マインドフルネス瞑想 Part9
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マインドフルネス瞑想は、宗教色を抑えて広く活用されやすくしたものですが、その元には宗教があります。
そこで当スレでは、マインドフルネス瞑想を主として、派生的に、あるいは根元的に宗教的な話をしましょう。
前スレ
マインドフルネス瞑想 Part8
http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1519401863/
メンタルヘルス板
【瞑想】マインドフルネス 6【気づき】 http://mevius.5ch.net/test/read.cgi/utu/1508008965/ >>191
冥想をするのに、冥想の成果にこだわってはなりません。
むしろ神を喜ばすために冥想しなさい。
もし良い結果を求めてすれば、その結果がやってこないとき落胆することになります。
バガバット・ギータの中で、クリシュナは「成果を期待しない行為」を勧めています。
冥想もまたそのような気持ちで、取り組まれるべきです。
成果への執着のない冥想に取り組みなさい。
(パラマハンサ・ヨガナンダ)
http://mandalaya.com/s7.html >>194
>>181の、瞑想をすれば違う自分になれると語る人からワンセット 朝早起きして座ろうと起きてはいるんだが、どうしても横になりたくてまた寝てしまう
みんなどうしてる?
休日なんかは自分のペースで起きて一時間くらい瞑想できるんだけど
平日に早起きして座ってる人尊敬するわ どうしても不快感に耐えかねて横になってしまう
実施してる人、どう工夫してるのか教えてくれ! >>190
おお!1年も続けているなんて凄いですね! その期間でハッキリ自分のことに気づいた ああ 自分は怒っていたんだとか 自分は悲しんでいたんだとか 心の奥底で失うのが怖かったんだ
そういう突然の理解は無かったですか? 一度でもあれば もう無限に落ちる滑り台から自分の意思で滑り始めています。
もし そうでないなら精密さと強度を高めても良いかもしれませんね 精密さは思考感情感覚が起こる瞬間を捉える話
強度は自分の体をパーンと叩いた時に 叩いた感覚と叩かれた部位の感覚が一時的でも高まると思います これを叩かずに集中力で全身なり上半身なりに作り出す話です >>198 の続き
みなさんが理解できないのはスポーツのように練習すれば徐々に上手くなるという思い込みがあるんだと思います
徐々に上手くなるのは 観察の方法 なんです 私たちは観察が上手くなりたいんじゃないんです そんな面倒なこと本当はしたくない
できれば認識が一気変わるスイッチが体のどこかにあって押して解決!が楽で良い そのスイッチを見つけるために面倒な瞑想が必要なんです
ですからスイッチが見つかる 押す瞬間までは多少前向きになったりする程度でそれほど劇的な変化はありません スイッチを押してないんですからね
期間は命をかけて3ヶ月 普通に熱心にやって3年 日常生活を大事にしながらなら5年から10年ぐらいではないでしょうか 心を扱うことだから我見や執着や欲の強い人間は毎日時間をかけ死ぬまでやっても何も変わらないかもしれないし
我見や捉われをなくそうと自分に対して謙虚な人間なら少しの時間で大きく変わるかもしれないし個人差がはかり知れなく大きい 始めて1年と少しだけど短期記憶と頭の回転というか、考えてる問題について閃きが来ることが明らかに増えたな
前頭葉の機能改善がなされた結果だと思うけど
神経科学者や脳科学者、PTSDに関わる領域の研究者たちが言ってることは事実やわ スマナサーラが言ってた「怒りはヴィパッサナーで怒っていることに気づいた瞬間に消えるから念を常に保て」とかいうのは思い込みでしかないと思う
思い込みが効いてるうちは怒りは消えるように自制が働くだろうが早い人では数週間で思い込みが覚めてしまうだろう
なるべく覚めないようにするには毎日ヴィパッサナー瞑想をして念を意識する(少なくとも意識したつもりになる)ことだと思う
しかし瞑想はヴィパッサナーよりも天台止観やヨガで取り入れている丹田呼吸のほうが有効な気がする
これを毎日15分ずつやってると心身ともに健康になっていって胆力がついてくる
丹田の場所が分からなかったら仰向けの状態から少し上半身を腹筋を使って持ち上げると固くなる臍の下の部分
ここが丹田なのだがその丹田を特に息を吐くときに意識して呼吸するといい そう思うならマインドフルネス瞑想やめて丹田呼吸法やってりゃいいだけのこと >>189
特に俺宛のレスっていうわけじゃないだろうけど、
エックハルト・トールも随分前に読んだよ
マインドフルネスと親和性もあるし、言ってることもちょっとスピリチュアルな部分除けば
納得することも多いし←これ、多分以前にも書いた
脱線するけど、あちらの国の方々って、どん底状態から
突然覚醒したっていうバイオグラフィー、ストーリーつくるの大好きだよね
その一点がもう胡散臭さを醸し出してて鼻つまみたくなる。臭いから
エックハルト・トール、バイロン・ケイティ、ヘイル・ドゥオスキン・・・みんな一緒だもの 君の物言いも十分臭いよ
何きどってかっこつけてんだか
イメージやストーリーに囚われてるのはどっちだろうね
自己の放棄が起こっただけだろ
単にそうしたことが起こっただけ
一神教的文化ではそういうことが起こりやすいだけの話 エックハルトの思考との脱同一化とかいうやつって
ウパニシャッド哲学のヤージュニャヴァルキヤの「それはアートマンではない、それもアートマンではない(ネーティ、ネーティ)と何が違うの?
エックハルトも本当の自分とかってアートマンみたいなのを認めてるし本当違いがよく分からん
ヤージュニャヴァルキヤ
https://www21.atwiki.jp/p_mind/pages/86.amp >>204
本当のサティが入るようになればあなたにも分かると思いますよ。
頭でいろいろ考えて思い込むのは自由ですが、スマナサーラ師の名前を出してあなたの間違った見解を広めるのは控えてもらえませんか? 引きこもってどん底だった頃に比べて
きちんと生活できるようになったし忙しくても段取りをテキパキ決めて仕事をこなせるようになった
だけど
相変わらず怒りが定期的に爆発してしまう
怒りの頻度と程度は少しマシになった気はする
怒りの後の気持ち悪さ、毒がまわってる感じも認識できるようにはなった
本で瞑想を知って日常生活で取り入れながらでもうすぐ3年だけど
自分が瞑想できているのか分からなくなってしまった >>210
あなたには本当のサティが未だ入っていないのですよ >>207
> 君の物言いも十分臭いよ
> 何きどってかっこつけてんだか
気取ってかっこつけてるですか?笑
面白い感想いただきました。びっくりですわ、あははは 「自己の放棄」ってなんですか?
自己の放棄とやらがおこると、どん底状態だった人間がいきなり覚醒して、
メソッドやら真理やらを語り始めるんですかね
よ!アメリカンヒーロー万歳!! よくスピ系のブログで良いこと書いてるのに
コメ欄で煽られた主が発狂してるのと似てる >>214
俺?それともあちらさんのこと?
俺のことなら、見ての通り良いことなんて書いてないし、以前からずっとこんなだよ
露悪的でかっこわるいのあからさまだし、書いたとおり解脱とはかけはなれた人間だから
年がら年中切れまくってる >>206
バイロン・ケイティ…
http://thework.com/sites/thework/nihongo/
ナニコレわっかりやすっw微笑ましいというかなんというか…
よくしってんねこんなの…
まぁ、日本では売れてないんだろうなという感じはする…
ヘイル・ドゥオスキン…
軽くググったらセドナメソッドの人?
>>213
> 「自己の放棄」ってなんですか?
手放しとか観念したってことだろ
> 自己の放棄とやらがおこると、どん底状態だった人間がいきなり覚醒して、
> メソッドやら真理やらを語り始めるんですかね
えてしてそういう物だろ
よっしゃメソッド作ったろ!と思うかどうかは別の話だけど。
>よ!アメリカンヒーロー万歳!!
自己啓発マニアなら詰まらん事いわずにセドナでもやっとけや!
癇癪なら医者に逝け 219 世間をよく理解して、最高の真理を見、激流を超え海をわたったこのような人、束縛を破って、依存することなく、煩悩の汚れのない人、
──諸々の賢者は、かれを<聖者>であると知る。
220 両者は住所も生活も隔たって、等しくない。
在家者は妻を養うが、善く誓戒を守る者(出家者)は何ものをもわがものとみなす執著がない。
在家者は、他のものの生命を害って、節制することがないが、聖者は自制していて、常に生命ある者を守る。
221 譬えば青頸の孔雀が、空を飛ぶときは、どうしても白鳥の速さに及ばないように、
在家者は、世に遠ざかって林の中で瞑想する聖者・修行者に及ばない。
スッタニパータ
http://hosai02.la.coocan.jp/dammapada-01/suttanipata-all-text.htm
オマイらも世に遠ざかって林の中で瞑想すべし
そうすれば出家者に近づける
もちろん執著を捨てて節制するのは大前提である オマイらも、と言わずに自分が世に遠ざかって瞑想すれば?
自分が出家者に近づけばいいのでは? >>221
なんで念仏は出家も林も関係なくて
マインドフルネスは関係あるの? >>223
自力修行するのなら完成を目指したほうがいいだろ >>224
念仏は自力修行じゃないの?
念仏は完成を目指さないの? >>226
他力本願いいな
自分はやらずに人にやれって言える態度がいい >>210
それは良かったじゃ無いですか、そこまで出来ている
怒りがみえているだけでもたいしたものですよ 自己とは何か?って考えると脳のニューロンを流れる電気信号が映し出す幻影でしょ
あると信じれば出現し、無いと信じれば消えてしまう
幻影だから
子供にとってはサンタクロースがいるし、大人になれば消える
その程度のもん 内なる世界と外なる世界が(我々の)自我を通して普遍的世界を見ている ただわが身をも心をも放ち忘れて、仏の家に投げ入れて、仏の方より行われて、これに随いもてゆく時、力をもいれず、心をも費やさずして、生死を離れ仏となる。
だから坐禅も他力的なとこがある >>230
「誰?」って問自体が自己とその他を肯定するものだから答えようがない
信じるってことに関しては縁起による現象でしょ
雷とか雲に「誰?」って問わないでしょ >>233
全く説明になってない
>>229
>自己とは何か?って考えると脳のニューロンを流れる電気信号が映し出す幻影でしょ
>あると信じれば出現し、無いと信じれば消えてしまう
脳のニューロンを流れる電気信号が映し出す幻影が自己であると信じれば出現し無いと信じれば消えてしまう
はい、ではあると信じている主体は何? >>234
だから
主体ですら幻影ですよ
主体も客体もない
自己がないと信じる主体ですら幻影なんですよ >>235
「自己がないと信じる主体ですら幻影である」と信じているのは誰? >>211
本当のサティが入るためにはやはり普段の瞑想をしっかりすることが大事でしょうか?
>>228
恐れ入ります >>236
それも幻影で
それを信じているのも幻影です
「誰?」を探してもどこにも居ないのです
諦めて下さい 全ては真我が作為したことで全ての質問はエゴが生み出す。 >>239
>それも幻影で
>それを信じているのも幻影です
>「誰?」を探してもどこにも居ないのです
そう信じているのは誰? >>241
幻影です
ずっとやり続けますか?
どっちが先に幻影からおさらばしますかねw >>242
幻影だというのならそれを証明してみなされ >>243
実体が見つからないからです
誰も見つけられません
貴方、見つかりましたか?
「我思う故に我あり」ですか?
それこそが幻影じゃないんですか? >>238
怒りがみえているっていうのは、大変なことなんですよ
みえてないから、殺人やその他傷害事件が起こるわけですから
でも心を自分の心を観るのは、とてつもない恐怖であることは
よくわかるんです。
自分が全てさらけ出されるから、普通は拒否されますから
醜い部分があからさまになるから >>245
他と切り離されても尚、普遍の自己として存在し続ける実体です
見つかってないですよね?
もしかしたら肉体のどこかに、いや、肉体と遠く離れたところにあるかも知れないけど
見つかってないですよね?
貴方は何か心当たりありますか? >>245
おまえの問いは全部俺のことだぞ
我こそが唯一神 お釈迦様ですら私という主体的な存在はないって言いましたね
お釈迦様ですら幻影に過ぎなかったのです
悲しいですか?
自分が幻でしか無くて悲しいですか?
僕は全ての苦しみから開放されました
だってなにも失うことが無いってわかったからです
もうおっかなびっくり生きなくて良いとわかったからです >>247
>他と切り離されても尚、普遍の自己として存在し続ける実体です
誰がそれを実体であると定義してるの? >>251
「私と思い込んでいる幻」を認識しているのは誰なの? >>252
私と思い込んでいる幻がです
どこまで行っても幻なのです
だからお釈迦様は
「そんな不毛なことに執着するな」って教えたんです
貴方がこれまでどんなに苦しい人生を送って来たのかしりませんけど
やっぱり「貴方」は幻なんです
それを受け入れて楽しくやりなさいよ これ横で聞いてる分には面白いだけだけど本人は真面目に問うてるんだよね? >>253
>どこまで行っても幻なのです
幻がいくら語ってもその内容は幻だな
だから君のレスは全て幻
あるクレタ人が全てのクレタ人は嘘つきであると言ってるのと同じでパラドックスに陥っていることに気づきなさい >>255
私の言うことは幻ですよ
そして貴方の言うことも幻です
私も貴方も実体は無いんですから
私は私が幻でしか無いことを知っています
だから幻と言われても「そのとおりです」としか言えませんし
それで満足です
貴方は実存だと思いこんでいるから苦しいのです >>256
>私の言うことは幻ですよ
これで話の全ては終わりだわ
その後のレスは全くの蛇足
幻なのだから
厳密に言えば一行目も幻であるから蛇足なのだが循環論法というパラドックスの好例としての価値はあるとは言えよう 非二元で全ては幻って言い方よくしてるけど、幻だときちんと理解できてないのに言葉で言うのはやめなさいとも言われてるよね
幻ってのは幻かどうかじゃなくて、現実と幻とそのどちらもの概念がないことだから
幻って言いたくなるときはと多くの場合幻というものが存在してるというこだわりになっちゃってるんだよね
現実があるというこだわりが幻があるというこだわりに変っただけ
現実とか幻とかそういうのが丸々どうでもよくなることが幻ってことなのに >>213
ブッダにせよマハーシサヤドゥにせよ
メソッド語り始めちゃうのは同じ。「俺切れてないよ」はわかったからそう動揺すんなって >>258
> >>256
> >私の言うことは幻ですよ
>
> これで話の全ては終わりだわ
いや、そこで相手の言うことが幻だって認めちゃうの?
いままでの主張の骨子からいって、そこは「あなたは幻じゃありませんよ、こうして話しているのは誰?」って頑張るとこじゃね?w >>262
なんでレスを見ただけで本で得た知識だとわかるんですか? >>261
>>229で発言したことは幻であり現実ではありませんでした
で終了ということ 幻という表現はこの世界では沢山使われるんですが
幻自体は問題になりません
幻に拘ってしまうのが問題なんです
死んだ子供 友人 彼女に似ている 目で追ってしまう その人のことを思い出してまた悲しくなってしまう
「似ている」だけだとわかっているのに何かがまた発生 生起してしまう
幻だとわかっていることと それに拘っていることは全く別の事象 カテゴリ違いの問題なんですよ メンタリストDaigoのチャンネル見て所謂「脳の筋トレ」だと思って始めた
将来の事とか過去のトラウマとか現在仕事で受けるストレスを受け流して散った気を戻す訓練みたいな感じ
ずっと憂鬱な気分で胸がつっかえてたけどまだ意識しないといけないとはいえ楽になってきた
まだ2週間15分ずつくらいしか出来ないけど続けるとやばいの? 幻のことをインドではマーヤーという。
宇宙の根本原理ブラフマンは個人の本体であるアートマンとまったく同一であり、ブラフマンすなわちアートマンのみが実在し、
それ以外のいっさいはマーヤー(幻)に基づき、あたかも幻影のように実在しない。
マーヤーを実在と見なすことを無明という。
ブラフマン(アートマン)のみが真実であり実在であり(一元)第二の実在はない(不二)、この説を不二一元論という。
不二一元論によると、日々の瞑想の継続により、
自己の内側にある不必要なものを浄化することができ、心は平安と静寂に包まれながら、
外側では本来の自己の能力が開花され、日常をより力強く、快活に日々楽しく生きることが出来るようになる。
そして自己の浄化が加速するにつれ、心(マインド)から一切のエゴと様々な二元的な考えを取り除き、宇宙(梵)と我々(個我)の本質がひとつであることを体現する。 >>269
瞑想指導の先生から、感情やストレスを受け流すというのは抑圧されているだけだと聞いた。
瞑想はその抑圧され蓄積された感情の源(潜在意識)まで降りて行くからいきなり長時間やるのは危険で、一日10分くらいから徐々に増やしていきなさいと指導されたよ。 仕事関係で朝とか不安感が強いんだけど、こんなときはどうしたらいいかな 呼吸を見るのはアーナパーナ?抑圧になる?
ボディスキャンをすればいいのかな?
いろんな宗派でいろんな解釈、いろんなやり方があってわからなくなってきた ブッダのアーナパーナでも、ティクナットハンのマインドフルネスでも、
体の安楽を感じながら、とか体を楽にしながら、というフレーズが出てきて、
それって抑圧なのか?やらないほうがいいのか?などと思ってしまう マインドフルネスを知らない人がやる「受け流す」は気にしないようにしてるだけだから抑圧になるかもね
マインドフルネスは違う
というか、気にしないように「する」んだからマインドフルネスとは反対か やってみて効果があるかないか試すしかないわな
気になるなら指導者のいるとことろでおしえてもらうか
かといって指導者がちゃんとしてるかどうかわからんし結局のところ自分に結果が出るまで何もはっきりしない
時間があるならいろいろ本読んでいろいろやってみるのがいいんじゃないの ちゃんとした本に書いてある事を書いてある通りに素直にやってみるのが一番なんだが…
レシピをいろいろ工夫してマズメシ的なコースに入っちゃう人ってほんといるからなあ ただ身体感覚を追い続けるだけなんですけど
難しいのかな? ゴエンカ師のところでは身体の感覚を順番に観るだけだね
スマナサーラさんのところの呼吸を感じる方法は、
ゴエンカさんのところだとサマタになる?
それに、ティクナット ハンさんのところだと、身体を楽に、幸せを感じて、とか、感覚を作るというか、サマタなのかなと思うことが 感覚を追い続けるだけって本に書いてあっても
真面目な人ほど、感覚を追うんだ、集中しなきゃ駄目だ、何で自分はできないんだ、ああっまた気が逸れてた、次こそ…次こそ……グッタリorz
とかやりがち >>275
安楽に 安楽な状態で... その場合の安楽は抑圧ではないです
寧ろ日常でどれだけ心身が硬直しているか実感する機会になる確率の方が高い気が....
是非挑戦して下さいませ
一番向いているのは休みの日の寝起きなんかが代表的です ・舌は上のあごに掛けるのである。
息は鼻から通じさせるべきである。
唇と歯は相い付けるべきである。
眼はまさに開くべきであり、張っても微[ほそ]めてもならない。まぶたで瞳を覆ってはならない。
うなじが背中から違ってもならない。
鼻からの息は通じるに任せて、喘がず音も出さず、長くもなく短くもなく、ゆっくりでもなく急ぐでもない。
身と心をともに調えて、身体を挙げて数回欠気して、内外を放ちゆるくするのだ。
(道元『辨道法』)
https://blog.goo.ne.jp/tenjin95/e/5f6c3e0c68ce3273e94adc590ae30d6b >>276
そうだね。
例えば失恋の場合、普通の人は趣味とか仕事とか旅行とかほかのことやって失恋の苦しみを紛らわせるが、
マインドフルネスの場合、失恋の苦しみに伴う想いなり感情なりに正面から突っ込む感じ。
普通の人から見たらマインドフルネスの方がしんどく見えるけど、想いや感情を乗り越えるには結局逃げずにしっかり観るしかないんだよなあ。
逆に普通の人の受け流すやり方だと、怒りや悲しみや恨みがいつまでも潜在意識に残ることになる。 >>284
ありがとうございます
なんとなくその感覚わかります。平静に体の緊張を見ること自体に安楽な土台が感じられるというか
試してみます >>285
舌は上のあご?前歯?につけろ、
眼(のまぶた)は半眼にしろ、っていうの、
言ってるの曹洞宗だけじゃない? こんな事書いたら、また気取った物言いしてんじゃねーよって言われんのかな
先に謝っとくわ。ごめんねごめんね〜 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています