マインドフルネス瞑想 Part9
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マインドフルネス瞑想は、宗教色を抑えて広く活用されやすくしたものですが、その元には宗教があります。
そこで当スレでは、マインドフルネス瞑想を主として、派生的に、あるいは根元的に宗教的な話をしましょう。
前スレ
マインドフルネス瞑想 Part8
http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1519401863/
メンタルヘルス板
【瞑想】マインドフルネス 6【気づき】 http://mevius.5ch.net/test/read.cgi/utu/1508008965/ 判断を下してる人の話はただそうですかと聞いてればいい
その人にとってはその判断なんだってことでしかないのだから >>109
> 109 神も仏も名無しさん sage 2018/04/16(月) 08:08:53.26 ID:Jb5qZdw1
> >>105
> 不快な音の周波数と理由!ゾクゾクするのは野生の本能!?
> https://yahuhichi.com/archives/2822.html
>
> 全世界の人が持つ痕跡反応は実は錯覚であり全世界の人にとって共通する不快な音というのは全世界の人が勝手に不快だと思っているだけだと?
はい
まず前半の周波数の話。
当たり前過ぎて書く必要性がない。つうか識者の言ってることがただの憶測で全く意味がない。もうここだけで読む気失せそうに…
どうでもいいけど発泡スチロールを擦り合わせる(??)とか砂を噛むとかでお茶にごして終わり?
銀紙を噛むとか、腐臭を嗅ぐとかなんでもアリになんだろが…
> あるいは暴力に対してトラウマを抱えているものが暴力的な声に対して怯えてしまったとしてもそれは単に心の問題ですませてしまう
誰もそんな事言ってなくない?
(トラウマはたしかに心の問題だけど)
> あるいはすぐ目の前で虎の吠える声を聞いてもただの音であると認識せねばならない
どっから出てきた、そんな話w 人間自分にとってさして不快でも恐怖でもない音をただの音と認識して分別をつけないというのは言われれば出来る話で苦の滅却には繋がらない
不快な音や恐怖感を感じる音をただの音と認識するレベルに達すれば苦の滅にはなるだろう
ただしそれには明らかに生理的に嫌な音でもただの音だと自分自身に思い込ませる誤魔化し思い込み
自分自身への偽りが必要 >>114
音を不快な思いや心理に変えても同じことがいえる
それらは無我であるとか非我であるというのは誤魔化しからの思い込みであり偽りである
だいたいにしてアートマンとは思い通りになるものという性格があるわけでもない
苦なるものはアートマンに非ずという考えは論理の飛躍 >>116
固定観念とか思い込みの激しさとかで終わらせてしまうのもまた誤魔化しだよ 瞑想をしたからと言って、暑さや寒さや痛みや痒みなどの感覚を感じなくなるわけではない
それらはあるがままに感じるけど、それらにとらわれることが無くなるということ
誤魔化しや思い込みでしかないという、あなたの 思い込み はどこから来ているんでしょうか >>118
とらわれなくなったからといって暑さ寒さを感じるのは一緒
肉体的な話だけではなくヴィパッサナーの結果無常苦無我と法を見て心からもとらわれがなくなったとしよう
上司からのパワハラにもお局さんからの逆セクハラにも窓際族に追い込まれている状況にもそういうのにも全てとらわれなくなるのか
無我だから
だとしたらその無我というのは思い込みであり誤魔化しであり最終的にには自分自身に嘘をついていることで自分を余計に苦しめている
違うというのなら反論どうぞ >>119
とらわれなくなるということは、問題点の解決を放棄するということではないんですよ
精神的な痛みがあったとして、それを自分の世界のすべてとして感じてしまうのではないということ
全体性という視点から対処すべき問題に対処する >>114
> 人間自分にとってさして不快でも恐怖でもない音をただの音と認識して分別をつけないというのは言われれば出来る話で苦の滅却には繋がらない
> 不快な音や恐怖感を感じる音をただの音と認識するレベルに達すれば苦の滅にはなるだろう
どっちやねん
> ただしそれには明らかに生理的に嫌な音でもただの音だと自分自身に思い込ませる誤魔化し思い込み
> 自分自身への偽りが必要
気にならなくなったら誤魔化す必要が無いだろうが。そもそも。
つか何が言いたいんだよ…
生理的に嫌な音が何を意味するのか曖昧なんだよ…
ありがちなのはこんなところ↓↓?
・低空で飛行するジェット機の騒音
・街宣車
・選挙カー
・竿竹屋
・廃品回収車
・ホットドッグ屋
・爆音チャンバーライダー
・線路沿い住民にとっての電車の音
・保育所近隣住民にとっての子供の声
・誰かが誰かを怒鳴る声
・赤ん坊の泣き声
・クチャラー
・麺を啜る音
・鼻をかむ音
・舌打ち
・(怒鳴られる側にとっての)怒鳴り声
・特定の和音
・特定のコード進行
それぞれ
(a)生理的に嫌な音
(b)不快な音
(c)恐怖を感じる音
で分類してみて。無いのは追加して。関係ないのは無視して。 >>115
> だいたいにしてアートマンとは思い通りになるものという性格があるわけでもない
(いきなり何いってんだコイツ…)
と思ったが
一切は思い通りにはならないものであってそれはアートマン(我のことだろうか??)であっても例外ではない。
> 苦なるものはアートマンに非ずという考えは論理の飛躍
一切行苦が論理の飛躍、といってるのではなく、
苦なるものはアートマンに非ず…か
つまり「一切の形成された物はアートマンではない」という考えは論理の飛躍だと言っているのだろうか…??
無我非我は思い込みと言ってるわけだから我有と言ってるかどちらであるとも言わないと言ってるかのどちらかかな… >>120
>全体性という視点から対処すべき問題に対処する
それでパワハラセクハラ左遷にはどう対処するのかね?
会社を辞める?
みんなが簡単に会社を辞められればそれらで自殺する人はずっと減るだろうね
現実はそんなに甘くはないけど
>>121-122
最初の「どっちやねん?」って読解力が足りないからそういう疑問を投げかけてしまうんだよ
君が引用した俺の元の文をそそくさせずにゆっくりと読み直してくれれば「どっちやねん?」なんて感想は持たないはずだ
次の「気にならなくなったら誤魔化す必要が無いだろうが。そもそも。」も同じ、全く文書が読めてない
>不快な音や恐怖感を感じる音をただの音と認識するレベルに達すれば苦の滅にはなるだろう
>ただしそれには明らかに生理的に嫌な音でもただの音だと自分自身に思い込ませる誤魔化し思い込み
>自分自身への偽りが必要
誤魔化して自分自身を偽った結果気にならないようになれば苦の滅になると書いている
2号くん、君は順番を間違えて読んでいるのだよ
あとアートマンは認識の対象外だから苦でないものはアートマンであることを僅かでも示唆することはできない
それ以上あれこれ考える必要はない マインドフルネスで人間関係のトラブルが解決したら苦労せんわなぁ > >>121-122
> 最初の「どっちやねん?」って読解力が足りないからそういう疑問を投げかけてしまうんだよ
ああわかった!失礼
> 人間自分にとってさして不快でも恐怖でもない音をただの音と認識して分別をつけないというのは言われれば出来る話で苦の滅却には繋がらない
> 不快な音や恐怖感を感じる音をただの音と認識するレベルに達すれば苦の滅にはなるだろう
「自分自身にとって元々不快でない音を、ただの音として分別しないということは、言われれば出来る話だ。」
といっているのね。
でもアナタ出来ないでしょ?w
できたらこんな話にならないもんな
そんでもって
「不快な音や恐怖感を感じる音を価値判断を挟むことなく認識できたら苦の滅にはなるだろう。」
といってるんだな。
(当たり前じゃないですか…)
> 次の「気にならなくなったら誤魔化す必要が無いだろうが。そもそも。」も同じ、全く文書が読めてない
考え方がそもそも違うみたいです。汲み取れなくて悪いが。
> 誤魔化して自分自身を偽った結果気にならないようになれば苦の滅になると書いている
そういう意味かい。
苦の滅になってもそれは自分を偽った結果であってそれは誤魔化しである。
というふうに受け取れるぞ?
> 2号くん、君は順番を間違えて読んでいるのだよ
思い込みだよそれは。
どう読んだら2号に見えるんだよ…
> あとアートマンは認識の対象外だから苦でないものはアートマンであることを僅かでも示唆することはできない
> それ以上あれこれ考える必要はない
なら言うなよ…
いきなりなにを言っているんだ 要するにマインドフルネスをやると体の痛みは同じように痛むけども
痛みが気にならなくなるって事だな。
そうすると本当に痛みが消えるんですね?とエゴは結果を気にするわけだが。
まぁマインドフルネス本にも様々な効果効能が書いてあるので当然結果は出て然るべきか。 癌を外科的手術で取り除くのがエゴの要求なら
癌の原因を作ったエゴを見破るのがマインドフルネス。
これじゃ喧嘩になって当然だぜ。 やればどうなるのかわかるのに
やってもないうちからこうなるんだろうと結論付けたりわかった気になったり
それじゃ仮にやっても自分の思いで予測した結果しか出てこないしただ自分の思いを自分で実現させてるだけ
役に立たないと思ってやったら当然役に立たない結果しかでないよね
自分の心身を信じてる人はその心身からの結果しか知りえない >>123
個別の問題に処する方法論は、それぞれしかるべき対応策を考えればいい
辞めた方がいいなら辞めればいいし、訴えようと思うなら訴えればいい
そこの方法論はマインドフルネス関係ないでしょ >>124
一時的な悩みもあれば、ずっと抱える悩みもあるものですがそんな悩みの中でも、80%を占めると言われるほど大きな悩みというのが「人間関係の悩み」なんだとか。
http://mio816.xsrv.jp/dnsr-9258 ああ 無我 非我に意識的になろうとしても それは思い込みの力に過ぎないという話ですね
それは全くその通りです 徐々に無我 非我になっていくことはほとんど無いと思いますよ 気づきがある度に少しは肩の荷がおりますけどね
それが起きる数秒から数十秒の出来事を起点にガラッと変わります それを起こすために人工的な努力を続ける訳です
でも人工的な努力が無駄な訳では決してありません ただ努力の方向性にコツがあるだけのこと
そのコツが 自分の日常的な変化(喜怒哀楽 思考 動作)を分析 価値判断 せずにただ観察することですよ 慈悲の瞑想で例えば自分にパワハラを働く上司の幸せをも祈ります。
すると自分のエゴが消えていくと同時に上司への憎しみも消えていき、
その後上司に何言われても気にならなくなります。
嫌いでない人に言われても不快にはならないし、
何よりも自分のエゴがないわけですから鈍い鐘のように理不尽な叱責の言葉も自分の中で全く響きません
かくのように慈悲の瞑想で人間関係のトラブルや悩みは解消できます。 >>132
左遷の場合、左遷で飛ばされた先から飛ばした上司の幸せを祈ればいいんですか?
家族と離れ離れにされて一人で頑張りながら本社で働く上司の幸せを祈ればいいんですかね >>134
その通りです
3 「かれは、われを罵った。かれは、われを害した。かれは、われにうち勝った。かれは、われから強奪した。」という思いをいだく人には、怨みはついに息(ヤ)むことがない。
4 「かれは、われを罵った。かれは、われを害した。かれは、われにうち勝った。かれは、われから強奪した。」という思いをいだかない人には、ついに怨みが息む。
5 実にこの世においては、怨みに報いるに怨みを以てしたならば、ついに怨みの息むことがない。怨みをすててこそ息む。これは永遠の真理である。
(ダンマパダ ) >>124
だな。みんな瞑想に夢持ちすぎ。
寝る前に3分やるとスッキリするからやってるけどさ。
理不尽なことがあっても無我だのアートなんたらだのと、ガチの瞑想者は現実を誤魔化すのが上手くなるみたいだな。 何かに対して結論づける人は自分のことを何かに対して結論づけられるくらいの能力がある人間だと思ってるんだろうね
これまでどれだけのことをしてどのくらい能力のある人間か知らないけどよく結論なんて出せるなと思う >>136
ぶっちゃけASMR聴きながら寝た方が熟睡出来るでw >>125
2号くんと勘違いしたのは大変失礼したがそれ以外はあなたは読解力と知識と両方足りない
例えば最後の
>なら言うなよ…
>いきなりなにを言っているんだ
「苦なるものはアートマンではない」と言ってるのは経典であって
それに対する疑問をこちらは提示していることにあなたは気づいてない
それはあなたに読解力がないからか知識がないからかのどちらかだ
どちらとも努力次第で身につくものだからまずはそれらを身につけることをお勧めする
「自分自身にとって元々不快でない音を、ただの音として分別しないということは、言われれば出来る話だ。」
こんなことも一言も言ってないのになw パワハラがあってもあるがまま?
サビ残があってもあるがまま?
リストラされてもあるがまま?
マインドフルネスってただの社畜製造機じゃん。 うえの人も言ってるけどさ、受容ないしあるがままっていうのは
現状を受け容れたうえでただそこにとどまれ、現状維持しろっていう意味じゃないよ 対策をなにもとらずに唯々諾々と受け入れろってことじゃない
俺の勝手な解釈・結論じゃなくてね、例えばカバットジンもそう書いてる >>142
> 2号くんと勘違いしたのは大変失礼したがそれ以外はあなたは読解力と知識と両方足りない
そうか、ここは一応マインドフルネス瞑想とその仲間たち(仏教密教ヨガその他)のスレだしな。
疎くてすまない
(全部だけどw)
> 「苦なるものはアートマンではない」と言ってるのは経典であって
わかった、アゴン経ね
> それに対する疑問をこちらは提示していることにあなたは気づいてない
> それはあなたに読解力がないからか知識がないからかのどちらかだ
>>125
>アートマンは認識の対象外だから苦でないものはアートマンであることを僅かでも示唆することはできない
>それ以上あれこれ考える必要はない
↑この部分こといってんだよな?
どこをどう読んだら疑問の提示になるの?
断定だよねこれ?
それともこっち?↓
>>115
> だいたいにしてアートマンとは思い通りになるものという性格があるわけでもない
(故に?)
> 苦なるものはアートマンに非ずという考えは論理の飛躍
こちらも断定だけど2行目は貴方の見解で、1行目はあなたの論拠だよね?
それとも、2行目で疑問を提示しているのだ!と言いたいの?
(流石にそれはちょっと無理あるとおもうな…)
> どちらとも努力次第で身につくものだからまずはそれらを身につけることをお勧めする
いやべつにいいや
身につけて何か意味あるのかといっても…大した意味ないしなぁ…
> 「自分自身にとって元々不快でない音を、ただの音として分別しないということは、言われれば出来る話だ。」
> こんなことも一言も言ってないのになw
ちがった?
> 人間自分にとってさして不快でも恐怖でもない音をただの音と認識して分別をつけないというのは言われれば出来る話で苦の滅却には繋がらない
(再度翻訳)
人間誰しも、自分自身にとって不快でも恐怖でもない音ならば、意味付けや分別をしないで知覚することは(やれと言われれば)誰でも出来る話であって、それができた所で苦の滅には繋がらない。
これでどう? >>147
>>それ以上あれこれ考える必要はない
(なのに経典では苦であるものはアートマンではないとなぜ断定するのだ?)
という疑問を呈しているのよ
>ちがった?
>これでどう?
あ、これは俺の早とちりだわスマソ
違ってない
これでどうかと聞かれればあっている
で違っているのは
>>125
>でもアナタ出来ないでしょ?w
>できたらこんな話にならないもんな
ここだ
このくらいは流石にできるよ
瞑想中に聞こえてくる車の音や用水路の水の流れを快不快の分別をつけずにただの音として認識することくらいはね
救急車や消防車の音が聞こえてもただの音として認識はできる
流石に近所で救急車が止まったり消防車が何台も通るようだったら意識はするがね
そういう音まで意識しないように分別しないようにただの音として認識できたらそれは苦は滅却できてるだろうけどそれは出来ないだろう
人間を捨てるようなものだからね
以上
申し訳ないがあなたと話をしてても切りがなさそうなので自分からはこれで終いにする
レスをつけるのならどうぞご自由に
ただこちらからの再レスはないよ >>143
パワハラがあったら?→好きにしろ
サビ残しろと言われたら?→好きにしろ
退職勧告されたら?→正社員なら好きにしろ。
ってなるかな…
マインドフルネスあまり関係ないが >>148
> >>それ以上あれこれ考える必要はない
> (なのに経典では苦であるものはアートマンではないとなぜ断定するのだ?)
> という疑問を呈しているのよ
分かるわけねぇだろがっ!ww
文脈追ったら解るかな?
>>103
>>114
>>115
(>>119)
>>123
>>142
↑のレス全部貴方の断定であって、
ただの少しも経典に疑問を呈しているようには読み取れんぞ。
エスパーじゃねえんだぞ…
コミュニケーション能力は鍛えることは可能だから実践するといいよ。
(瞑想も有効だけどネ。)
> このくらいは流石にできるよ
> 瞑想中に聞こえてくる車の音や用水路の水の流れを快不快の分別をつけずにただの音として認識することくらいはね
フム…車の音と水の音を分別しないことができるか、なかなかやるな…って違うか。水路のせせらぎはせせらぎとして、車の音は車の音として、認知できるってことね。耳障りでないなら。
> 救急車や消防車の音が聞こえてもただの音として認識はできる
ん?…サイレン音が聴こえてもどこで何があったかとか連想が浮かぶようなことがない
くらいの意味かな…
> 流石に近所で救急車が止まった防車が何台も通るようだったら意識はするがね
…と思ったら違った
近所かどうかは意識するんだ。ナルヘソ
まとめると
「サイレン」「車の通る音」「水路のせせらぎ」というふうに、(言語化してるかはわからないが)少なくとも概念化はしていて音のする方向とか意味は識別しているけれども、
それが耳障りでない場合は特に感情が波立つことはない。
てとこだな
> 人間を捨てるようなものだからね
ずっとそのままってことは無いんじゃないか?発狂しちゃったら別だが。
とりあえず了解 横からだけど、音をただ音と認識するのってサマタじゃない?
マインドフルネスやヴィパッサナーの観瞑想では、音という外部入力によって生じる身体の反応と、それに付随する心の動きまで随観するよね?
音を音として認識したところでプロセスを止めちゃったら、何も観察できないよ。 >>119
ごめんなさい 見落としてました
今の私の段階での実感を書きますよ 結論からいうと 明日お前の右腕を切り落とす と言われてもうわー痛いだろうな としばらく想像した後 夜は眠れると思います
どちらかというと 右腕が無かったらこれが出来なくなるのか でも義手ってどれぐらいの性能なんだろう テレビで見るすごい奴は高いんだろうな
ぐらいの思考だと思う 今の私だと 殺す と言われるとまだ 戸惑いがある 来週ではダメですか? という感じが残っている
軽い無我の境地でもこうなります ガチでSATSUGAIされるシーンになったらもうどうにも出来ないし黙って諦観するしかないな >>155
座間市で殺された9人の女の子はみんな諦めて殺されたのかねえ
自殺志願といいながら本当に死にたい人はいなかったと犯人は言ってたが
死を意識してながらもいざ死ぬ段となったら恐怖する
口で言うほど死ぬ覚悟というのは生易しくはないと思うな >>154の続き
何故こうなるのか 例えで言いますと 下手な例えかもしれませんが 鏡がない世界で暮らしていたとします
周りは機械仕掛けのロボットばかりでそれぞれ役割を持って動いている世界です
自分の仕事はそのロボット達を操って効率良く作業をさせることでした ある日偶然鏡を見つけて自分の姿を見た瞬間に 自分もロボットだと知ってしまったんです
思考も感情もある 自分を感じられる でもロボットでした 現実は何も変化しないんです でも認識がガラッと変わってしまう 自分は相変わらず感じられるが 思っていたような自分ではなかった訳です
無理のあるたとえ話ですが感覚的にはある種類似した話です 事前の予測とか覚悟にもとづいた将来の感情・感覚なんて全然信用してないですね。
少なくとも自分の場合は
過去の実体験をふまえてみてもあてにならない
未知の領域に踏み込んだ場合の感覚について、自分のそれまでの経験値から
ある程度の想像はできても真の実感なんて感じるの、凡人の自分にはムリ
所詮他人事と一緒だから 近年、瀬戸内寂聴さんが大病してこんなつらいと思わなかった(大意)って言ってましたが
そんなもんです
覚者の方は違うんでしょうが、所詮他人事だから、なんでも言えるんですよ 覚者でなくてもその時点で既に廃人なら、あきらめの境地にはなるかもしれません
そういう人たちの経験譚をいくつかみかけたような気もします
でも、これも他人事です 目の前にある世界は過去の繰り返しではなく
常に未体験の新しい世界だもんな 身体や生命は大事ですからね。
執着や苦しみのない、あきらめたような状態を保持したまま
問題の対応にあたれると楽ではありますけど。 カバットジンのマインドフルネスストレス低減法は、まさに病人や怪我人に対して書かれてるような書物だけど、そこにあるのは諦めや逃げをすすめるようなものではない。むしろ逆。 カバットジンさんは受容や、痛みを受け入れる
のような方向でもないんでしたっけ。
どんな感じなんですか? カバットジンのワークショップとかあれば行って実際に会ってみたい
日本に来ることはないのかな マインドフルネスでいう受容とか受け入れるというのは諦めることではないよ
そういう誤解をしている人というのはどこでマインドフルネスを学んだのだろう ごちゃごちゃ言わずにマインドフルネスのルーツとなっている四念処が説いてある大念処経を熟読して
マインドフルネスやヴィパッサナーの根源を学んでその通りに行ずればいいじゃない
大念処経現代語訳
https://blog.goo.ne.jp/hhynk/e/5dfd915e6ed70b389d597c53a110d757 >>166
自分は、何かを守ろうとする感覚(何かへの執着)があるときに、不安がありました。
その守ろうとする感覚(何かへの執着)を手放したときに、不安が消えたことがあります。
不安のもとになっていた問題に対しても、不安などが消えたままマインドフルに対応することで
問題を解決できたことがあります。 >>166
横だけど
アクセプタンスは諦めないこととか投げ出さないこととか信じ抜くこととかかいてあんの?
アクセプタンスとレジスタンスは真逆のような気がするが… >>153
> 横からだけど、音をただ音と認識するのってサマタじゃない?
ん?ああそうだね。たしかに。
> マインドフルネスやヴィパッサナーの観瞑想では、音という外部入力によって生じる身体の反応と、それに付随する心の動きまで随観するよね?
マインドフルネスはわからんがアビダルマのほうでパンニャッティだパラマッタだ言ってたな。
無我の洞察が重要だとか。(←同意)
> 音を音として認識したところでプロセスを止めちゃったら、何も観察できないよ。
プロセス…そうプロセスね。
受をパラマッタとして識をパンニャッテイとするのもプロセスというか方便なんかな。
真諦は不変であるなんてしちゃうと矛盾してくるわけだが…
想もパラマッタかな?どうなんだろう…
だれか僧いない? 呼吸に意識を向けるだけ、そういわれると困ってしまうのがエゴなんです。
話がそれで終わってしまう。そうさせないと暴れるわけです。 >>172
呼吸に意識を向けるだけ
はマインドフルネスの初歩
古今東西の覚者で「呼吸に意識を向けるだけ、それでお仕舞い」などと言った人物はいない >>154
すごいな、そこまで出来るか
でもその感じわかる >>154
全身麻痺になった苦しみを瞑想で乗り越えた、タイのカンポン・トーブンヌムさんもそういう境地だったのかな。
カンポンさんは、「苦しむ人」から「苦しみを観る人」になると表現されていたが、あなたのレスも、生じてくるものを苦しむことなくただ観るだけのような意識状態に見えます。
瞑想で本当にそういう意識になっていけるならもっと真剣に瞑想やろうかな。 若いうちは健康なのが当たり前で身体が少し悪くなるだけで大げさに驚くし悪い所も良くなるけど
年齢を重ねていくと悪い所があってもう良くもならず、さらに年々悪くなる一方でやがて死ぬことまで見えて来るからね
いま20くらいの人だって数十年後には死ぬわけだし運が悪ければ何かが原因で来年にも死ぬかもしれない
死ぬ時には何も持って行けないし今あるもの全て失わなければいけないと本当に考えたら
ものの見方、考え方、いま何をすべきかもいろいろと変わるだろう 1000年続くとされる琵琶湖の
伊崎の棹飛びというものがあるのだけど
これもこの心の状態を図るものではないかと
観ています。 >>178
結論をいうとおっしゃる通りなんですが それを自然に任せず 短期間で徹底的に心身で理解しようというのが瞑想かな? と思います
ある瞬間を境に殆どのことに興味が持てなくなってしまう 薄れてしまう だからといって廃人なのかというと
地域の掃除に参加しても汗だくで今までやったことがないくらい集中して楽しく掃除できてしまう 昔はあんなに嫌だったのに...
これが 勝手に起こる のがミソです でもあんなに好きだった趣味は30分も続かないんですよね 飽きて帰りたくなる
不思議だ.... >>176
>>177
一番簡単な無我なり自我の理解 自分の正体がハッキリわかるまでの悪戦苦闘と プロ野球選手とかオリンピック代表になる努力とでは どう考えても前者の方が簡単です 圧倒的に
ですから世界中で私程度の状態になってる人は掃いて捨てるほどいると思いますよ 今や珍しくもありません
その気になったらもう一歩踏み出すのも良いかもしれませんね 楽になります 生きるのが >>178
>いま20くらいの人だって数十年後には死ぬわけだし運が悪ければ何かが原因で来年にも死ぬかもしれない
>死ぬ時には何も持って行けないし今あるもの全て失わなければいけないと本当に考えたら
>ものの見方、考え方、いま何をすべきかもいろいろと変わるだろう
無常 憑(たの)み難し、知らず露命(ろめい)いかなる道の草にか落ちん、
身(み)已(すで)に私に非ず、命は光陰に移されて暫くも停(とど)め難し、
紅顔(こうがん)いづくへか去りにし、尋ねんとするに蹤跡(しょうせき)なし、
熟(つらつら)観ずる所に往事(おうじ)の再び逢うべからざる多し、
無常 忽(たちま)ちにいたるときは国王大臣親暱(しんじつ)従僕(じゅうぼく)妻子珍宝たすくる無し、
唯独り黄泉(こうせん)に趣(おもむ)くのみなり、
己に随い行くは只(ただ)是れ善悪 業等(ごっとう)のみなり。
(意訳)春の若葉が秋には紅葉し、冬に散ってゆくように、あらゆるものは刻々と姿を変えていく。我々の身体もまたその理のなかに存在し、やがて歳をとり、老いて、死にゆく。
少年だった頃の面影は一体どこへいってしまったのか。あとかたすら残ってはいない。
今一度、心静かに命について考えてみたい。ひとたび過ぎ去れば、時は二度と戻らず、命もまた一つしかない。
国王や大臣の強大な権力や、親や兄弟や友人との友情や、妻や子どもとの愛情や、あるいは金銀財宝の力をもってしても、その事実は少しも変わらない。我々はその時が来たら、一人で死にゆくしかないのである。
そんな我々に随ってくるものがあるとすれば、それは生前に為した善悪の行いの業(カルマ)だけである。
http://www.osoushiki-plaza.com/library/kyouten/img/kyoten06.gif
死ぬときに持っていけるものは過去世から現世へと貫いて現世で果が得られなかった業だけ
だから悪をなしてはならない
因果応報は必ずあり来世以降その報いを必ず受けるからである 瞑想はしてないけどマインドフルネスの嫌な気分とかを客観視するやつやってるけど効果が凄い
なんか前まで思い出す度に嫌な気分になってたことを思い出してもなんとも思わなくなった
そのうち忘れれそうだ >>155
どうにもできなくって、それで諦観しちゃうの?
俺なら恥も外聞もかなぐり捨てて泣きわめいて命乞いすると思うよ
俺柔道の経験あるんだけどね。昔、先輩に毎日毎日何度も何度も
寝技でギュウギュウに締められるわけ。文字通り締められる、首を
参ったしても放してくれない
苦しくって苦しくって涙もでるし、パニック状態だよ
身体的、精神的苦痛のさなかに放り込まれたら、そんなもん
それから大病したり、何度ものたうち回るような手術したりし、人生の奈落に落ちたりしたけど
やっぱりそんなもんだと思うね あ、でもマインドフルネス自体を否定してるわけじゃないよ
>>144は俺のレス。>>158-160も俺のレスだけど 人を殺すだけの覚悟持ってる人間の意思が命乞いで覆るのか? >>186
覆るかどうかは関係ないんじゃないですかね
相手の都合じゃなくて、自分の感情の話ですよ
所詮架空の話をしているという点で、あなたと自分は同じ土俵の上に立っていますが、
あなたの想像するような心境には俺はなれませんね じゃあ、なんでマインドフルネスやってるか、っていうと
いまより少しましになれるかも、ってとこですかね、死ぬまでに
解脱するかしないかとか、仏教的なランク上げ(?)とか、そんなん知りません
そんなんできるとも思ってません 自由への第一歩は、自分の思考は「ほんとうの自分」ではない、と気づくことからはじまります。
思考力重視の傾向は、人間の意識が進化していく過程のひとつの段階にすぎないので、意識なくしては思考は生まれませんが、
意識は存在するために、思考を必要としません。
さとりをひらくことは、思考を超えたレベルに到達することです。
エックハルト・トール >>181
具体的に、どのくらい瞑想したら楽になりましたか?
もう1年くらい右往左往しながら瞑想やって、怒りとか将来の不安とかは以前に比べたら少なくなりましたが、いまいち生きるのが楽になったという実感はありませんね… >>191
冥想をするのに、冥想の成果にこだわってはなりません。
むしろ神を喜ばすために冥想しなさい。
もし良い結果を求めてすれば、その結果がやってこないとき落胆することになります。
バガバット・ギータの中で、クリシュナは「成果を期待しない行為」を勧めています。
冥想もまたそのような気持ちで、取り組まれるべきです。
成果への執着のない冥想に取り組みなさい。
(パラマハンサ・ヨガナンダ)
http://mandalaya.com/s7.html >>194
>>181の、瞑想をすれば違う自分になれると語る人からワンセット 朝早起きして座ろうと起きてはいるんだが、どうしても横になりたくてまた寝てしまう
みんなどうしてる?
休日なんかは自分のペースで起きて一時間くらい瞑想できるんだけど
平日に早起きして座ってる人尊敬するわ どうしても不快感に耐えかねて横になってしまう
実施してる人、どう工夫してるのか教えてくれ! >>190
おお!1年も続けているなんて凄いですね! その期間でハッキリ自分のことに気づいた ああ 自分は怒っていたんだとか 自分は悲しんでいたんだとか 心の奥底で失うのが怖かったんだ
そういう突然の理解は無かったですか? 一度でもあれば もう無限に落ちる滑り台から自分の意思で滑り始めています。
もし そうでないなら精密さと強度を高めても良いかもしれませんね 精密さは思考感情感覚が起こる瞬間を捉える話
強度は自分の体をパーンと叩いた時に 叩いた感覚と叩かれた部位の感覚が一時的でも高まると思います これを叩かずに集中力で全身なり上半身なりに作り出す話です >>198 の続き
みなさんが理解できないのはスポーツのように練習すれば徐々に上手くなるという思い込みがあるんだと思います
徐々に上手くなるのは 観察の方法 なんです 私たちは観察が上手くなりたいんじゃないんです そんな面倒なこと本当はしたくない
できれば認識が一気変わるスイッチが体のどこかにあって押して解決!が楽で良い そのスイッチを見つけるために面倒な瞑想が必要なんです
ですからスイッチが見つかる 押す瞬間までは多少前向きになったりする程度でそれほど劇的な変化はありません スイッチを押してないんですからね
期間は命をかけて3ヶ月 普通に熱心にやって3年 日常生活を大事にしながらなら5年から10年ぐらいではないでしょうか 心を扱うことだから我見や執着や欲の強い人間は毎日時間をかけ死ぬまでやっても何も変わらないかもしれないし
我見や捉われをなくそうと自分に対して謙虚な人間なら少しの時間で大きく変わるかもしれないし個人差がはかり知れなく大きい 始めて1年と少しだけど短期記憶と頭の回転というか、考えてる問題について閃きが来ることが明らかに増えたな
前頭葉の機能改善がなされた結果だと思うけど
神経科学者や脳科学者、PTSDに関わる領域の研究者たちが言ってることは事実やわ スマナサーラが言ってた「怒りはヴィパッサナーで怒っていることに気づいた瞬間に消えるから念を常に保て」とかいうのは思い込みでしかないと思う
思い込みが効いてるうちは怒りは消えるように自制が働くだろうが早い人では数週間で思い込みが覚めてしまうだろう
なるべく覚めないようにするには毎日ヴィパッサナー瞑想をして念を意識する(少なくとも意識したつもりになる)ことだと思う
しかし瞑想はヴィパッサナーよりも天台止観やヨガで取り入れている丹田呼吸のほうが有効な気がする
これを毎日15分ずつやってると心身ともに健康になっていって胆力がついてくる
丹田の場所が分からなかったら仰向けの状態から少し上半身を腹筋を使って持ち上げると固くなる臍の下の部分
ここが丹田なのだがその丹田を特に息を吐くときに意識して呼吸するといい そう思うならマインドフルネス瞑想やめて丹田呼吸法やってりゃいいだけのこと >>189
特に俺宛のレスっていうわけじゃないだろうけど、
エックハルト・トールも随分前に読んだよ
マインドフルネスと親和性もあるし、言ってることもちょっとスピリチュアルな部分除けば
納得することも多いし←これ、多分以前にも書いた
脱線するけど、あちらの国の方々って、どん底状態から
突然覚醒したっていうバイオグラフィー、ストーリーつくるの大好きだよね
その一点がもう胡散臭さを醸し出してて鼻つまみたくなる。臭いから
エックハルト・トール、バイロン・ケイティ、ヘイル・ドゥオスキン・・・みんな一緒だもの 君の物言いも十分臭いよ
何きどってかっこつけてんだか
イメージやストーリーに囚われてるのはどっちだろうね
自己の放棄が起こっただけだろ
単にそうしたことが起こっただけ
一神教的文化ではそういうことが起こりやすいだけの話 エックハルトの思考との脱同一化とかいうやつって
ウパニシャッド哲学のヤージュニャヴァルキヤの「それはアートマンではない、それもアートマンではない(ネーティ、ネーティ)と何が違うの?
エックハルトも本当の自分とかってアートマンみたいなのを認めてるし本当違いがよく分からん
ヤージュニャヴァルキヤ
https://www21.atwiki.jp/p_mind/pages/86.amp >>204
本当のサティが入るようになればあなたにも分かると思いますよ。
頭でいろいろ考えて思い込むのは自由ですが、スマナサーラ師の名前を出してあなたの間違った見解を広めるのは控えてもらえませんか? 引きこもってどん底だった頃に比べて
きちんと生活できるようになったし忙しくても段取りをテキパキ決めて仕事をこなせるようになった
だけど
相変わらず怒りが定期的に爆発してしまう
怒りの頻度と程度は少しマシになった気はする
怒りの後の気持ち悪さ、毒がまわってる感じも認識できるようにはなった
本で瞑想を知って日常生活で取り入れながらでもうすぐ3年だけど
自分が瞑想できているのか分からなくなってしまった >>210
あなたには本当のサティが未だ入っていないのですよ >>207
> 君の物言いも十分臭いよ
> 何きどってかっこつけてんだか
気取ってかっこつけてるですか?笑
面白い感想いただきました。びっくりですわ、あははは ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています