マインドフルネス瞑想 Part9
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マインドフルネス瞑想は、宗教色を抑えて広く活用されやすくしたものですが、その元には宗教があります。
そこで当スレでは、マインドフルネス瞑想を主として、派生的に、あるいは根元的に宗教的な話をしましょう。
前スレ
マインドフルネス瞑想 Part8
http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1519401863/
メンタルヘルス板
【瞑想】マインドフルネス 6【気づき】 http://mevius.5ch.net/test/read.cgi/utu/1508008965/ 呼吸を見るのはアーナパーナ?抑圧になる?
ボディスキャンをすればいいのかな?
いろんな宗派でいろんな解釈、いろんなやり方があってわからなくなってきた ブッダのアーナパーナでも、ティクナットハンのマインドフルネスでも、
体の安楽を感じながら、とか体を楽にしながら、というフレーズが出てきて、
それって抑圧なのか?やらないほうがいいのか?などと思ってしまう マインドフルネスを知らない人がやる「受け流す」は気にしないようにしてるだけだから抑圧になるかもね
マインドフルネスは違う
というか、気にしないように「する」んだからマインドフルネスとは反対か やってみて効果があるかないか試すしかないわな
気になるなら指導者のいるとことろでおしえてもらうか
かといって指導者がちゃんとしてるかどうかわからんし結局のところ自分に結果が出るまで何もはっきりしない
時間があるならいろいろ本読んでいろいろやってみるのがいいんじゃないの ちゃんとした本に書いてある事を書いてある通りに素直にやってみるのが一番なんだが…
レシピをいろいろ工夫してマズメシ的なコースに入っちゃう人ってほんといるからなあ ただ身体感覚を追い続けるだけなんですけど
難しいのかな? ゴエンカ師のところでは身体の感覚を順番に観るだけだね
スマナサーラさんのところの呼吸を感じる方法は、
ゴエンカさんのところだとサマタになる?
それに、ティクナット ハンさんのところだと、身体を楽に、幸せを感じて、とか、感覚を作るというか、サマタなのかなと思うことが 感覚を追い続けるだけって本に書いてあっても
真面目な人ほど、感覚を追うんだ、集中しなきゃ駄目だ、何で自分はできないんだ、ああっまた気が逸れてた、次こそ…次こそ……グッタリorz
とかやりがち >>275
安楽に 安楽な状態で... その場合の安楽は抑圧ではないです
寧ろ日常でどれだけ心身が硬直しているか実感する機会になる確率の方が高い気が....
是非挑戦して下さいませ
一番向いているのは休みの日の寝起きなんかが代表的です ・舌は上のあごに掛けるのである。
息は鼻から通じさせるべきである。
唇と歯は相い付けるべきである。
眼はまさに開くべきであり、張っても微[ほそ]めてもならない。まぶたで瞳を覆ってはならない。
うなじが背中から違ってもならない。
鼻からの息は通じるに任せて、喘がず音も出さず、長くもなく短くもなく、ゆっくりでもなく急ぐでもない。
身と心をともに調えて、身体を挙げて数回欠気して、内外を放ちゆるくするのだ。
(道元『辨道法』)
https://blog.goo.ne.jp/tenjin95/e/5f6c3e0c68ce3273e94adc590ae30d6b >>276
そうだね。
例えば失恋の場合、普通の人は趣味とか仕事とか旅行とかほかのことやって失恋の苦しみを紛らわせるが、
マインドフルネスの場合、失恋の苦しみに伴う想いなり感情なりに正面から突っ込む感じ。
普通の人から見たらマインドフルネスの方がしんどく見えるけど、想いや感情を乗り越えるには結局逃げずにしっかり観るしかないんだよなあ。
逆に普通の人の受け流すやり方だと、怒りや悲しみや恨みがいつまでも潜在意識に残ることになる。 >>284
ありがとうございます
なんとなくその感覚わかります。平静に体の緊張を見ること自体に安楽な土台が感じられるというか
試してみます >>285
舌は上のあご?前歯?につけろ、
眼(のまぶた)は半眼にしろ、っていうの、
言ってるの曹洞宗だけじゃない? こんな事書いたら、また気取った物言いしてんじゃねーよって言われんのかな
先に謝っとくわ。ごめんねごめんね〜 >>288
曹洞宗以外の仏像も半眼だよ
奈良の大仏の毘盧舎那仏
鎌倉の大仏の阿弥陀如来
広隆寺の弥勒菩薩像
金剛寺の大日如来像
有名な仏像はみな半眼で瞑想している
タイやミャンマーの仏像も瞑想しているものは殆どが半眼 まあそらそうなんやけど
半眼で瞑想するのお勧めしてるのって実質的には禅だけやで チベット仏教基本半眼
ヒンドゥー教目は開いたままか半眼で瞑想
あるいは軽く閉じて瞑想 出来るところでやっていけば良いのではないかと
少なくともその時間は今に居るはずですから >>294
お勧めっていうか半眼の指示があるかどうかね
閉眼か半眼かって特に指示無し、つまりどーでもいいってのが普通で、あえて指示があるときは閉眼じゃない?
キリスト教の黙想とか閉眼だし
ヒンドゥーは開眼なの?俺の知ってるヨーガ系の人達は閉眼だけど… 指導書の多くは、眠くなるなら開ければいいし気が散るなら閉じればいいなどと結構柔軟だね。
ラリー・ローゼンバーグの本には、そんなこと(目を閉じるべきか開けるべきか)で問題を起こすなと書かれていてハッとした思い出がある。 そうだよね
開眼か閉眼かを指示してくるのはあまり無い印象、つまりどうでもいい要素
歩行瞑想は開眼、観想は閉眼ってやり易さに合わせるのはあるだろうけど 足の組み方とか印の結び方も宗教や宗派によってまちまちだね 自分の頭の中の雑念をラジオを聴くかのように観れるようになってきた。
この意識状態いいね、自分を外から眺めてる感じ。
ふと怒りが湧いてきても、おお俺怒っとるなーみたいにひとごとみたいに受け止められる。
人に言ったら離人症とか思われそうだから何も言わないけど、自分でも瞑想状態と離人症の区別がはっきりついてないんだよなぁ。
瞑想修行が進めばわかってくるのかな? このスレの住人って頭でっかちでgdgdばっかゆーてるけど、ヨガくらいやってんの? なんでこのレスの流れで理論武装がどうたらとかw
誰がバカなんだか >>301
その状態をこのスレでいうと病気扱いされちゃうけど、それでいいんだよな多分 >>309
私の知っている先生は若い頃からその状態が普通だったんで 人類全員が同じだと思ってた 違うと知った時ほんとに驚いたと言ってましたよw
私も大昔に最初に座った時には自分のおしゃべりの激しさに初めて気づいて笑ってしまいましたけど 今は あ 音に気づいた あ 怒りに気づいた あ 思考に気づいたという感じです
もっというと体という乗り物に観察する意識が乗っていて 勝手に色々動いたり反応したりする様子をただ眺めている感じの時も増えてきましたよ
あんまり心配なら専門外来受診を勧めますが 離人症を見分ける医者は少ないだろうな という気もします どのくらい瞑想したらそんな感じになれるのかな
感情はあっていいけど感情に巻き込まれないようにしたい 瞑想始めてからすごく怖くなったよねって知人に言われてびっくり(知人は俺が瞑想始めたこと知ってない)
自分としては以前より苦しみ減ったと思うんだけど >>311
>>310書いてる人は、文体と内容からみて>>199だと思うんだけど ラーフラ、捨の瞑想を深めなさい。というのも、捨の瞑想を深めれば、ラーフラ、どんな怒りも消えてしまうからです。 捨の瞑想・・^^
最終的には自分なる者をも捨てる^^ 自分なる者・・^^
そんなものなかった^^
でござる^^ 究極には一切をも捨てる・・^^
「空寂清浄」の境地やな・・^^ なぜ捨てられないのか・・^^
考えるのもいいかもしれん^^ 分別してるから捨てられないんやで^^
なんて言ったら・・^^
おまえらちんぷんかんぷんになるから・・^^
ここまでとしとくか^^ >>310
どうもそういうことが、普通は出来ないらしい
おしゃべりが止まったとき、うるさいラジオのスイッチをブチッと切ったようになりますよ
シーーーーーーンと、なんだこれはと その時、あたかも心が静かなピーンと張り詰めた湖の湖面の様な状態
恐ろしく静かとでも言うような マインドフルネスの客観視ってトラウマ忘れるための方法みたいに言われてるけどどこまで忘れれるの?
ちょっとしたことにしか効果ないのか
それとも例えばトイレにスマホとか財布を落としたみたいなどう頑張っても忘れれないようなことまで忘れれるのか >>327
ただ 観察を続けていると心のおしゃべりがかなり少なくなっても何かを感じていたい 新たな強い刺激が欲しい 空っぽ 無になりたくない という衝動が 意識 無意識に常に湧いてくるのがわかります
それが悪いということはないと思うんですが そういう衝動もおしゃべりと一緒で観察する必要があります
繰り返す思考行動パターン 考えるのも恐ろしいので通常は滅多に現れない秘めた恐怖 などなど
いっぱい観るものがあります うんざりするぐらいw >>329
マインドフルネスで極限まで到達した場合は たぶん自分が人間だということを忘れるんじゃないでしょうか という冗談は置いといて...
正確には気にならなくなる 思い出すのが難しくなる感じだと思います 私の例で恐縮ですが 車を駐車場に止めて用事を済ませて戻ってみると 見事に運転席のドアがバーンと開いたままでした 閉めることを忘れてたんですね
またこの記憶もあやふやです どこの駐車場で何の用事だったかはもう完全にわからなくなっている
個人差は大きいでしょうがある瞬間を起点にしてそれ以降の体験 記憶は希薄になるような気がします
ある瞬間以前の記憶の方が問題です 多くはそれがトラウマの場合が大きいでしょうが それはしつこいながらも気にならなくなります ドアを閉めるのを忘れるってマインドフルネスとは真逆なような トラウマの対処は忘れることではなく観ることだと思うな。
あるリトリートで過去のトラウマ的な記憶が鮮明に現れて、その日ほぼ一日号泣して、翌日以降は思い出しても気にならなくなった。
これを指導者なしでやるのは危険かもしれないけど、たぶんいつかは覚悟を決めてその感情と向き合わない限り生きてる限り永遠に追いかけてくると思う。
例えば家族の葬儀とかで悲しむ素振りも見せず気丈に振る舞ってる人ほどあとあと酒に溺れたりしていつまでも囚われてるし、逆に人目もはばからずギャンギャン泣きわめく人ほど短期間であっさり乗り越えているような気がする。
たぶん日本人は前者のタイプが多いからリアルタイムでは感情が抑圧されまくって瞑想時にその感情が噴き出す感じがする。 トラウマの直接の解決は完全にハッキリ観ることだとは思うけど、観れるような人はこれまでに観えてるだろうし、
観たくない観られないからトラウマなんだろうから、今までとは違う余程の決意と真剣さでやらないとトラウマ解決まではいかないだろうね
そもそも怖れから観ることを避けてるそのプロセス自体がトラウマだから、観れれば解決されるし、
観れない観るのが嫌なものは多かれ少なかれその人にとってトラウマだろうし
ハッキリ観ることができない人は客観視で地道にやってくものかも
客観視でもそのうちハッキリ観えて来るだろうし >>331
どこがマインドフルネスで極限まで到達した、だよw
ただの注意欠陥障害か健忘症だろ
それ車のドアだからよかったもののガス器具とかだったらヘタすりゃ死んでるだろ >>332
ほんとに謎です 自分でもw
原付のメットインもパカーンと開けたままが何度もある
感覚的には自分に意識が集中して外のことが目に入らないというか 外に意識を向けるのが疲れるというか 煩わしいというか
でも仕事は遅刻することなく行けている 不思議だ
>>336
そこは本当によくわからないですよね
まあ聞きおよぶところによると ある人は数を数えることが難しくなったり 動作が極端に遅くなったり 変化の前後にはそういう状態になるエピソードがあるようだけど
そこまでじゃないしなー という感じ 集中が極限になって本当にいまのこと以外一瞬前のことも忘れてしまうんでしょ
忘れてしまうというかいまの一瞬のこと以外自分の中になくなる
普通のマインドフルネスの状態じゃないよね やるべきことやってないんだから現在に集中出来てないと思うんだけど ただ今に気づき続けていると
時間がものすごく早く過ぎ去っていくように思える
集中しているからだろう
ただ、集中しているという感じは全く無いのだけど 七慢 しちまん
1.慢まん 自分より劣っている人に対しては自分が勝っている、とうぬぼれ、同等の人には、自分と等しいと心を高ぶらせる。
2.過慢かまん 自分と同等の人に対して自分が勝っているとし、自分以上の人は自分と同等とする。
3.慢過慢まんかまん 勝っている人を見て、自分はさらに勝っている、とうぬぼれる。
4.我慢がまん 自負心が強く、自分本位。
5.増上慢ぞうじょうまん 悟っていないのに悟ったと思い、得ていないのに得たと思い、おごり高ぶる。
6.卑慢ひまん 非常に勝れている人を見て、自分は少し劣っている、と思う。
7.邪慢じゃまん 間違った行いをしても、正しいことをしたと言い張り、徳が無いのに有ると思う。 お日様の高いうちからマンマンマンマンえろくさいスレだな 俺もトイレの電気の消し忘れとか、今さっき食べた食事わからなくなったり、
小学生の算数レベルの足し算引き算とか間違うこと多いよ
おそらく、生来のADHD傾向が顕在化してるのと、多量の飲酒による脳萎縮に加えて
加齢による脳機能低下、ひょっとすると認知症も出てるかも知れない
マインドフルネスノーマター >>339
ちょっと上でも書いたような気がしますけど 現在 今 というのが問題です 今というのは0秒なんです 急ブレーキ!で世界最高峰のドライバーが反射で反応して0.1秒後半でしょう
0.1秒はもの凄く長い時間なんです
屁理屈っぽい話をすると0秒に限りなく近くになるにつれて思考 判断する時間がなくなります じっと観ているだけしかできなくなります 次々と次の0秒がやってくるからです
0秒はたぶん無理だと思うんですが 深まっていくと瞑想中 時間が超超スローに流れるようになって音楽が細切れに聞こえたり指を一本動かすのに8つも10も細かい動き(気持ち悪いw)をしていることがわかる瞬間がきます(個人差あり?)
こういう変態的なことに挑戦していると 車のドアを開けっ放しでも 気にしない人生を送れるようになりますw 必要があってお金を貯めてた人が、貯金が趣味になっちゃった感… もうなんでもマインドフルネスのせいにしてりゃあいいよ 俺の母親は70過ぎだけど、最近は今言ったこともすぐ忘れるようになってきた 寺院なりサンガなりで、修行を積んでいる人間が、
作法を忘れました、しくじりやらかしました
「えへへ、マインドフルネスの成果ですね。えへへへ」
こんなん、通用するのw 大学のマインドフルネスの公開講義で、脳科学の先生(名前忘れた)が呼吸に集中するなどの一点に集中力を研ぎ澄ますタイプの瞑想法は、あまりやり過ぎると注意分割機能?だかが衰えるので注意不足や記憶力低下が起こると言われておられた気がします。 >>353
熊野さんの講義ですかね?
一点集中型っていうのは熊野さんの分類によるサマタ系の瞑想を指してのことですよね
そういうこともあるんですかね、あるかもしれませんね
注意分散型の瞑想とではまた違いがあると思いますが
いろいろ不確か、不確実な点がありますので、あまり突っ込みませんです 熊野さんはマハーシ式を含めた「一点集中」型をサマタ、
注意分散型をヴィパッサナーって言ってるし
マハーシ式を実践してる人たちは自分たちの流派をヴィパッサナーって言ってるし、
多分、単純に言葉の問題だけじゃなくてもっと深い部分でも見解の相違があるように思うんですけどね >>354
確かその先生です。
あまりサマタやヴィパッサナー、マハシ式などの流派には触れず、あくまで臨床の話がメインでした。
注意集中は呼吸に意識が向きすぎて周りの何も聞こえない、匂いもわからないような状態。
注意分割は呼吸に意識を向けながら、思考や身体の感覚や音や匂いにまで意識を広げるというやり方だったと思います。
何年か前のことなのであまり詳しい内容は覚えてませんが、過度の集中の危険性は何度も強調されてましたね。 >>357
>注意集中は呼吸に意識が向きすぎて周りの何も聞こえない、匂いもわからないような状態。
その先生はそのまでの状態になったことがあるのか?w 「sati(マインドフルネス、念)」の意味は
「憶えていること」「思い出すこと」
「注意すること」「気をつけること」です
その反対の「憶えていないこと」「忘れること」は
「失念」と言います 自我が薄れていく段階で忘れっぽくなるのは有るだろうな
自己が失われる恐怖から開放されて浮かれている状態
その先に進むと慈悲の心が芽生えて全体のために生きようと覚醒する 一点集中したら人によっては禅定とかサマーディとか言われる状態に入っちゃうでしょ
状態によっては他の一切が何もわからなくなったりするよ
呼吸じゃなくても何かに本当に集中できたらそうなったりすると思う
日常生活的には危険だけど、その状態を知るためにやってるひともいるし一概に危険で済ますものではない気もするよね
普段の生活の中ではそうならないようにしたほうがいいと思うけど >>361
それはいわゆるゾーンというやつだすな
スポーツ選手や芸術表現者などはゾーンに入れていつもの自分とは違うパフォーマンスが出ることがあるようだす
そういう自分もゾーンかどうか分からないだすが楽器演奏してて乗りが自分なりに極まってくると
リズム隊の演奏がゆっくりに聞こえリズムの表裏を細かくとらえられた経験がなんどかありその時の演奏は多分良かったと思うだす
瞑想ではなかなかそこまではないだすが
いつも思うのは最初は呼吸はランダムでも10分20分と瞑想を続けているうちに呼吸が整ってきて
呼吸が整ってくると同時に心の波風も静まってくるのは感じてるだす むかし武術の大会で優勝したことがありましたが
その時の状態は、ゾーンと言うべき状態でした
しかしゾーンをどう生み出すかがわからなかった
何十年も探してきましたがけど
どうも
それに近づく方法は瞑想にあるようです。 ピアノの練習をしているとき、指の動きが一本一本全てみえる状態に
遭遇しています。
ものすごいスピードで動いているのに
スローモーションで動いている様な感じです。
その時は思考が止まっているというか、思考が邪魔をしないと言う状態で
非常にクリアではっきりみえているという状態 心理学から見たら禅定=フローみたいね
フロー (英: Flow) とは、人間がそのときしていることに、完全に浸り、精力的に集中している感覚に特徴づけられ、完全にのめり込んでいて、その過程が活発さにおいて成功しているような活動における、精神的な状態をいう。
ゾーン、ピークエクスペリエンス、無我の境地、忘我状態とも呼ばれる。
心理学者のミハイ・チクセントミハイによって提唱され、その概念は、あらゆる分野に渡って広く論及されている。 続きっす
チクセントミハイが見たところによれば、明確に列挙することができるフロー体験の構成要素が存在する。彼は8つ挙げている。
1明確な目的(予想と法則が認識できる)
2専念と集中、注意力の限定された分野への高度な集中。(活動に従事する人が、それに深く集中し探求する機会を持つ)
3自己に対する意識の感覚の低下、活動と意識の融合。
4時間感覚のゆがみ - 時間への我々の主体的な経験の変更
5直接的で即座な反応(活動の過程における成功と失敗が明確で、行動が必要に応じて調節される)
6能力の水準と難易度とのバランス(活動が易しすぎず、難しすぎない)
7状況や活動を自分で制御している感覚。
8活動に本質的な価値がある、だから活動が苦にならない。
3と4なんか特に、このスレでも言われてることに似てると思うが 366.
心理学をやっている場合ではない。
それは宗教ではない。
なんでか。 当方心理学を専攻しとりますが、サティ(気づき)がなぜ有効なのかは未だはっきり解明されてないようです。
メタ認知機能とか注意機能とか使ってそれらしい解釈もできますが、臨床ではメタ認知療法では寛解しなかった精神疾患のケースでもマインドフルネスは有効性が見られた。
まあ心理学的に見るとブッダは史上最高の腕のいいセラピストですな。 >>368
失礼、ここ宗教板だったね。自重しますです。 369.
ブッダはセラピスト、か。
それならば、金儲け、ができる。
宗教とは何か、理解していない。
だからして、心理学になってしまう、のだ。 うーん ゾーンは似ているけどちょっと違うんですよね 同じような集中状態なんですけど ちょっとポジティブなんです 動作に自分の思考は介在しないが気持ちは介在するというか
対戦相手なり 何かの動作なり自分以外の対象がある
ノリノリって感じです ただゾーン状態で不二一元が起きたこともあるんで関係ないとも言えないけど
大きな違いはそれまでの自分という感覚に対して 疑い 違和感を発生させて足腰をガクガクさせるかどうか ということだと思います
ゾーンのスーパー能力発動だとせいぜい ねえ 聞いて聞いて! 昨日こんな状態になって相手の動きがスローに見えたの! すっごく不思議だったよ!で終わってしまうので ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています