死について今考えた事、どうせヘボ妄想だけど 普通言葉で言う意味の 死は国語辞典で言われる死で考えないと他の人と
意見の基盤が合わない。宗教的な死は書く宗教でバラバラても必ず死後は何かがあるのが宗教。それが無い宗教はもしかし
たらあるかもしれないけどわ私は知らない。でも何かが魂なのか伸我なのか根元なのか私は有るルールで私考えるか?
今は死の定義は脳死なのか心臓死なのか議論しているけどそれは臓器移植のために何とか利用出来ないかの社会の都合で
議論され真剣に宗教的とか哲学的に国が考えるわけではない。いまでは生き延びる事が良くわからん死後より楽しいと
経済的に国から思われている。要するに今は医者と国の利益つくる応用科学が尊ばれる時代.何かいつのまにか国の不満で
私の言いたい死の生物的定義の考え妄想の行は尽きたでも今からあべまで藤井7段の将棋が始まる仕事は暇だし其処に私の
見る聞く心は以降。脳とはなにか心臓とはそれは後回し ぽ師匠に何か書いているようで何も書いていないと言われる鴨