お釈迦様はスジャータの乳粥の差し入れを食したあと、菩提樹の木の下で坐禅を組んで瞑想し、
「血が枯れ果て、肉がただれ、骨が腐っても、悟りを開くまではこの場所を絶対に立たないであろう」という強い決意をもって坐禅を続け、
一週間後の明けの明星が上がる時に悟りを開いたけど、その悟りとは死は生によって起こり、生は有によって起こり、有は取によって起こり、、、
という十二支縁起だったと聞いたことがある。
このどうして死ぬのか、それは生まれるからだ、どうして生まれるのか、それは存在(有)があるからだ、と考察していったのは思考ではないの?