海印三昧 ・・「この法が滅するときは、我が滅するとは言わない。まさしく「不言我滅」の時は、すなわち「此法滅時」
である。滅とは言つても、それは法なのである。法であるから対照的な物では無い。対照的なものでは無いから、汚される無
い<不染汚>。この汚されていないという事が、すなわち諸仏・諸祖である。「汝もまたこのとおりである」と言われる。誰が
吾でないものが一人でもあろうか。前念後念みな吾であるから。この滅はさまざまな見方が伴っている。例えば滅は、仏から
言えば無上の大涅槃である。凡夫から言えば死である。外道から言えば断と言う執見である。また二乗(声聞・縁覚)から言え
ば安住所である。このようにさまざまな見方はあるけれれども、その全てが滅の功徳である。・・・ 
各々方夢夢ゆめだから言えど軽んずる事は無い野鴨。法はルールを皆で守るけど?そういう物があるわけでは無い?でも怪我
れのもそういう役目鴨?修業するのは仏さん私は関係無しで良いのか?でも修業は今気が向かない無理には無理で好いのか?
でも悪い考えがないし。個の用あの世うも今のレベルかあれ仏さんもさぼっているのか?悟りめざさないのかもうホットけ
まあ良い化。何で修行しないといけないのだろうか?無欲だなあ今エネルギーが疲れている.私は法を都合よく解釈するし
蟻のままでは何か不味い野鴨 でもまあ良い化いい加減