>>675
ほんとうにボケ頭なんだな
もっと分からなく書いてやるわ

悟った後のブッダは、釈迦族滅亡、不本意な女の出家、コーサンビーの破僧、デーヴァダッタの破僧など、ロクな出来事に遭遇してない
もちろんふざけた比丘衆の後始末なんかは無数にある

仏教学者の間には仏教がはじまったのはどの瞬間か(つまるところ悟りとは何か)という定番のネタがあって、

1. 菩提樹下の瞑想によって法を得たその時
2. 梵天勧請によって法を説くことを決め立ち上がった時
3. 初転法輪として初めて法を説いた時

この3つが議論され、2か3とする人がほとんど

1は自分だけが法楽を得て満足している状態
2は1によって導き出された慈悲の心の発露
3は2の実践

本来なら1で良かったのに、人間には本質として慈悲というものが備わっているのか、やらなくてもいいのに自分から進んで荒野に向かった

結果、大勢の釈尊の弟子が生まれ、組織を運営統理することとなり、世俗にまみれることに

実に釈尊の悟りとはこういう行動そのものであって、自分1人の瞑想ではなんの意味もない
これを端的に表しているのは『大日経』の三句の法門
「菩提心を因とし、大非を根とし、方便を究竟とす」
「原因は悟りを得たいという心であり、根本には慈悲がある故に、最も重要なのは衆生救済の方法である」

悟りを得たいと思うのであれば、現に今、誰かの苦を抜くために行動するしかなくて、釈尊はそれを45年間やり続けて死んだ

そんなことがしたいなら悟りたいと思って頑張って行動すればいい