如何しても私に疑問が残る。私には仏教やヨーガはこの世を何故否定しているように思える。
キリスト教は産めよ増やせよ地に満てよで生きるための煩悩肯定しているのに?仏教はいや
鬼和尚さんの考えはこの世は無い方が苦しみもなく間違いも無いと何故考えるのか?御釈迦
さんの逸話ではこの世の生きる苦しみ.病気.体が老いていく.そして死ぬという儚い
この世の苦し身に生きる意味が無いと僧いう人になり旅だったとか?この世の社会も意味が
あるのかないのかで.煩悩はある意味生きるために身につけならない必要な本能で否定したら
この世に着たのが間違いと言っている事と同じでよくわからん。例えば愚かな動物が弱肉強食
の世界みて人間が愚かと見ている様に上から目線でみれば我々もそう見られているのだろうか。
藤井六段から見れば我々の将棋はお先真っ暗で何も先が観えない眼暗な将棋と上から目線で
眺められているのか?本当は何が正しいか解らない上の人解るのかと反発するのはよくわからない
からか?でも何か仏教は現生を否定してたどり着いたらそれは本当はドッキリだつたと教えるのか
もう仏教の本意が解らない?下手な考え休むににたりで体験せよそうすればポ師匠や鬼和尚さん
あなたたちは間違いだらけ教えくれてありがとうと頭をポカリと殴って気晴らしする日がくるのだ
ろうか。真実なんて嘘はっびゃくでも体験は大事?この世否定てしてるようで肯定している