マインドフルネス瞑想 Part9
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マインドフルネス瞑想は、宗教色を抑えて広く活用されやすくしたものですが、その元には宗教があります。
そこで当スレでは、マインドフルネス瞑想を主として、派生的に、あるいは根元的に宗教的な話をしましょう。
前スレ
マインドフルネス瞑想 Part8
http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1519401863/
メンタルヘルス板
【瞑想】マインドフルネス 6【気づき】 http://mevius.5ch.net/test/read.cgi/utu/1508008965/ ああ たぶん言葉の定義がお互い違うということもしれませんね
観察というと五感を働かせてとにかく事実をハッキリさせるという意味に思います 虫の観察でも観察日記に真っ黒だと思っていたが光の当たり方によって茶色に変化する とか
表面に薄っすら産毛のようなものが とか よく観ると短い触覚がもう一対あってとか
それをとにかく事細かに観る訳です 思考 言語を使って
そんなことで何が変わるんだ と思うのが普通ですが人間は自分のことをじっくり観察したことがありません 有史以来そんな人は稀です そんなばかなことを実際に極限までやったらどうなるのか? 「煩悩は分別によって生まれ、分別は戯論によって生まれる」
つまり・・・^^
虚妄分別から執着が生じると・・^^
なんかちがうスレに書いたぞ^^ >>64
マインドフルネスでは過去や未来という悩みの種ではなくいまここに意識を置くというのが
基本ですよね。しかしエゴの観察、というか思考は過去や未来でしかない。
果たしてそれでいいのでしょうか?観察ではなく一瞬前によぎる思考になってしまいます。 >>67
今 ここ というのはみなさんおっしゃていますが 今 ここ風味なんです 実際には今は絶対に知覚できません 今 ここにあろうと工夫していくうちに何かが起きる可能性があります
あなたは賢いです そうなんです 何かを知覚した時点で時間が経過していますし 知覚について意識を向けた時点で0.数秒経ってしまいます
じゃあどうすれば良いの?という話なんですがどんな変化も見逃さないように変化の瞬間 もっと言えば変化の瞬間の前の前の前の....を見逃さないぞ!という姿勢で観察するんです
すると奇妙なことが起きます その時には思考も判断もなくその奇妙な現象を観ているだけとなります
ですから今の時点で自我でegoで 観察云々という話はぶっちゃけかなり重要度は低い話な気がします 今 ここか.... 私の先生はそれは言ったことが無かったんだよなー もちろん結果的には同じようになるんだけど
とにかく自分に起こることを見逃さず その瞬間を捉えろ!という感じだった 集中力 精神統一でなるべく長い時間続くようにせよ!
雑念 想念 連想 視覚 触覚 聴覚 嗅覚 味覚があるから変化があるんだ! これは観る瞑想なんだから雑念大歓迎 異性に目を奪われるの大歓迎 だってそれが本当の貴方でしょ?という感じだった
ただ雑念の瞬間を捉えよ! 目を奪われる瞬間を捉えよ!ただの1秒も気を抜くな! って感じ いまここ・・^^
つまり・・
概念化構想で見るのではなく直接知覚で見ろと・・
それが無分別につながると・・^^ 「我々の心身の在りようを可能にし、それを構成している諸要素(諸属性、諸法、有為法)、
つまり諸々の存在するものが真実なのであり、直接知覚され実感され、しかも無常であり、
刹那的である。さらに言うなれば、それは我(自己、自分)ではなく我所(自分のもの)ではなく
そして空(語や概念の自己同一性=自性がない、という意味で空、自性空)である」
五蘊皆空やな・・・^^
この境地をマインドフルネスでえられるのかな^^ いまここって・・^^
直接知覚だけでみることなんだな^^ 「真実に存在しているもの(勝義有)は直接知覚されるが、仮象(俗説)として存在してい
るもの(世俗有)の知は、概念構想から起こり、擬似直接知覚に過ぎない」
「凡そ概念化構想がない知が、直接知覚である」 >>71
いつもご苦労様です
マインドフルネスという瞑想は実際 実行する人の数だけ種類があるので定義不能ですけれど 自分を観察する瞑想という意味では超超スロー時間で心身で何が起こっているのかを観ることはできますよ
ただ いま ここの直接知覚はいま も ここ も無くなった時に初めて現れるものでしょうから なかなか意識的に 努力で ってのは難しいです.... ここから先は方法らしい方法はない って色んなマスターが言うので困ってます.... 「一弾指(指を一つはじく)のあひだに六十五の刹那(瞬間、時間の観念的最小単位)ありて
、・・・五蘊(五つの存在構成要素)ともに生滅す。しかあれども、凡夫かつて覚知せず。
覚知せざるがゆえに、・・・刹那生滅の道理を信ぜざるなり。もし如来の正法眼蔵涅槃妙心
(悟りの心)をあきらむるがごときは、かならずこの刹那生滅の道理を信ずるなり」
道元禅師の仏法は「刹那生滅の道理」を信ずることから始まる
行き詰まったときはこれや・・・^^
さすが道元ちゃんや^^
「涅槃妙心(悟りの心)をあきらむるがごときは、かならずこの刹那生滅の道理を信ずるなり」
すんばらしい^^ 「刹那滅」 からの・・
諸行無常、諸法無我、涅槃寂静・・つまり三法印やな・・^^ 「刹那滅」 からの「涅槃寂静の境地」まで・・・^^
たどり着けるか・・・^^
まずは・・・
無我の境地からやな・・・^^ 真我の探求『私は誰か?』マハルシの教え−聴きものがたり
https://www.youtube.com/watch?v=l34W5N0Y_Wg
これでも聞いてみるかな・・^^ 基本がわかったら誰かに教わるより自分で試行錯誤した方がいいね。
なんで悟りは量産できねぇんだ。インターネットという革新的な情報交換技術が
あってもなお人類全てが悟っていない。これはどういうことだ。 この身は本より法身の体なれども、法身なる事を知らずして、わが身と思えるは、
法身を見かくして、わが身と思い、わが身に迷いて、貪瞋煩悩をつくり、
ふかく悪道にしずむなり。
かかる地水火風の、仮なる身なることを知らずして、わが身と思いて、千万年も、死すまじきように思い、わが身ぞとかたく執着す。
これ一重の、凡夫のまよいなり。 >>83
お釈迦様は出家してほんの数年で悟ったんだよね
その弟子たちも次々と悟ったらしい
ということは今の日本のお坊さんもだいたいみんな悟ってるのかな? >>77
テーラワーダや説一切有部も刹那消滅の立場を取ってるね
テーラワーダの教説によると人の想念は刹那消滅で光の速さの16倍で意識に上がっては消えていくので
サマタ瞑想で集中力を極限まで高めてからヴィパッサナーでそれらの刹那に浮かんでは消えていく想念の一つ一つを観察するらしい 前スレに貼った鈴木大拙の、
今度の月曜と翌週月曜なんでとりあえず再告知
http://www4.nhk.or.jp/P1890/ サレンダーや、それを保つこと、手放すことあたりはすごく苦しかったときにやってかなり楽になった記憶があるんだけど
刹那消滅が難しく感じる
刹那の動きを見ようとすることで集中力が育ちやすくなるのかなとか思っていたけど、逆なんか
集中がずっと持続することで自分の感覚も消えやすくなるのかなとか思っていた >>85
鉄眼ちゃんは以前少し読んだけど
魚食をディスってたからそこで読むのやめた
スマホにあるからまた気が向いたら読むかもしれないけどね >>59
仏教思想にもとづいた崇高な「イマジナリーフレンド」ならいいんじゃないでしょうか
単に自分のエゴを満足させるだけでなく、菩提心を成長させるような存在なら。
あなたが書いているのはターラー菩薩に似ているけど >>86
日本の葬式仏教はろくに修行せんだろ。
酒を飲む、妻子も持つ、戒名と読経で何十万もぼったくる葬式業者が悟れるか?
片腹痛いわ。 ■ランジャ瞑想(霊感商法
西田弘晃 ランジャ瞑想
西田弘晃 ランジャ瞑想 霊感商法
すべて / 宣伝
ランジャ瞑想
西田弘晃
霊感商法
霊感商法
ランジャ瞑想
西田
「〜しないと身内が不幸になる」
「〜しないとカタワ(障害者)が生まれる」
「〜しないと無間地獄へ落ちる」
このように何の科学的根拠も無い妄言で人の弱みに付け込み、心理的・精神的圧迫や脅迫を加え、恐怖心と不安を煽り、高価な置物を買わせます。
被害多数。
霊感商法詐欺です。 われわれは不完全だから、ついつい怒ったり腹立てたりして失敗しますよ。それは気にしないでください。もし腹が立ったら、「あ、自我だ」とそこで自我を発見するんです。失敗するたびに、自我という”鬼”を発見する。
スマナサーラ 「自我」はいのちのサバイバルには必要なもの。生かしていけばいい。
けれど、同時に、それは思考やイメージが単にまとまっているだけのものであり、不変なものではなく実体のあるものでもないということにも、気づいていければいい。
プラユキ・ナラテボー これ瞑想の影響かな
自慰が全く気持ちよくなくなった
のでやりたいという気持ちがすっぽりなくなってしまった 音に対する分別をなくして音はただ音として観察します
心も同じように良い悪いの分別をなくしてただ感じていることのみを観察します
ってこういうのを誤魔化しという
室内犬でさえ足音で飼い主かどうかの分別はつけてるわ
人間を犬以下にすれば苦は滅するってか
それは白痴にさせればいいということだろ
ヴィパッサナー瞑想というのは思い込みとかプラセボがなければ苦を滅するのは無理だな
心の観察もそうだ
感じている客体は私ではないのでこの感覚は無我である、という思い込みが必要
実にくだらない >>103
分別をつけないことが犬以下という視点がおかしい
犬はどれだけがんばっても分別をつけるということをコントロールできない
音に反応して本能で尻尾を振るしかない
人はそれがただの音でありそれに良い悪いを決めているのは自分の心だと気付くことができる
苛立ちをぶつけている今のあなたには理解できないことかもしれないけど 思い込みではなく実感
だからそれが気付きということ >>103
えぇっと…
受随随、心髄観はくだらない
なぜ?
感覚は無我であると信じないといけないからです!
そういうのはプラセボっていうの!思い込みなの!
といってるのは判るが…
つまり何が言いたいの??
マインドフルネスは悪魔崇拝?
…違うか >>103
> 音に対する分別をなくして音はただ音として観察します
> 心も同じように良い悪いの分別をなくしてただ感じていることのみを観察します
>
> ってこういうのを誤魔化しという
なにが誤魔化しだと言いたいんだ?
たとえば絶対音感トレーニングでもしたほうがマシじゃね?
とか?
音楽が音のブツ切りになったら意味ねぇだろ!とか?
> 室内犬でさえ足音で飼い主かどうかの分別はつけてるわ
> 人間を犬以下にすれば苦は滅するってか
> それは白痴にさせればいいということだろ
良い悪いの分別が無いのは犬以下。
畜生道に落ちるあんた等。
そして地獄行く。
とでもいいたいのけ?
人類白痴化計画は悪魔の所業!
とか?
> ヴィパッサナー瞑想というのは思い込みとかプラセボがなければ苦を滅するのは無理だな
> 心の観察もそうだ
> 感じている客体は私ではないのでこの感覚は無我である、という思い込みが必要
> 実にくだらない
行き着く所は定!ヴィパッサナー?ハハッ!ワロスワロス
つってんのかな…?
思い込みが必要?別に必要ないと思うけど…
まず疑を無くさないとダメとかいうもうその時点でダメ。四向四果とか話ならんわ、みたいな話? >>105
不快な音の周波数と理由!ゾクゾクするのは野生の本能!?
https://yahuhichi.com/archives/2822.html
>こういった、不快な音に対する反応のような、民族や文化に関係無い体の反応を痕跡反応と呼ぶのです。
>この痕跡反応への対策は存在しません。
>不快な音を聞いた時点で体や偏桃体は自動で反応してしまうからです。
>一番良い対策はそれらの音を聞かないことです!
こういった事実をまるで無視しているかのようなレスだね
全世界の人が持つ痕跡反応は実は錯覚であり全世界の人にとって共通する不快な音というのは全世界の人が勝手に不快だと思っているだけだと?
そういうのを誤魔化しという
あるいは暴力に対してトラウマを抱えているものが暴力的な声に対して怯えてしまったとしてもそれは単に心の問題ですませてしまう
あるいはすぐ目の前で虎の吠える声を聞いてもただの音であると認識せねばならない
はいはい、誤魔化し誤魔化し というような考えへの執着を捨てて
ものごとをありのままに受容するということ >>103
なるほど 意味がわかりました
たぶん認識の違い 思い込みがあるんだと思います
誰かにバカにされるとしましょう 当たり前ですが 怒りが湧いたり言い返したりしたくなることもあると思いますが
はぁ?こいつ何言って...(という感情が起こった) こいつ全然分かって....(という感情とお腹の辺りに強張りが起こった)
という感じで()の中を人生に付け加えるんです 別に()に気づいて怒りを無理に押さえつける必要もありません
実際に起こることを観るだけですから 後から反省なり後悔なりの感情が湧いても ああ 今日は怒ってしまってなんか自分が嫌だ(という嫌な感覚が胸の辺りに起こった)と観ます
それだけです 判断を下してる人の話はただそうですかと聞いてればいい
その人にとってはその判断なんだってことでしかないのだから >>109
> 109 神も仏も名無しさん sage 2018/04/16(月) 08:08:53.26 ID:Jb5qZdw1
> >>105
> 不快な音の周波数と理由!ゾクゾクするのは野生の本能!?
> https://yahuhichi.com/archives/2822.html
>
> 全世界の人が持つ痕跡反応は実は錯覚であり全世界の人にとって共通する不快な音というのは全世界の人が勝手に不快だと思っているだけだと?
はい
まず前半の周波数の話。
当たり前過ぎて書く必要性がない。つうか識者の言ってることがただの憶測で全く意味がない。もうここだけで読む気失せそうに…
どうでもいいけど発泡スチロールを擦り合わせる(??)とか砂を噛むとかでお茶にごして終わり?
銀紙を噛むとか、腐臭を嗅ぐとかなんでもアリになんだろが…
> あるいは暴力に対してトラウマを抱えているものが暴力的な声に対して怯えてしまったとしてもそれは単に心の問題ですませてしまう
誰もそんな事言ってなくない?
(トラウマはたしかに心の問題だけど)
> あるいはすぐ目の前で虎の吠える声を聞いてもただの音であると認識せねばならない
どっから出てきた、そんな話w 人間自分にとってさして不快でも恐怖でもない音をただの音と認識して分別をつけないというのは言われれば出来る話で苦の滅却には繋がらない
不快な音や恐怖感を感じる音をただの音と認識するレベルに達すれば苦の滅にはなるだろう
ただしそれには明らかに生理的に嫌な音でもただの音だと自分自身に思い込ませる誤魔化し思い込み
自分自身への偽りが必要 >>114
音を不快な思いや心理に変えても同じことがいえる
それらは無我であるとか非我であるというのは誤魔化しからの思い込みであり偽りである
だいたいにしてアートマンとは思い通りになるものという性格があるわけでもない
苦なるものはアートマンに非ずという考えは論理の飛躍 >>116
固定観念とか思い込みの激しさとかで終わらせてしまうのもまた誤魔化しだよ 瞑想をしたからと言って、暑さや寒さや痛みや痒みなどの感覚を感じなくなるわけではない
それらはあるがままに感じるけど、それらにとらわれることが無くなるということ
誤魔化しや思い込みでしかないという、あなたの 思い込み はどこから来ているんでしょうか >>118
とらわれなくなったからといって暑さ寒さを感じるのは一緒
肉体的な話だけではなくヴィパッサナーの結果無常苦無我と法を見て心からもとらわれがなくなったとしよう
上司からのパワハラにもお局さんからの逆セクハラにも窓際族に追い込まれている状況にもそういうのにも全てとらわれなくなるのか
無我だから
だとしたらその無我というのは思い込みであり誤魔化しであり最終的にには自分自身に嘘をついていることで自分を余計に苦しめている
違うというのなら反論どうぞ >>119
とらわれなくなるということは、問題点の解決を放棄するということではないんですよ
精神的な痛みがあったとして、それを自分の世界のすべてとして感じてしまうのではないということ
全体性という視点から対処すべき問題に対処する >>114
> 人間自分にとってさして不快でも恐怖でもない音をただの音と認識して分別をつけないというのは言われれば出来る話で苦の滅却には繋がらない
> 不快な音や恐怖感を感じる音をただの音と認識するレベルに達すれば苦の滅にはなるだろう
どっちやねん
> ただしそれには明らかに生理的に嫌な音でもただの音だと自分自身に思い込ませる誤魔化し思い込み
> 自分自身への偽りが必要
気にならなくなったら誤魔化す必要が無いだろうが。そもそも。
つか何が言いたいんだよ…
生理的に嫌な音が何を意味するのか曖昧なんだよ…
ありがちなのはこんなところ↓↓?
・低空で飛行するジェット機の騒音
・街宣車
・選挙カー
・竿竹屋
・廃品回収車
・ホットドッグ屋
・爆音チャンバーライダー
・線路沿い住民にとっての電車の音
・保育所近隣住民にとっての子供の声
・誰かが誰かを怒鳴る声
・赤ん坊の泣き声
・クチャラー
・麺を啜る音
・鼻をかむ音
・舌打ち
・(怒鳴られる側にとっての)怒鳴り声
・特定の和音
・特定のコード進行
それぞれ
(a)生理的に嫌な音
(b)不快な音
(c)恐怖を感じる音
で分類してみて。無いのは追加して。関係ないのは無視して。 >>115
> だいたいにしてアートマンとは思い通りになるものという性格があるわけでもない
(いきなり何いってんだコイツ…)
と思ったが
一切は思い通りにはならないものであってそれはアートマン(我のことだろうか??)であっても例外ではない。
> 苦なるものはアートマンに非ずという考えは論理の飛躍
一切行苦が論理の飛躍、といってるのではなく、
苦なるものはアートマンに非ず…か
つまり「一切の形成された物はアートマンではない」という考えは論理の飛躍だと言っているのだろうか…??
無我非我は思い込みと言ってるわけだから我有と言ってるかどちらであるとも言わないと言ってるかのどちらかかな… >>120
>全体性という視点から対処すべき問題に対処する
それでパワハラセクハラ左遷にはどう対処するのかね?
会社を辞める?
みんなが簡単に会社を辞められればそれらで自殺する人はずっと減るだろうね
現実はそんなに甘くはないけど
>>121-122
最初の「どっちやねん?」って読解力が足りないからそういう疑問を投げかけてしまうんだよ
君が引用した俺の元の文をそそくさせずにゆっくりと読み直してくれれば「どっちやねん?」なんて感想は持たないはずだ
次の「気にならなくなったら誤魔化す必要が無いだろうが。そもそも。」も同じ、全く文書が読めてない
>不快な音や恐怖感を感じる音をただの音と認識するレベルに達すれば苦の滅にはなるだろう
>ただしそれには明らかに生理的に嫌な音でもただの音だと自分自身に思い込ませる誤魔化し思い込み
>自分自身への偽りが必要
誤魔化して自分自身を偽った結果気にならないようになれば苦の滅になると書いている
2号くん、君は順番を間違えて読んでいるのだよ
あとアートマンは認識の対象外だから苦でないものはアートマンであることを僅かでも示唆することはできない
それ以上あれこれ考える必要はない マインドフルネスで人間関係のトラブルが解決したら苦労せんわなぁ > >>121-122
> 最初の「どっちやねん?」って読解力が足りないからそういう疑問を投げかけてしまうんだよ
ああわかった!失礼
> 人間自分にとってさして不快でも恐怖でもない音をただの音と認識して分別をつけないというのは言われれば出来る話で苦の滅却には繋がらない
> 不快な音や恐怖感を感じる音をただの音と認識するレベルに達すれば苦の滅にはなるだろう
「自分自身にとって元々不快でない音を、ただの音として分別しないということは、言われれば出来る話だ。」
といっているのね。
でもアナタ出来ないでしょ?w
できたらこんな話にならないもんな
そんでもって
「不快な音や恐怖感を感じる音を価値判断を挟むことなく認識できたら苦の滅にはなるだろう。」
といってるんだな。
(当たり前じゃないですか…)
> 次の「気にならなくなったら誤魔化す必要が無いだろうが。そもそも。」も同じ、全く文書が読めてない
考え方がそもそも違うみたいです。汲み取れなくて悪いが。
> 誤魔化して自分自身を偽った結果気にならないようになれば苦の滅になると書いている
そういう意味かい。
苦の滅になってもそれは自分を偽った結果であってそれは誤魔化しである。
というふうに受け取れるぞ?
> 2号くん、君は順番を間違えて読んでいるのだよ
思い込みだよそれは。
どう読んだら2号に見えるんだよ…
> あとアートマンは認識の対象外だから苦でないものはアートマンであることを僅かでも示唆することはできない
> それ以上あれこれ考える必要はない
なら言うなよ…
いきなりなにを言っているんだ 要するにマインドフルネスをやると体の痛みは同じように痛むけども
痛みが気にならなくなるって事だな。
そうすると本当に痛みが消えるんですね?とエゴは結果を気にするわけだが。
まぁマインドフルネス本にも様々な効果効能が書いてあるので当然結果は出て然るべきか。 癌を外科的手術で取り除くのがエゴの要求なら
癌の原因を作ったエゴを見破るのがマインドフルネス。
これじゃ喧嘩になって当然だぜ。 やればどうなるのかわかるのに
やってもないうちからこうなるんだろうと結論付けたりわかった気になったり
それじゃ仮にやっても自分の思いで予測した結果しか出てこないしただ自分の思いを自分で実現させてるだけ
役に立たないと思ってやったら当然役に立たない結果しかでないよね
自分の心身を信じてる人はその心身からの結果しか知りえない >>123
個別の問題に処する方法論は、それぞれしかるべき対応策を考えればいい
辞めた方がいいなら辞めればいいし、訴えようと思うなら訴えればいい
そこの方法論はマインドフルネス関係ないでしょ >>124
一時的な悩みもあれば、ずっと抱える悩みもあるものですがそんな悩みの中でも、80%を占めると言われるほど大きな悩みというのが「人間関係の悩み」なんだとか。
http://mio816.xsrv.jp/dnsr-9258 ああ 無我 非我に意識的になろうとしても それは思い込みの力に過ぎないという話ですね
それは全くその通りです 徐々に無我 非我になっていくことはほとんど無いと思いますよ 気づきがある度に少しは肩の荷がおりますけどね
それが起きる数秒から数十秒の出来事を起点にガラッと変わります それを起こすために人工的な努力を続ける訳です
でも人工的な努力が無駄な訳では決してありません ただ努力の方向性にコツがあるだけのこと
そのコツが 自分の日常的な変化(喜怒哀楽 思考 動作)を分析 価値判断 せずにただ観察することですよ 慈悲の瞑想で例えば自分にパワハラを働く上司の幸せをも祈ります。
すると自分のエゴが消えていくと同時に上司への憎しみも消えていき、
その後上司に何言われても気にならなくなります。
嫌いでない人に言われても不快にはならないし、
何よりも自分のエゴがないわけですから鈍い鐘のように理不尽な叱責の言葉も自分の中で全く響きません
かくのように慈悲の瞑想で人間関係のトラブルや悩みは解消できます。 >>132
左遷の場合、左遷で飛ばされた先から飛ばした上司の幸せを祈ればいいんですか?
家族と離れ離れにされて一人で頑張りながら本社で働く上司の幸せを祈ればいいんですかね >>134
その通りです
3 「かれは、われを罵った。かれは、われを害した。かれは、われにうち勝った。かれは、われから強奪した。」という思いをいだく人には、怨みはついに息(ヤ)むことがない。
4 「かれは、われを罵った。かれは、われを害した。かれは、われにうち勝った。かれは、われから強奪した。」という思いをいだかない人には、ついに怨みが息む。
5 実にこの世においては、怨みに報いるに怨みを以てしたならば、ついに怨みの息むことがない。怨みをすててこそ息む。これは永遠の真理である。
(ダンマパダ ) >>124
だな。みんな瞑想に夢持ちすぎ。
寝る前に3分やるとスッキリするからやってるけどさ。
理不尽なことがあっても無我だのアートなんたらだのと、ガチの瞑想者は現実を誤魔化すのが上手くなるみたいだな。 何かに対して結論づける人は自分のことを何かに対して結論づけられるくらいの能力がある人間だと思ってるんだろうね
これまでどれだけのことをしてどのくらい能力のある人間か知らないけどよく結論なんて出せるなと思う >>136
ぶっちゃけASMR聴きながら寝た方が熟睡出来るでw >>125
2号くんと勘違いしたのは大変失礼したがそれ以外はあなたは読解力と知識と両方足りない
例えば最後の
>なら言うなよ…
>いきなりなにを言っているんだ
「苦なるものはアートマンではない」と言ってるのは経典であって
それに対する疑問をこちらは提示していることにあなたは気づいてない
それはあなたに読解力がないからか知識がないからかのどちらかだ
どちらとも努力次第で身につくものだからまずはそれらを身につけることをお勧めする
「自分自身にとって元々不快でない音を、ただの音として分別しないということは、言われれば出来る話だ。」
こんなことも一言も言ってないのになw パワハラがあってもあるがまま?
サビ残があってもあるがまま?
リストラされてもあるがまま?
マインドフルネスってただの社畜製造機じゃん。 うえの人も言ってるけどさ、受容ないしあるがままっていうのは
現状を受け容れたうえでただそこにとどまれ、現状維持しろっていう意味じゃないよ 対策をなにもとらずに唯々諾々と受け入れろってことじゃない
俺の勝手な解釈・結論じゃなくてね、例えばカバットジンもそう書いてる >>142
> 2号くんと勘違いしたのは大変失礼したがそれ以外はあなたは読解力と知識と両方足りない
そうか、ここは一応マインドフルネス瞑想とその仲間たち(仏教密教ヨガその他)のスレだしな。
疎くてすまない
(全部だけどw)
> 「苦なるものはアートマンではない」と言ってるのは経典であって
わかった、アゴン経ね
> それに対する疑問をこちらは提示していることにあなたは気づいてない
> それはあなたに読解力がないからか知識がないからかのどちらかだ
>>125
>アートマンは認識の対象外だから苦でないものはアートマンであることを僅かでも示唆することはできない
>それ以上あれこれ考える必要はない
↑この部分こといってんだよな?
どこをどう読んだら疑問の提示になるの?
断定だよねこれ?
それともこっち?↓
>>115
> だいたいにしてアートマンとは思い通りになるものという性格があるわけでもない
(故に?)
> 苦なるものはアートマンに非ずという考えは論理の飛躍
こちらも断定だけど2行目は貴方の見解で、1行目はあなたの論拠だよね?
それとも、2行目で疑問を提示しているのだ!と言いたいの?
(流石にそれはちょっと無理あるとおもうな…)
> どちらとも努力次第で身につくものだからまずはそれらを身につけることをお勧めする
いやべつにいいや
身につけて何か意味あるのかといっても…大した意味ないしなぁ…
> 「自分自身にとって元々不快でない音を、ただの音として分別しないということは、言われれば出来る話だ。」
> こんなことも一言も言ってないのになw
ちがった?
> 人間自分にとってさして不快でも恐怖でもない音をただの音と認識して分別をつけないというのは言われれば出来る話で苦の滅却には繋がらない
(再度翻訳)
人間誰しも、自分自身にとって不快でも恐怖でもない音ならば、意味付けや分別をしないで知覚することは(やれと言われれば)誰でも出来る話であって、それができた所で苦の滅には繋がらない。
これでどう? >>147
>>それ以上あれこれ考える必要はない
(なのに経典では苦であるものはアートマンではないとなぜ断定するのだ?)
という疑問を呈しているのよ
>ちがった?
>これでどう?
あ、これは俺の早とちりだわスマソ
違ってない
これでどうかと聞かれればあっている
で違っているのは
>>125
>でもアナタ出来ないでしょ?w
>できたらこんな話にならないもんな
ここだ
このくらいは流石にできるよ
瞑想中に聞こえてくる車の音や用水路の水の流れを快不快の分別をつけずにただの音として認識することくらいはね
救急車や消防車の音が聞こえてもただの音として認識はできる
流石に近所で救急車が止まったり消防車が何台も通るようだったら意識はするがね
そういう音まで意識しないように分別しないようにただの音として認識できたらそれは苦は滅却できてるだろうけどそれは出来ないだろう
人間を捨てるようなものだからね
以上
申し訳ないがあなたと話をしてても切りがなさそうなので自分からはこれで終いにする
レスをつけるのならどうぞご自由に
ただこちらからの再レスはないよ >>143
パワハラがあったら?→好きにしろ
サビ残しろと言われたら?→好きにしろ
退職勧告されたら?→正社員なら好きにしろ。
ってなるかな…
マインドフルネスあまり関係ないが >>148
> >>それ以上あれこれ考える必要はない
> (なのに経典では苦であるものはアートマンではないとなぜ断定するのだ?)
> という疑問を呈しているのよ
分かるわけねぇだろがっ!ww
文脈追ったら解るかな?
>>103
>>114
>>115
(>>119)
>>123
>>142
↑のレス全部貴方の断定であって、
ただの少しも経典に疑問を呈しているようには読み取れんぞ。
エスパーじゃねえんだぞ…
コミュニケーション能力は鍛えることは可能だから実践するといいよ。
(瞑想も有効だけどネ。)
> このくらいは流石にできるよ
> 瞑想中に聞こえてくる車の音や用水路の水の流れを快不快の分別をつけずにただの音として認識することくらいはね
フム…車の音と水の音を分別しないことができるか、なかなかやるな…って違うか。水路のせせらぎはせせらぎとして、車の音は車の音として、認知できるってことね。耳障りでないなら。
> 救急車や消防車の音が聞こえてもただの音として認識はできる
ん?…サイレン音が聴こえてもどこで何があったかとか連想が浮かぶようなことがない
くらいの意味かな…
> 流石に近所で救急車が止まった防車が何台も通るようだったら意識はするがね
…と思ったら違った
近所かどうかは意識するんだ。ナルヘソ
まとめると
「サイレン」「車の通る音」「水路のせせらぎ」というふうに、(言語化してるかはわからないが)少なくとも概念化はしていて音のする方向とか意味は識別しているけれども、
それが耳障りでない場合は特に感情が波立つことはない。
てとこだな
> 人間を捨てるようなものだからね
ずっとそのままってことは無いんじゃないか?発狂しちゃったら別だが。
とりあえず了解 横からだけど、音をただ音と認識するのってサマタじゃない?
マインドフルネスやヴィパッサナーの観瞑想では、音という外部入力によって生じる身体の反応と、それに付随する心の動きまで随観するよね?
音を音として認識したところでプロセスを止めちゃったら、何も観察できないよ。 >>119
ごめんなさい 見落としてました
今の私の段階での実感を書きますよ 結論からいうと 明日お前の右腕を切り落とす と言われてもうわー痛いだろうな としばらく想像した後 夜は眠れると思います
どちらかというと 右腕が無かったらこれが出来なくなるのか でも義手ってどれぐらいの性能なんだろう テレビで見るすごい奴は高いんだろうな
ぐらいの思考だと思う 今の私だと 殺す と言われるとまだ 戸惑いがある 来週ではダメですか? という感じが残っている
軽い無我の境地でもこうなります ガチでSATSUGAIされるシーンになったらもうどうにも出来ないし黙って諦観するしかないな >>155
座間市で殺された9人の女の子はみんな諦めて殺されたのかねえ
自殺志願といいながら本当に死にたい人はいなかったと犯人は言ってたが
死を意識してながらもいざ死ぬ段となったら恐怖する
口で言うほど死ぬ覚悟というのは生易しくはないと思うな >>154の続き
何故こうなるのか 例えで言いますと 下手な例えかもしれませんが 鏡がない世界で暮らしていたとします
周りは機械仕掛けのロボットばかりでそれぞれ役割を持って動いている世界です
自分の仕事はそのロボット達を操って効率良く作業をさせることでした ある日偶然鏡を見つけて自分の姿を見た瞬間に 自分もロボットだと知ってしまったんです
思考も感情もある 自分を感じられる でもロボットでした 現実は何も変化しないんです でも認識がガラッと変わってしまう 自分は相変わらず感じられるが 思っていたような自分ではなかった訳です
無理のあるたとえ話ですが感覚的にはある種類似した話です 事前の予測とか覚悟にもとづいた将来の感情・感覚なんて全然信用してないですね。
少なくとも自分の場合は
過去の実体験をふまえてみてもあてにならない
未知の領域に踏み込んだ場合の感覚について、自分のそれまでの経験値から
ある程度の想像はできても真の実感なんて感じるの、凡人の自分にはムリ
所詮他人事と一緒だから 近年、瀬戸内寂聴さんが大病してこんなつらいと思わなかった(大意)って言ってましたが
そんなもんです
覚者の方は違うんでしょうが、所詮他人事だから、なんでも言えるんですよ 覚者でなくてもその時点で既に廃人なら、あきらめの境地にはなるかもしれません
そういう人たちの経験譚をいくつかみかけたような気もします
でも、これも他人事です 目の前にある世界は過去の繰り返しではなく
常に未体験の新しい世界だもんな 身体や生命は大事ですからね。
執着や苦しみのない、あきらめたような状態を保持したまま
問題の対応にあたれると楽ではありますけど。 カバットジンのマインドフルネスストレス低減法は、まさに病人や怪我人に対して書かれてるような書物だけど、そこにあるのは諦めや逃げをすすめるようなものではない。むしろ逆。 カバットジンさんは受容や、痛みを受け入れる
のような方向でもないんでしたっけ。
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