(つづき)むかし即公監院という僧が、法眼文益禅師の門下にあったとき、禅師はつぎのように問うた。
法眼「即監寺よ、お前は私のところに来て何年になるか」即公「私は師の門下になって、すでに三年たちました。」
法眼「おまえは後輩であるのに、どうしてかねがねわたしに仏法を問わないのか」
則公「わたしは和尚をだますことはできません。実をいえば、以前に私が青峰禅師のところに居ました時.仏法の境地に
通達する事ができました。」 法眼「おまえはどういう言葉によって境地にいることができたか」
則公「わたしは以前青峰禅師に問うたことがあります、『仏道を学ぶものの自己とはどういうものでしょうか』とすると
青峰禅師が言われるに、『』丙丁童子来たって火を求む(燈火をつかさどる子供が火をとりにやって来た)」
法眼「それは良い言葉だ。しかしおそらくおまえは理解していないであろう」
則公「丙丁とは火のことです。したがつて、火をもってさらに火を求める、いわば自己をもってさらに火を求めるに似て
いると理解しております」
法眼「なるほど、おまえの理解してないことが良くわかった。仏法がおまえのいうとおりであるとすれば、今日まで法は
つたわらなかったであろう」 そこで則公はむっとして、ただちにそこを立ち去った。しかし中途まできて、思った。
「禅師は天下の高僧であり、また、五百人をおさめる優れた指導者である。わたしのあやまりを忠告してくれたことに
ついてさだめし聞く点があろう」そこで則公は禅師のもとに帰って、非礼を懺悔して、礼拝して問うて言うに、
則公「仏道を学ぶものの自己とはどういうものでしょうか」
法眼「平丁童子きたりて火を求む」
則公はこの言葉を聞くやおおいに仏法を悟る事があった。