赤布団と仏?要するに赤布団とは仏のおかれた環今日なのか?僧言うひとは社会観今日は宗教団体が面倒みてくれるので
食うとか住まう心配は無く肉体と言うか要するに頭の妄想を瞑想にかえ名僧をめざして坐禅すれば良い簡単な如何に生きる
べきか過去を見捨て現在から未知なる未来が如来の道になる野鴨?でも団体自体が時間に古い落とされて勝ちの無いオマケ
の存在になる現実がキリスト教の一派の物見の塔の人達を見てまあクダラン説教を我慢して聴くのもまあ良い経験だし
まあ良いかと学んだ。ふと思うと神もその時代その環境に生きて化けていて.時に古いい落とされ行く野鴨。古い加身と
いう赤布団?だいたい宗教と言う生命団体も社会という環境の中で生き定価なければ生存競争に負け殺されるので
生きるための煩悩を保持して変わり果てても生き続ける事ができる結果.宗教の本来の目的は隠れて観えなくなった野鴨。
じゃ私が本来の目的解るのかと言われても正直に答えればわかりません。すいません。要するに未知知るべえの先に
未来に.この如に来たが待っていると思うだけなのか。毎日だらだらとすいません。
あーみんな ひまわり https://www.youtube.com/watch?v=Sf6NKrjc60c