海印三昧 ・・「この法が滅するときは、我が滅するとは言わない。まさしく「不言我滅」の時は、すなわち「此法滅時」
である。滅とは言つても、それは法なのである。法であるから対照的な物では無い。対照的なものでは無いから、汚される無
い<不染汚>。この汚されていないという事が、すなわち諸仏・諸祖である。「汝もまたこのとおりである」と言われる。誰が
吾でないものが一人でもあろうか。前念後念みな吾であるから。この滅はさまざまな見方が伴っている。例えば滅は、仏から
言えば無上の大涅槃である。凡夫から言えば死である。外道から言えば断と言う執見である。また二乗(声聞・縁覚)から言え
ば安住所である。このようにさまざまな見方はあるけれれども、その全てが滅の功徳である。(そのうち続く)・・・ 
各々方夢夢ゆめだから言えど軽んずる事は無い野鴨。法はルールを皆で守るけど?そういう物があるわけでは無い?でも怪我
れはそういう役目鴨?今自由民主主義の大人はバーチャルな低い煩悩将棋や無料アダルトか?全く安心で穢れ無いのか?修業
するのは仏さんまかせで私は関係無しで良いのか?でも修業は今気が向かない無理には無理で好いのか
いくら今は自由民主主義の時代で此処は自分の意見を自由に書き込める処だとしいも?私は皆さんと比べれば今宗教に熱心
で無い勉強もしなく無気力な暇なとき