>>496
> よく知られるようにパウロは福音書を引用していない

確かにパウロ書簡が先に書かれ福音書が後に書かれているからでしょう。
それは私も認識しています。

ただユダヤ教の「契約」の概念や「隣人愛」は
聖パウロにも主イエスにも共通の概念だし
主イエス昇天後の聖ペトロや聖ヤコブの教団は
洗礼者ヨハネの教団を合併したと思われているから
「洗礼」を授ける教えが含まれている。

新約聖書の福音書にも聖パウロにもある「共通の教え」は
パンと杯を使った新しい契約としての「聖餐」・
聖霊の洗礼や水の洗礼など種々の「洗礼」・
十戒のうちの盗むな殺すな姦淫するななどの「隣人愛」ではと。

主イエスは何者かについては福音書で
主イエスが取りつかれている人から悪霊を追い出された時に
悪霊は主イエスに向かって「神の聖者」だと言っているのです。
悪霊の証言では「罪人イエス」とは言ってないのです。
これは立場や認識の差だとは思うのですが。

ところで貴殿は
新約聖書の書簡と福音書の教えの共通項と
主イエスは何者かなどについて
ドウ思われますか?