イエスは、善悪を説いたが、その定義は出来なかった。自分でも意味の
分からない言葉に自己陶酔していただけ。
イエスに代わって、私は善悪を次の通り定義する。
「善とは、他者の生存を助ける行為。悪とは、他者の生存を害する行為」。
「行為」であることが重要。生存共同体においては、他者の内心の信など、知ったことではない。他者に対する行為のみが、問題になる。そして「生存」は、生物の一種属としての人間の「すべて」である。イエスもパウロも、
このことに思い至らなかった。

キリスト教のすべての問題は、この点から発生している。