マインドフルネス瞑想 Part9
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マインドフルネス瞑想は、宗教色を抑えて広く活用されやすくしたものですが、その元には宗教があります。
そこで当スレでは、マインドフルネス瞑想を主として、派生的に、あるいは根元的に宗教的な話をしましょう。
前スレ
マインドフルネス瞑想 Part8
http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1519401863/
メンタルヘルス板
【瞑想】マインドフルネス 6【気づき】 http://mevius.5ch.net/test/read.cgi/utu/1508008965/ >>895
観照状態になった時には一時的にそのような視覚の変化が起こる場合も多いそうです 私もビルの看板とかネオンを見た時にわー なんか見え方が違う 何だこれ と思ったこともあります
そういう意味じゃなかったらごめんなさいね ただ一時的な現象です 前にも書きましたけど正坐をしすぎて足が痺れるぐらいの現象だと思って気にしないで下さい
一気に釈迦レベルの意識状態まで行ってしまってる場合にはまた違った意味合いですが 私はそこまで至っていないのでわかりません 🌟 あなたに贈る言葉@
真実の世界に目覚めよ
この世は、真実の世界から見たならば、
ちょうど正反対の世界である。
あなたがたが、その目でもって見ている、
この世の世界というものは、
ちょうど、「池のなかを覗いて、
その水面に、鏡のごとく映っているわが姿を見て、
自分だと思っている」のと、同じなのである。
あなたがたの見ている世界は、本当の世界ではない。
目の前にある、池の上に映った世界にしかすぎないのだ。
言葉を換えるとするならば、
あなたがたが、
現実であり、真実であると思っている、その世界は、
「真実の世界を映している、模倣している、
その影絵にしかすぎないのだ」と、知らなくてはならない。
あなたがたは、
映画のシーンを観て、現実だとは思わないであろう。
同じように、真実の世界から、
この世界にて生きている、あなたがたを見ている、
霊的世界の者たちの目には、
あなたがたの実社会や学生の生活が、
映画のように見えているのだ。
それは、現実を模倣したフィクションの世界であるけれども、
そのフィクションの世界が、まさしく、
あなたがたが生きている、その世界そのものであるのだ。
あなたがたが真実の世界だと思っている世界が、
真実の世界ではなく、
あなたがたが夢幻だと思っているところの、
昔話や、伝説や、宗教においてのみ、聞いたことのある世界が、
実は、本当の世界なのである。
−「目覚めたる者となるためには」より
🌟🌟 大川隆法著 「伝道の法」より
→
http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1521134950/42 普段人は何重にも認知のフィルターを通して物を見てます。
瞑想によって、概念化がある程度停止した状態で見ると、それらのフィルターを通さずに見るので、やけにリアルに感じるんですよ。
それでも、まだまだありのままの真実には程遠くて、本当に純粋な世界を見ようと思うなら、少なくとも1万時間は坐る必要があると先生はおっしゃってますけどね。 >>899
毎日8〜9時間坐って、3年かかる。
まぁ、それぐらいかかるんだろうな。 ニー仏さんは、目に入るものが単なる色の組み合わせでしかないとこまで行ったらしいけど、そんなにかかったのかなあ とか言いつつ、未来に違う自分を求めるのは、マインドフルネスとは違うのではという思いも まぐれでサマディに1回入れた程度なら、10日間もあれば
入れる人は入れる。
安定していつでも再現できるようになるのは、また別。 サマーディにもよるけどまぐれでいいなら瞑想もしなくても経の内容読んだだけでも一瞬でなるひとはなるでしょ
自分が作ってる錯覚を取っ払うだけなんだから 身体の感覚、五感全部消えて、思考も止まってないと
サマディとは言わないのでは。 サマーディは完全に今の自分である状態なので
修行を続けて将来違う自分になるんだみたいな意識は邪魔になる バイノーラルビートで脳波を変化させられる、リラックスできるというのがあるが、しらべると科学的事実として確立されてるわけではないようだ。
この著者が言い出した理屈らしいのと、実験したら効果なかったという記事みつけた。
奇跡を引き寄せる音のパワー (CDブック) | ジョナサン・ゴールドマン, 宇佐和通 |本 | 通販 | Amazon
2009/6/16
https://www.amazon.co.jp/dp/4584131678
ヒーリング効果があるとされる「バイノーラルビート」は実際の脳波にどんな影響を与えているのか? - GIGAZINE
結論
実験結果をもとに研究チームは、「バイノーラルビート音源は脳波に明確な同調作用(エントレインメント)を及ぼさない」と結論づけています。
実験では、17Hzに加えて8Hzのバイノーラルビート音源が同様に実験されていますが、こちらも同様に明確な結果は確認されなかったとのこと。
研究チームは「実験内容にはいくつかの制限がある」として、以下の点についてさらなる検証が求められることにも触れています。
検証時間
今回は5分ずつに区切った実験が適切と判断したが、実際にはより長い時間をかけた実験が求められる可能性がある。
周波数
バイノーラルビートによる効果は、特有の周波数にのみ表れる可能性もある。
被験者の選び方
おそらくバイノーラルビートによる効果には個人差があるものと考えられる。さらに多くの被験者を用いて効果の有無が検証されるべきである。
https://gigazine.net/news/20150624-binaural-beats/ そう言えばソルフェジオの528hzをYouTubeから流しながら瞑想していたという人の記事を見たことがあるなあ
その時は528hzとかソルフェジオかプチブームになっていたからその人はプラシーボ効果も相まって瞑想が捗ったのかもしれない
自分はこの一定て揺らぎがない音を聴くのは苦手ですが
https://youtu.be/mD0DmtQAfWo ・すこしはましになっているかもしれないと思って、次の瞬間、その次の瞬間とあせったところで、どの瞬間もあなたの人生であることには変わりはないのです。
・同じ瞬間というのは、二度と訪れません。
今の一つひとつの瞬間に、かけがえのない可能性が秘められているのです。
初心を忘れないということが、この簡単な真実を教えています。
・あなたは、誰かのようになることはできません。
人は"より自分らしくなる"ことしかできないのです。そして、瞑想というのは、より自分に近づくために行うものなのです。 瞑想がある程度睡眠の代わりになるのってどれくらいやってきたらなる? ちょくちょくそんな感じの記事とか見たりして試してみるんだけど
あんまり効果ないんだよね 瞑想の効果がふだんの昼間の時間帯に効いてきてストレスが減ったり
睡眠が効率的になったりはあると思うけど
代替にはならんだろうなあ 起きている間に生じる知覚や感情、記憶の整理が睡眠中に行われるが
日常瞑想してればそれらが生じてもその場である程度整理されてしまうのでその分睡眠量は減る
悟った人は寝ない(肉体は寝ても意識はずっとある)というもそのせいもあると思う 瞑想をしてる奴はしてるだろ
その深度に違いがあるだけで 瞑想が無意味ってのは案外本質ついてるかもね
正確にいうなら、意味以前なわけで 無意味だと思ってた方が、何年瞑想すれば超能力的なものが身に付くんだろ
みたいなこと思いながら瞑想するよりいいかも知れんね ずっと気づいていると
それすらも出てこなくなりますよ みんなどんな瞑想してますか?
1.呼吸を観察
2.呼吸しながら全身を観察
3.ボディスキャン
4.歩行瞑想
5.手動瞑想 >>932
4と5に近い気がするけど、ラベリング瞑想してる。
あらゆる物事に頭の中でラベルを貼っていくことで自我が勝手に過去や未来に怯えないようにしている。 >>932
三密加持
身心脱落による只管打座とかいうのは帰謬論証の空観からすると馬鹿げた話、自己矛盾に陥った状態であり、マインドフルネスと同じくどこまでやっても無意味 >>935
そんなお方がなんでまたマインドフルネススレまでご出張あそばして
罵詈雑言だか駄弁だかの類を発しないと気がすまないのでしょうかね 1日に17万通り考えているか・・^^
そのうちのほとんどが過去と未来のこと・・^^
う〜〜ん^^ 想念に囚われずに流せ・・・^^
執着するなということやな・・・^^ >>939
◼︎道元 典座教訓
「宋の天童寺に留学中だった私(道元)はある夏の日、中庭で寺の老典座(食事係)が海草を干しているのを見た。
老人は眉は白く腰は曲がっていたが、炎天下に竹の杖をつき、汗だくになり、苦しそうに働いていた。
私は気の毒に思って近づき、年齢を聞くと老人は『68歳だ』と答えた。
『なぜ、下働きの者にやらせないのですか』
老人は答えた。『他の者とやらは、私自身ではない』
『なぜ、今のような炎天の日中にされるのです』
老人は答えた。『今のほか、いつを待てと言うのか』
私はその場を離れた。そして廊下を歩きながら、典座職の重要さを考えたのであった」
「また私が上陸許可を待って港の船の中にいた時、ある老僧が食材の買入れに港にやってきた。
船室に招いて茶を勧め、話を聞くと
『私は、阿育王寺の典座である。故郷を出て四十年、歳も六十を越えたが、これからまた20キロほど歩いて、食事の用意に寺まで帰らねばならぬ』
『飯の用意など誰かがやるでしょう。何か差し上げますので、ゆっくりしていかれては』
『それは駄目だ。外泊許可を貰っていないし、典座は老人にもできる修行、他人には譲れぬ』
私は聞いた。
『あなたほどのお年なのに、なぜ忙しく働いてばかりいて、坐禅したり先人の教えを学ばないのですか。それでいったい何のいいことがありましょう』
老僧は笑って言った。
『外国からきたあなたは、どうやら何もわかっていないようだ』
私はこれを聞き、大いに驚き、また恥じた。
そして老人は「もう日も暮れた。行かねばならぬ」と立ち上がり、寺へと帰っていった。
私が多少とも修行のことを知るようになったのは、実にこの老典座の恩によるのである」
道元は日本に帰国してより建仁寺に留まったが、建仁寺の典座が食事の用意を軽く考え、職務を適当に行っていることを見、宋との落差を非常に遺憾とした。
そして『典座教訓』を執筆し、典座職の重要性と、その職務要領を詳細に書き残した。 「觀音導利興聖寶林禪寺住持傳法沙門道元記」
典座教訓は嘉禎3年(1237)春、道元禅師が三十八歳の時、
興聖寶林寺で、特に典座の役職について教え示されたものである。
ふむふむ^^ 釈迦の時代には食事の用意なんて自分ではしなかったのに インド文化圏には解脱の概念があるが、
中国以東の儒教文化圏では、解脱思想は反社会的ニート行為だ(と見なされてしまう)から。 一般の人間が、無我や輪廻などの真諦を理解することは難しい。
説くに、(人間の)思考概念を通して理解することは、ほぼ不可能。 一般人の道徳観からすれば、他人様のお役に立ててこその仏教でござろう、
みたいな話になってしまう。
只管打坐とか、無意味で無価値にしか見えないでしょ。
人間的、世俗的価値観の尺度で測れば、確かに無意味で無価値と言えるでしょうし。 迷いの世界(六道輪廻)の価値基準で、悟りのことを判断すること自体がナンセンス
なのだが、言ったところで角が立つばかりでしょうがないし。 映画「マトリックス」に例えるなら、マトリックスの住人と
マトリックスが虚構であることを知ってしまった主人公たちとが、
決して同じものの見方にはならないのと一緒。 >>947
> 一般人の道徳観からすれば、他人様のお役に立ててこその仏教でござろう、
> みたいな話になってしまう。
そうかな。「小乗仏教、大乗仏教」レベルの知識は高校くらいまでに
ガッコで習うでしょ ニー仏さんの本を読むと無我とか輪廻とか分かりやすい 医学部で勉強中の学生に向かって、患者を治せてこその医学でござろう、みたいな批判的な視線を向ける人は、
医学と医療、学生と医者の区別もできてない。
ブッダも、まず自己を修めて、のちに人を教えよと仰っている。
私は、自己修養していない人(悟っても解脱してもいない人)が、いきなり菩薩になれるとは思わない。
自己を修めていない人が気取る大乗仏教とは、菩薩ごっこでしかないと思う。
そこにあるのは、悟りの智慧からでる慈悲ではなく、人間的な常識と良識からくる人情であって、人智を越えた
悟りと解脱に導く力はない。 大乗仏教ごっこ、菩薩ごっこ、wanna be a 菩薩。
こういう人たちが言う「小乗仏教」という言葉からは、悟りと解脱の智慧を欠いた
形骸化した仏教の腐臭が感じられる。 菩提心を発すというは、己れ未だ度らざる前(さき)に一切衆生を度さんと発願し営むなり、
設(たと)い在家にもあれ、設い出家にもあれ、或いは天上にもあれ、或いは人間にもあれ、
苦にありというとも楽にありというとも、早く自未得度先度佗(じみとくどせんどた)の心を発すべし。
其(その)形 陋(いや)しというも、此(この)心を発せば、已(すで)に一切衆生の導師なり、設(たと)い七歳の女流なりとも即ち四衆(ししゅ)の導師なり、衆生の慈父なり、男女(なんにょ)を論ずること勿(なか)れ、此れ仏道極妙の法則なり。
若(も)し菩提心を発して後、六趣四生(とくしゅししょう)に輪転(りんでん)すと雖(いえど)も、其(その)輪転の因縁 皆菩提の行願となるなり、
然(しか)あれば従来の光陰は設い空(むなし)く過すというとも、今生の未だ過ぎざる際(あい)だに急ぎて発願すべし、
設い仏に成るべき功徳熟して円満すべしというとも、尚(な)お廻らして衆生の成仏得道に回向(えこう)するなり、
或は無量劫行いて衆生を先に度(わた)して自からは終(つい)に仏に成らず、但し衆生を度し衆生を利益(りやく)するもあり。 >>953
ああ、ごめんごめん
自分がガッコで習ったときの用語を用いたまでで
侮蔑的な意図はないよ 瞑想するときは、何か綺麗な景色をイメージしても良いでしょうか?
無になろうとすると集中が難しいのですが。 >>956
十牛図も知らないし、分かってるのか、分かってないのか判断できる材料がない。
悟ったわけでもないので、知識として理解している人も、多分、本当には分からないはず。 一から九までをすっ飛ばして、十だけが仏教でござるみたいに思ってるとしたら、
それは勘違いだろう、という風には思う。
そして、そういう人は仏教徒を自認する人のなかにも多い気がする。 >>957
うーん 一般的には自分を観察する瞑想ではそういうイメージは使いませんが どういう目的 瞑想に触れたルーツはどんなものだったでしょうか?
もう少しそういうところを教えてもらうとアドバイスもし易いかもしれません >>958
十牛図の勉強をしてから>>947みたいなレスをした方がいい
何のために只管打坐を行するのか、座ってるときはそれだけが目的でも、結局その後があるのだからな
あと君も悟っているわけではないので分かってないことをグダグダと言うのはやめようなw
君の行為はスレ荒らしと変わらないから 好きな人に拒絶された痛みがたまに戻ってきてつらい
昨日職場でひさびさに近くで仕事して、お互いに避けあっていて辛かった
今日は休みだけどそのことで多くの時間を無駄にした
いろいろと工夫してるけど裏目に出たりうまくいかないです >>932
全部それなりにやってましたが、今は基本的に1,5ですかね。
どれも個性ありますし、気分によって使い分けしますね。
落ち着きがない時は1で、元気を出したい時は5みたいな感じで。 >>963
そうですか。私は2.3かなぁ。特に2はああ今ここに戻ってきたんだなぁという感じです。
ヨンゲイミンゲールリンポチェの本にある「対象のない瞑想」に近いです。
今は肉体的にきつい状況なので、2.3が好きなんですね
>>962
それはきついですね。相手も何らかの感情があるから、拒絶という態度に出ている可能性が
高いと思いますが、個人的な経験から言うと、自分の場合は好きでもうまく行かなかったです。
執着から来た感情だったので。まあその人とうまく行くもよしですが。
そのきつさも無駄だと思った時間も、いずれ過ぎ去る。そして新しい良いものがやってきますよ。
その人があなたの人生に現れる前は、その人が現れるとは想像もしなかったはず。
たぶん一年後には、あなたが想像もしないもっと良い出会いがある。なんて聞き流してくださいね 拒絶反応
○怨憎会苦(おんぞうえく) ── 会いたくない人や物に会わねばならぬ苦しみ 俺は土の中のコンテナで瞑想してるぜ。尊師のクソアホ俺に水中クンバカ5分もやらせやがってマジでコロ助する機かよ、あのクソロンゲ。テメーかクンバカする時には毒ガス仕込まれてるから、やらんとか言い出してマジで大草原 瞑想つってもいろいろあるわけで「綺麗な景色」をイメージする瞑想もあるだろうけど
それは「マインドフルネス瞑想」なのかなぁ マインドフルネス瞑想ってのは、雑にいうと心に浮かんできたものをそれに取り込まれることなく観察するものでしょ
イメージを利用するなら、サマタ系は該当するかもしれんけど・・・
どっちかっていうとヒプノセラピーとか前世療法とかNLPとか、AIBO開発者さんのやってるやつとか、そっち系の瞑想でしょ 瞑想する時には、イメージは持たない方が良いと言うことですね。
ありがとうございます。
過去の嫌なイメージが出てくることがあり、美しい風景に置き換えてしまうのは邪道で、観察するしかなさそうですね。 >>971
それは此岸の尺度。
わたしが向かっているのは、お彼岸。 瞑想する時に無になろうなんて考えてないな
呼吸を観察しようと思うだけ 嫌なイメージの観察なんかしなくてもいいんじゃないか
手離してまた呼吸に戻れば 向かっているということは、今ここにはない場所なんだ 瞑想にも色々あって、チベット仏教ではヴィパッサナのほかに、菩薩が液薬を頭からたらすとか、
オームの字を観想するとか色々ある 穏やかな気持ちになれる!自宅で簡単瞑想法「阿字観」のやり方
https://mor-phey.com/taste-view-way/
>「阿字観」は真言宗、いわゆる密教の座禅なのですが、本尊に描かれている「阿」にはどのような意味があるのでしょうか。
>「阿」というのは梵語の第一字母で万物の不生不滅の原理「諸法本不生」を1文字で表したものです。
>人間は生を受けてから「得た」「失った」「美」「醜」などで一喜一憂します。
>例えば、今冬はボーナスが少し多くて嬉しかった、逆にボーナスが下がって辛かったなどですね。
>悟りを開いた目で見ると、それらは人の心の中で生まれて消えていくだけと映るのです。
>悟りを開いた目で心理のことを「諸法本不生」といいます。
>また「阿」は大日如来の象徴でもあります。
阿字観瞑想と言えば大日如来の種子である阿字(の梵字)を描いた額を目の前にして大日如来と一体化して即身成仏する瞑想というイメージがあったけど、
ここで紹介されてるのは自宅でも出来るもので集中と観察を兼ね備えているものみたいだな。
今入院中だけど退院したらやってみるかな。
ってか入院初日の今日21時消灯でも眠れん。
奥の手で寝たまんまヨガ使って今から眠りに入ろう。 34: 名無しさん@おーぷん 2018/04/06(金)19:26:06 ID:x5K
科学も宗教の一種だとか言う奴たまにいるけどどうなの?
38: 名無しさん@おーぷん 2018/04/06(金)19:33:25 ID:f86
>>34
まるで別のもだろ
論理的根拠と観測に基づくのだから
地球が丸いと観測されてるのに平面であると言い続ける奴がいたらそいつは宗教的だろうけど
41: 名無しさん@おーぷん 2018/04/06(金)19:35:49 ID:8di
>>34
自然科学という思想は必ず客観的な事実によって証明されていなければならない
しかし事実の証明自体に限界があるわけで
たとえばジュラ紀の恐竜の体色なんか化石に残ってないからイラストレーターの想像で勝手に描いてるし
宇宙の果てがどうなってるのか?なんてのは仮説の仮説でしかない
そうすると自然科学も事実証明の限界を超えると宗教化するものだと言わざるを得ない 闇雲な思考否定は様々な問題を引き起こすとプラユキ師が言ってるな 不善心(アクーサラ)ではなく、善心(クーサラ)を引き起こすように
正念を保ち、正見に基づいて正思惟し、正語、正業、正命に努める(正精進)。
これが1年365日、24時間、死ぬまでずっと続くように安定してくれば
正定、正しい心身の統一になってくるのでは。
つまりは身口意の行いを四諦に基づいて統一するっちゅうことだよね。多分。 思考が完全に止まるのは、禅定などのサマタ瞑想のサマーディのことであって、
そうでない限り、思考がなくなることはないと思うよ。 六道輪廻から輪廻のシステム分解していくと面白い。欲がつきない苦しみ、悪の布施、天道=地獄道とか 輪廻の観察・分析は、サマーディに入った上でのヴィパッサナーじゃないと無理らしい。
サマーディの定力がないと、過去世とか思い出せないし。
頭で考えた思考概念のなかで輪廻について考えても、それは思考という自我のなかに
生み出した思考概念でしかないからね。
輪廻の分析をしたいなら、仏陀やその直弟子たちのように、止観双運でないと無理ぽ。 過去世の記憶は、脳の中にはないし。
今使ってるその脳みそは、過去世には存在してなかった。
そんなところに過去世の記憶はない。
これに関しては、頭で考えて分かることと違う。 >>985
能書きはいいから自分の瞑想の体験談を書いてよ 瞑想体験から出てきた洞察だよ。
体験を書いたら書いたで、どうせ文句言うくせに。 >>987
座学優先での洞察にしか思えないのですがあなたのレスを見ると 過去世って何?
もしかして生まれ変わる前とかそういう話? マインドフルネス瞑想はやるけど、生まれ変わりとかは信じられんわ
輪廻に関しては、今の生きてる状態というのが生成消滅を繰り返してる状態なので、それが輪廻だというのが俺の理解 仮に生まれ変わりがあったとして、無我で何が輪廻するのか議論の対象になってたりするっぽいのに、生まれ変わる前の記憶って何ぞ? 実際には生まれもしないし死にもしない
自我という幻想視点で観ると生まれたように思えるし死んでしまうように思える
しかしその元となる視点が幻想なのでそこから連鎖する生滅もやはり幻想なのである 輪廻転生オーブ数
人間が死亡時のオーブ数18(死亡時と転生時のオーブ数は一律)
☆転生に必要なオーブ数
人間±18
オーブひとつひとつに同じメモリーが蓄積している。死亡時に18のオーブは拡散され転生する。大概は別の流浪している複数のオーブと整合し転生する。
運動能力に優れている人間は動物のオーブが多数を占め整合している。逆に内向的な人間は植物のオーブが多数を占め整合している。多重人格は人間のオーブが多数を占め整合している。
オーブのメモリーは恐怖症とも関連し、様々な恐怖症などは前世で味わった嫌悪な記憶が関与している。急死するとオーブは拡散し難くなり滞留し、具現化(最低限一個体オーブ×13必要)しやすくなる。
他生物への転生に必要なオーブ数は動物(哺乳類)±10、他動物9~3 (魚±3)、昆虫や植物±1(界隈のオーブが飽和状態になると植物や昆虫に転生しやすくなる)。
オーブ1つでも脳をもつ生物で転生し続ければ今までのメモリー(前世)は残るが、数百年を脳がある生物で転生し続けるのは極めて難しい。
いずれは前述者の18(人間)のオーブは植物か昆虫へ転生しメモリーは失われ輪廻(前世)が絶たれる。
近年は自然災害(伐採)等で植物のオーブが飽和気味になり、元植物のオーブが多数を占めて整合した転生が増加している傾向である。 レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。