしていいものならカトリック。転勤や進学で海外に住むことになっても対処できる。絵画や彫刻や建築や工芸で
見るべき作品が多くつぶしがきく。カルト化する可能性はなく金銭的・時間的負担が一番軽い。富士塚(ルルド)や巡礼や数珠や神棚があり
日本人には最も理解しやすい。
正教会は定年になったとか自営業で海外も含めて転勤の可能性がない人に限る。(逆にいうと学生や転勤のある人には不向き)
金銭や時間の負担はカトリックほど軽くはないかも?ただカルト化する可能性はない。富士塚はないが巡礼と数珠と神棚はあるので
日本人には理解しやすい。
プロテスタントはカトリックや正教会と違って無法地帯なのでカルト化しやすく、キリスト教に詳しい人でないと見分けられないので初心者には難しい。
献金負担はピンキリなので近所にあるからくらいの安易な理由で行くことはできない。
カトリックは引っ越しをしてもいいがプロテスタントでは引っ越しをするとなると面倒なことになる可能性が。よって学生や転勤族には不向き。 >>12
「選択肢の問題」とは、どういう意味ですか?
そのような表現を見たことがないので・・・教えてくれませんか?
>>13
>>12はコピペで、元は多分ここ↓だと思います
■プロテスタント教会に通うカトリック教徒集まれ■
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1228647264/577
コピペの主が元の投稿者と同じ人なら的確な回答があるかもしれませんが
そもそも、長編コピペをする人はあらかた胡散臭いから
先の質問同様、誠意ある回答が期待できるかどうか・・・?? 教会の規模はこうなりますか。
カトリック>正教会>プロテスタント
〇東方教会
☆正教会・・・国ごとにまとまっています。ロシアはロシア正教会で日本は日本正教会です。病院でいうなら県庁所在地以外の、たとえば郡部にある町立病院みたいな感じかもしれません。
日本国内でいくつかの区に分かれています。ニコライ堂にいる主代郁夫府主教が総責任者です。
〇西方教会
☆カトリック・・・世界最大の宗教団体です。世の中の人間の5人に1人が信者です。病院でいうなら大学病院や国立病院等の大きな総合病院みたいなものですか。
カトリックも正教会と同様、日本国内でいくつかの区に分割されていまして、それぞれの区に司教座聖堂(カテドラル)と呼ばれる教会があります。カテドラルには司教や大司教や枢機卿といった
役員の聖職者がいます。たとえば東京大司教区(東京都と千葉県を管轄する)は文京区関口の東京カテドラル(聖マリア大聖堂。ここのルルドは一度は見に行ってください)です。
菊池大司教が責任者としています。
日本人枢機卿が本山バチカンから先日発表されましたが、前田枢機卿は大阪大司教区の責任者でもあり大阪のカテドラルにいます
ちなみに「カテドラル」という単語ですが、これはもともと役員聖職者の座る特別な椅子を意味する単語です。よってプロテスタントでカテドラルを名乗ることができるのは聖公会だけの特権です。
聖公会以外のプロテスタントにはカテドラルというものは存在しませんし、自分が勝手に建てた教会に「カテドラル」とつけることはできません。
☆プロテスタント・・・それぞれが好き勝手をやっている状態ですので個々の宗教団体の規模は小さいです。病院でいうなら個人で開業した町医者ですか。
本山がありませんので無政府状態です。よって責任者は存在しません。何があっても「そんなところを選んだ方が悪い」ということになります。
実は初めての人にプロテスタントは向かないのですが、よんどころない事情でプロテスタントに行かなくてはならないのでしたら、何も知らない人が自己判断で行くことはできませんので、
行く前にここで問い合わせて安全な教会を紹介してもらうしか方法はありません。 予想通りの展開だ
退屈しのぎに読みにくい長文に突っ込みを入れるか
それとも、添削でもして差し上げようか?
その前に>>13への返答を待つか・・・
それとも、例のスレに行って乱暴者キャラを引きずり出すか? おっと、失礼しました
×>>13
○>>14
ですね(「w。」) これも予想通り・・だが
まあ、あの悪長文にわざわざトピック拾ってコメントするのは
あまりにわざとらしいし、そもそも難しい
お礼挨拶で済ませる手しかないだろうなぁ
本部に報告入れとこうかどうか、悩む所 なお、>>12>>15の文章に突っ込みを入れる準備はしておきますので
何卒、「皆さん」よしなに
(この流れを初めてご覧になった皆さんに解説)
どこぞのキリスト教会案内・相談スレで蔓延するヤラセ質問に突っ込みを入れて
スレ指導者から「新興宗教狂信者」「キチガイ」扱いされ、あらゆる罵詈雑言を浴びせられ、追いかけ回された
そんな間抜けな宗教非信者・遊び人がワタシです
真面目に信仰する人は宗教に関わらず尊重するスタンスですが
他人をキチガイ扱いして自分の不始末をごまかそうとするような宗教信者に対しては
ちょっと懲らしめてやりたい、と思っています >>20
おたくもやられましたか
便利さや規模で信仰するなんてありえない
ありえない神経をしてるありえない人たちだからこそ
当然ぴったんこの団体に同化しなければならず
同類が集まるという神仏の摂理は一寸の狂いもなく遂行されるという
これほどシンプルかつ明確な証明はないので、彼らはこのことを実証するために存在する神様そのもの
私にはそうとしか思えないのです 当たり前のことを当たり前に発言する人を久しぶりに見た
しかもなかなかハイレベルな論理を携えて・・・
見え透いた自演をしたいつもの人は、恥を知ってほしい 教会に行かなくても信仰はできるが、牧師の説教を聴くだけでも行く価値が
あるのでなるべく行くようにしている。
信仰は内発的なものであり、理由ではない。 メソジストの流れをくむ教会に通い始めています。居心地はいいです。 カトリックかプロテスタントかを考えた場合、
地元には両方規模が大きめの教会があります。
プロテスタントの方は明治20年代に設立されたもので関連の大学などがあります。
カトリックも同様です。
どちらの教義が自分に合っているのかをいま考えているところです。
礼拝とミサの違いについても。 日本の大きなトレンドを当会はつくっている
まだまだ十分ではないものの、いつの間にか、当会は日本のなかでは最も競争力のある宗教になりました。
「競争力」という言葉は正確ではないかもしれませんが、旧い宗教は、もちろん、かなり゛刃こぼれ”していつでしょうし、
ここ数十年ほどの間にできた新しい宗教のなかでも、当会は、いろいろな面において、「先見性」、「先進性」がある宗教になってきたと思います。
当会の活動だけを見れば、「これが本当に宗教なのか」と思われるような面もたくさんあるでしょう。また、「そうは言っても、例えば政治運動などは、あまりうまくいっていないのではないか」と言う人もいるかもしれません
確かに、そういう見方もあるでしょうが、私たちが言ってきたことの多くは、いろいろな政治家や政治団体、政党等を通して、次々と実現しつつあります。
つまり、あとから押して実現してきているわけです。
go to
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1218315050/809 >>1
>入信する前は、宗教に対してどう思われていましたか?
「自分の所属する宗教こそは一番」といった思い上がった連中が集まる場所というイメージ。
>また、入信に至るキッカケや信じられるようになった経緯を教えてください。
とある宗教団体に勧誘され、この団体には年頃の若い女性信者が多かったので、
ちょっかいを出して、あわよくば引っ掛けてやろうという下心からこの団体を利用・活用。
お見合い・ねるとんパーティー会場の代わりのように用いてやろうという腹積もり。
また、多少は元より心霊主義的傾向が有ったがゆえに、この団体の教理も参考にして、これを極めてやろうと。
>入信前の自分に、なぜ信じられるようになったのか、なぜ入信したのか、なぜ信仰しているのかを説明するような感じでお願いします。
「俺って、若かったんだなー。下心満載の俗物そのものじゃねーか。ただ、きっかけはそんなんでも良かったと思うねー。
いくら不純な動機だったからといって、教団幹部連中に比較すれば信者からお金をだまし取ってやろうとしない分、遥かにマシなことが判明したのは収穫だったな。
お金を献金することについては控えておきながら、献金をせがむ女の世話人さんを威嚇しておいて、”怖い男”と思わせることで献金被害もなかったわけだし、
この教団との取引、全体とすれば利害関係が一致してたこともあって、バーターだったんじゃないの?
ただ、損益計算書に、数字によって記せるわけじゃあないから、本当のことは実は今も分からないまんまなんだよね」 >>1
私は18ぐらいのころに
座禅とか瞑想に興味もって
独自にやっていたころ
テレビで一般の人でも雲水になれる寺を紹介していて
飛びついて連絡もいれずに突撃しました
そのまま受け入れてもらえまして
半年ほど雲水な生活しましたが諸事情あって下山して
その後雲水仲間に教えてもらった
インド宗教の団体を訪ねてヒンドゥー坊主と親しくなりました
今は普通に働いて暮らしています
まあ、私にとっては宗教云々というよりは
自分なりの人と出会う方法だったようです
私にとっては宗教との関わりというよりは
人との関わりですね
もちろん日常で瞑想や心理的なことで学んだことを
実践していることはありますが
個人的なことでしかないです ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています