ナグ・ハマディ文書U 福音書 岩波書店 荒井献・大貫隆 小林稔・筒井賢治 訳

【 フィリポによる福音書 】

§33「父」と「子」は単純な名前である。聖霊は二重の名前である。
なぜなら、それら(父と子)はあらゆる場所にあり、上方にあり、下方にあり、
隠されたものの中にあり、明らかなものの中にあるが、
聖霊は啓示の中にあり、下方にあり、
隠されたものの中にあり、上方にあるからである。

§125bそれ(寝室)が隠されている間は、悪が働かない。
しかし、それ(悪)は聖[霊]の種子の間から取り去られたわけではない。
彼らは邪悪の奴隷となっている。
だが、もしそれが明らかにされるとき、そのときには、
完全なる光が[あ]ら[ゆ]るものの上[に]流れ出るだろう。
そしてその中にいるすべての者は塗[油を受けるだろ]う。
そのときには、奴隷たちは自[由]となるだろう。
[また]縛られた者たちは解放されるだろう。

§92しかし、生命の木は楽園の中央にあった。また、オリーブの木も。
その(オリーブ)木から塗油の油が生じ、その塗油から復活が〈生じたのである〉。
§90a「人はまず死に、それから甦[るであ]ろう」と言う者たちは間違っている。
もし、人が初めに、生きている間に復活を受けなければ、
死んだときに何も受けないだろう。

§90b洗礼についても人々は全く同様に語って、次のように言っている、
「洗礼は大いなるものである。
なぜなら、もし人がそれを受けると、生きるであろうから」と。