人生が辛すぎる人へ
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
理由があって辛いことが起きる
その理由がない人は、つらいことが、実際にほとんどないという。
どうしてもつらい目にあわされる人は、その理由があるのである
でもその理由がない人など、2,3人しかいないので
自分がその理由がない人じゃないかと期待するだけ無駄である
もし「自分があまり明るくない人間かもしれない」と少しでも思えば違うと思っていい。
大事なのは、痛い目にあわされて、傷つくことがあっても
すっかり元に戻れる方法を知ることである
そうすると、傷は完全に癒され、経験が残るだけなので
前より幸せになるだろう どんなに辛い事が有っても決して神罰や不運ではなく、成長や気付きの為の神愛であり、その先には必ず誰にも希望があるそうです。
「神や、魂の不死」に関する証拠なら、
こちらを参考に。
http://itest.5ch.net/test/read.cgi/esp/1469600830/5 いったい何がツラいのか
自分で解決する力が身についてないことである 辛いとか不幸とか言ってるのは
せっかく反省して真人間に生まれ変わるときなのに全部人のせいだと思って
まったく自分を磨こうとしてない
まじめに生きてない怠け者の証拠! 全部 神のせいにするといいよ 実際その通りだから
君を産んだものや周囲の人間が無能なようにね 障害のグラデーションに過ぎない
みんな馬鹿だから障害は分かりやすくないと優しくされないよ
出生ガチャに外れたら諦めろ 辛いということは全部神がしたことではないし神はいないと思っている。
だから辛い(神から見放された可哀想な人は私です。どうか哀れんでください。)と言う。
辛いから神を嫌う。 >>9
まあ、たとえ人間が神を見放そうとも神の方は決して人間を見放したりはなさらないもんなんですよ。
この理をよう聞き分け。 生きること ゲーム
死ぬこと またゲーム
人生即ち これゲームなり 特に、仕事にかかわる場合には、もちろん、「間違いがあったら、絶対に許してはいけない」という感じで追求しなくてはいけませんし、「赤字は絶対に許してはいけない。黒字でなくてはいけない」と思ったりします。それは当然のことではあるのです。
しかし、仕事におけるミスやトラブルなどについて、「いけない」ということを指摘したり教えたりする場合、その人がやった結果、失敗したり間違ったりしたことに対して、「それを正そうと思って言うことと、その人を憎むこととは、同じではない」のです。
それを知らなければいけません。
「行為」を憎んでも、その人の「本質」は憎まない。そういう気持ちをつくれるでしょうか。これは難しいことです。けっこう難しいのです。
行為があれば、必ず結果が出ます。何かをした場合には、何らかの結果が出ます。「その結果を見て、あなたは、その人を憎まないでいられますか」ということが問われるのです。
例えば、「自分の進路を邪魔する」「自分の仕事を邪魔する」「自分の恋路を邪魔する」という場合に、あなたは、その人を憎まずにいられるでしょうか。これは、なかなか難しいことです。
やはり憎んでしまうものです。本能的に憎んでしまうこともありますし、それを当然のことだと思っている人たちもいます。
go to
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1506254070/31 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています