般若心経
レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。
阿頼耶識には現在の瞬間(刹那)しかなく、過去も未来もありません
刹那に生じ、刹那に滅していきます。
基本やな^^
忘れておった^^ うん?
唯識の人で瞑想で阿頼耶識まで入った人がいるとか・・・^^
「阿頼耶識には現在の瞬間(刹那)しかなく、過去も未来もありません
刹那に生じ、刹那に滅していきます。 」
「照見阿頼耶識皆空」したのか^^ う〜〜〜ん^^
おまえらってほんと・・くだらん^^ 一日一夜をふるあひだに、64億9万9千9百8十の刹那ありて、五蘊ともに
生滅す。しかあれども凡夫かつて覚知せず、覚知せざるがゆえに、菩提心をおこさず。
仏法をしらず、仏法を信ぜざるものは、刹那生滅の道理を信ぜざるなり。
さすが道元ちゃんや^^
842神も仏も名無しさん2018/05/12(土) 07:27:12.10ID:PMMN5m3d
うん?
刹那滅って・・^^
三法印・・・^^
つまり・・・^^
刹那滅から諸行無常・諸法無我の境地に到り・・そして涅槃寂静の境地に住する
こうゆう道をたどるんだけど・・^^
つまり・・^^
道元ちゃんとおなじ考え^^
ということは・・ゆえに友だちとなる^^ うん?
またまた気がついた^^
漢字文化圏での数の最小単位
10のマイナス24乗は「涅槃寂静」
分、厘、毛、糸、忽、微、繊、沙、塵、埃、渺、漠、模糊、逡巡、須臾、瞬息、
弾指、刹那、六徳、虚空、清浄、阿頼耶、阿摩羅、涅槃寂静(計24単位)
これや^^
う〜〜ん^^
これはまた後にするかなっと^^ >>856
>>803
アルツハイマー乙!!!!!!!!! 【上座】アルボムッレ・スマナサーラ専用スレ【仏教】2(ワッチョイ・IPなし)
15 :神も仏も名無しさん[]:2018/05/12(土) 09:04:49.97 ID:XDwE5/rT
>>14
>(注意:ワッチョイ・IPはスレの過疎化を進行させ、殺します)
草
どっからきとるん^^ 清浄、阿頼耶識、阿摩羅識、涅槃寂静・・・^^
たぶん天台の人だろうな・・・^^
考えたのは^^ 清浄、阿頼耶、阿摩羅、涅槃寂静(計24単位)
阿頼耶の前に清浄があるのが注目すべきところか^^ さすが龍樹ちゃんや・・^^
お城に忍びこんだだけのことはある^^キリッ 「依存的に生じたものはどんなものであれ
本質として静けさに満ちている
したがって生じるものと生じること自体も
それ自身の意味では静けさに満ちている」
生起と存続と消滅と時間か・・・^^
刹那の存在・・^^
やっぱり・・時間が関係してくる^^
そういえばなんか書いたな^^ 801因縁果 ◆d........o 2018/05/10(木) 19:30:28.70ID:reycdRmO
これ以上考えると・・^^
刹那生滅と時間まで考察が続き寝れなくなるのはあきらか^^
なので・・^^
寝る^^
これやな・・・^^ 「さらに非存在にあっては 消滅ということは考えられない
ちょうど二度目の打ち首などというものが行えないように」
うわっ^^
お城に忍びこんだだけのことはある^^キリッ 「消滅はそれ自身によって消滅することはない
もちろんそれ以外のものによって消滅することもない
ちょうど生じることがそれ自身から
もしくは他のものから生ずることができないように」
龍樹ちゃんも中論で・・^^
因果的なものである生起、存続、消滅が、「本質を持った実体としては」
夢のようだと言っておる^^
「夢のように、幻影のように
ガンダルヴァの都市のように
生じることと存続することそして消滅とが
説明されたのである」 ・・・で^^
「空を語るなら『中論』を読めや
刹那滅は空と真逆の考え方や 」
だけど・・・^^ 「真逆の考え方はあんたや^^」
という結論が出た^^ 因果は、思い込みなのです🎵✨
明日も同じように太陽が昇ることの保証は本当は、何処にも無い
思い込みですよ☀ 「なんであれ依存的に生じたものは
止むことなく、生ずることなく
滅することなく、永続することなく
来ることなく、去ることなく
区別されることなく、独自の性がなく
そして概念的構築から開放されていることであると
教えて下さった最善の師である
完全なるブッダにひれ伏します」
龍樹「中論」
問題はこれや・・^^ まさしく・・般若心経 ^^
般若心経を読んでから中論を書いたに違いない^^
その中で・・^^
生起・存続・消滅を熱く語っている^^
つまり・・^^
おなじや・・^^
友達や・・・^^
ということになる^^ まてよ・・^^
年代を調べるか・・^^
どこかに書いたな・・^^ 277因縁果 ◆d........o 2018/04/07(土) 17:58:42.04ID:FMs6SBZ3
大乗仏教成立 ・・紀元後1世紀
インド密教 ・・紀元後1世紀
龍樹(中論) ・・紀元後2世紀
般若心経 ・・紀元後4世紀
鳩摩羅什翻訳 ・・紀元後4世紀
うん? 観自在菩薩、深般若波羅蜜多を行ぜし時、五蘊は皆空なりと照見して、一切の苦厄を度せり。 龍樹(中論) を読んで般若心経を書いたのか・・^^
それとも・・^^
大般若経を読んだのか^^
般若心経を書いたのは龍樹ちゃんまである^^ 高貴なる観自在という菩薩は、
深遠な般若波羅蜜多という修行をされた時、
自分の構成する要素には5つあり、
しかもそれらは空であることを見極められ、
すべての苦厄を除く方法を明らかにされた。 「因果は、思い込み」
そういう説もあるが・・・
名前が「因縁果」だからね^^ Heart Sutra in Sanskrit with English and Chinese subtitles
https://www.youtube.com/watch?v=qCIakSaE2_k
Sanskrit 語でも聞くか・・・^^
ちょっと休憩^^ 中観には、空の思想が先になければなりません。
般若心経は、大般若経のエッセンスで、大乗仏教の真髄といえます。 色性是空 空性是色
(中村元訳 物質的現象には実体がない、実体がないからこそ、物質的現象でありうる。)
色不異空 空不異色
(中村元訳 しかし、実体がないといっても物質的現象から離れていない。すなわち、物質的現象は、実体がないことから離れて物質的現象ではありえない。)
色即是空 空即是色
(中村元訳 このように、物質的現象というものは、すべて、実体がないことである。およそ実体がないということは、物質的現象なのである。) 因果応報は思い込み。
これは、アドラー心理学です。
@どんな境遇に有っても、今、自分がここにいるのは、目的が有って必要な体験を選択し続けた結果です。だからこそ、今、改めて選択し直すことで未来も変える事ができます。(目的論)
Aそのためには、今の自分のあるがままの状態を認めた上で、そこからどうやって自分を高めていくかを考え実行する。私たちは自分が誰かの役に立っていると実感できたとき、人生のタスクに立ち向かう勇気を持てるのです。 Bそして過去の後悔に固執せず、分かりもしない未来の不安に振舞わされず、自分が本当に望んでいる事、あるいは誰かに貢献できているかを見極め、"今この瞬間"を懸命に生きる事が大事なのです。
Cまた、これまで「結果のためのプロセス」と考えられてきましたが、結果なんて魂の成長にとってどうでも良い事です。結果とは、プロセスを引き出し、経験するための誘因に過ぎず、結果とプロセスには何の因果関係もありません。因果応報は思い込み、妄想。
(心理学者・アドラー) >>888
コンバンコ。😸
久しぶり😆✋💕
哲学板から ようこそ。⭐
同士。⭐ 哲学版?
そういえば・・・^^
何年か前にいたような・・・^^
探してみるかなっと^^ 存在とは何か
1 :Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/08(水) 21:56:40 0 ?PLT(13072)
∧ ∧
( *‘ω‘*)
(⊃\)_________
 ̄ ̄ v v.\ .|
| |
.〜 〜〜 〜|〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
存在
http://academy6.5ch.net/test/read.cgi/philo/1239195400/
うわぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ え〜〜と^^
2009/04/08(水)だから・・^^
9年前か・・・^^
おまいらの先輩や^^ 68 :Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/11(土) 23:11:56 0 ?PLT(13172)
多世界解釈は決定論であると主張する者もいる。しかし、決定論であるためには
、干渉性の消失が生じる前に、その結果が既に決定している必要がある。つまり
、どの状態が自世界となるのかや、その過程が決定論的に記述出来なければなら
ない。そのためには、自世界と多世界の区別を示す変数と、世界の干渉の度合い
を示す時間関数が必要となる。
また決定論かお^^
うん?
また決定論かお^^
かお^^^
うん?
うわぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ 96 :Φιλοσοφ ◆d........o :2009/04/12(日) 01:28:39 0
>>95
おいらだお^^
うん?
おいらだお^^
だお^^
うん?
うわぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ 44 :考える名無しさん:2009/04/11(土) 19:00:29 0
>>26
>存在は色とも考えられる。
存在は色だけでなく「受」「想」「行」「識」など五位七十五法などの
存在がある。それらの存在はすべて空である。一切法空という。
今考えると・・・^^
こんな人もいたんだなと・・^^
感心するわ^^ >>889
久しぶり!
般若心経は、奥が深いですよ。 空海ちゃんの『十住心論』でいくと・・
3番目か^^
1異生羝羊心・ 欲望、煩悩にまみれた心。.倫理以前の世界。
2愚童持斎心・道徳が芽生えた段階.。儒教の世界。
3嬰童無畏心・宗教心が目覚めた段階。インド哲学、老荘思想の世界。
4唯蘊無我心・己の無我を知る段階。声聞(小乗仏教)の世界。
5抜業因種心・己の無知を除く段階。縁覚(小乗仏教)の世界。
6他縁大乗心・人の苦しみを救う(大乗仏教)の段階。法相宗の世界。
7覚心不生心・一切は空であるという段階。中観、三論宗(大乗仏教)の世界
8一道無為心・すべては真実であるという段階。天台宗(大乗仏教)の世界。
9極無自性心・対立を超えるという段階。華厳宗(大乗仏教)の世界。
10秘密荘厳心・無限に展開する段階。真言密教(大乗仏教)の世界。 経典成立の順番が、考古学や近代仏教学から言えば、天台の五時八教よりも空海の十住心論の方が正確なのが凄い。 空海の『十住心論』が、江戸時代中期に富永仲基が『出定後語』で「大乗非仏説」を唱えた経典成立の順と一致する点が多いのにも驚きです。 いま、まづ教起の前後を考ふるに、けだし外道に始まる。その言を立つる者、およそ九十六種、みな天を宗とす。曰く、「これを因に修すれば、乃ち上、天に住す」と。これのみ。
釈迦文これに上せんと欲するも、また生天をもつてこれに勝ちがたし。ここにおいて、上、七仏を宗として、生死の相を離れ、これに加ふるに大神変不可思議力をもつて、示すにその絶えてなしがたきをもつてす。乃ち外道服して竺民帰す。これ釈迦文の道のなれるなり。
釈迦文すでに没して、僧祇の結集あり。迦葉始めて三蔵を集め、大衆また三蔵を集め、分かれて両部となつて、のちまた分かれて十八部となれり。〈中略〉これいはゆる小乗なり。ここにおいて、文殊の徒、般若を作りてもつてこれに上す。〈中略〉これいはゆる大乗なり。 これ法華氏(これは富永の言い方で、いわゆる法華宗のこと)は乃ち大乗中の別部、従前の二乗を并せてこれを斥する者なり。
しかつに後世の学者は、みなこれを知らず。いたづらに法華を宗として、もつて世尊真実の説教中の最第一となせる者は誤る。
年数前後の説は、実に法華にまる。并呑権実の説もまた、実に法華にまる。
〈中略〉ああたれはこれを蔽する者ぞ。出定如来にあらざればあたはざるなり。
これ諸教興起の分かるるはみな、もとそのあひ加上するに出づ。そのあひ加上するにあらずんば、則ち道法何ぞ張らん。乃ち古今道法の自然なり。
しかるに後世の学者、みないたづらに謂へらく、諸教はみな金口親しく説く所、多聞親しく伝ふる所と。
たえて知らず、その中にかへつて許多の開合あることを。また惜しからずや。 富永は
釈尊であっても、従来のインドの教説に「加上」して、自らの教えを構築したと指摘することに注意した方が良いと思われます。
そして、その後も、同じように、仏教を信じた後代の者が「加上」したのに、その事実を見ることなく、
諸氏の教えもまた「金口親しく説く所、多聞親しく伝ふる所」と理解しているところに批判を寄せています。
問題は「大乗非仏説」というよりも、「加上説」が通じることを重視し、それこそが「真理」だとしたいところにあるようなのです。 仏教は原因と結果の繋がりから縁起説を唱えます。
物事には必ず原因があり、そこから結果が生じるというものです。
そして禅においてはさらにそこから高揚して、原因イコール結果という。
因果一如(いんがいちにょ)の姿勢をとります。
簡単に言えば、
良い事をすれば良い結果が生まれるから
良い事をしましょうが仏教の考えであります。 しかしこのアドラー心理学は、結果から原因を考えることを否定します。
完全に否定しないまでも何らかの影響はあるけれども、
行動の原因に過去は関係ないと教えています。
目的論と述べてますが、
目的があるからその原因が起こっているだけで、
目的が全ての行動を裏付けるというわけです。 <正法眼蔵現成公案>
諸法の仏法なる時節、すなはち迷悟あり、修行あり、生あり死あり、諸仏あり、衆生あり。
萬法ともにわれにあらざる時節、まどひなく、さとりなく、諸仏なく、衆生なく、生なく滅なし。
仏道もとより豊倹より跳出せるゆえに生滅あり、迷悟あり、生佛あり。
しかもかくのごとくなりといへども、華は愛惜にちり、草は棄嫌におふるのみなり。
自己をはこびて萬法を修証するを迷とする。
「萬法ともにわれにあらざる時節、まどひなく、さとりなく、諸仏なく、衆生なく、生なく滅なし。」
うん?
般若心経 ? 舎利子、色は空に異ならず、空は色に異ならず。色はすなわちこれ空、
空はこれすなわち色なり。受想行識もまたまたかくのごとし。
舎利子、この諸法は空相にして、生ぜず、滅せず、垢つかず、浄からず、
増さず、減ぜず、この故に、空の中には、色もなく、受も想も行も識もなく、
眼も耳も鼻も舌も身も意もなく、色も声も香も味も触も法もなし。眼界もなく、
乃至、意識界もなし。無明もなく、また、無明の尽くることもなし。乃至、
老も死もなく、また、老と死の尽くることもなし。苦も集も滅も道もなく、
智もなく、また、得もなし。得る所なきを以ての故に。菩提薩埵は、
般若波羅蜜多に依るが故に心に罣礙なし。罣礙なきが故に、
恐怖あることなく、一切の顚倒夢想を遠離し涅槃を究竟す。 「諸法の仏法なる時節」
すなはち迷悟あり、修行あり、生あり死あり、諸仏あり、衆生あり。
「萬法ともにわれにあらざる時節」
まどひなく、さとりなく、諸仏なく、衆生なく、生なく滅なし。 「すべての有り様を仏法から見る時」
迷いと悟りがあり、修行があり、生があり、死があり、諸々の仏がおられ、凡夫の人々がいます。
「あらゆる存在が皆、無我である時」
迷いもなく、悟りもなく、諸々の仏もなく、凡夫の人々もなく、生もなく、滅もありません。 つまり・・・^^
「あらゆる存在が皆、無我である時」
この境地で見たとき・・
照見五蘊皆空であり・・
舎利子。色不異空。空不異色。色即是空。空即是色。受想行識亦復如是。
舎利子。是諸法空相。不生不滅。不垢不浄。不増不減。
是故空中。無色無受想行識。無眼耳鼻舌身意。無色声香味触法。無眼界。
乃至無意識界。無無明。亦無無明尽。乃至無老死。亦無老死尽。無苦集滅道。
であると・・^^ つまり・・
般若心経は三法印「諸行無常」「諸法無我」「涅槃寂静」の境地で書かれていると・・・^^
こうなる^^
やはりな・・・^^
思ったとうりや^^ 自我の境地で見るならば・・・^^
うん?
「なんで無苦集滅道なんや^^」
と・・^^
「なんでみんな無なんや」・・
と・・・^^
見てる境地がちがうんや^^ ほとんどの人たちが自我の境地で見てるから・・^^
「ちんぷんかんぷん」なんだろうな・・・^^ 第十乾栗陀耶識・・仏覚、無上覚・・仏の世界
↓
・・・・・・・・・・解脱・・・・・・・・・・
↓
第九阿摩羅識・・仏性
↓
・・・・・・・・・・悟り・・・・・・・・・・
↓
第八阿頼耶識・・貯蔵意識→大円鏡智(自然をありのままに映す(見る))
↓ ↑
第七末那識・・・自我意識→平等性智(その自然の中に自分も溶け込む(一体化))
↓
・・・・・・・・無意識(90%)・・・・・・・・・
・・・・・・・顕在意識(10%)・・・・・・・・・
↓
第六意識・・思考意識→妙観察智(その自然の動きを正しく観察すること)
↓
五識・・感覚─(目・耳・鼻・舌・身)→成所作智(その自然の動きに対応して正しく行動すること)
第一眼識・・視覚
第二耳識・・聴覚
第三鼻識・・臭覚
第四舌識・・味覚
第五身識・・触覚
↓
(外界) 812因縁果 ◆d........o 2018/05/11(金) 17:09:36.42ID:DSPiH4/U
瞑想で自我を通り越し ^ ^
直接阿頼耶識まで行ったのか^ ^
それを過ぎれば仏になる^ ^
これが真実味を帯びてきた^^ 直接知覚から第六意識(思考意識)そして第七末那識(自我意識)を
スルーして直接第八阿頼耶識・・貯蔵意識まで到達したと・・^^
阿頼耶識は刹那生滅するからな・・^^
「空」の状態に到ったと・・^^
こうなる^^ 唯識だと識が智に変化するんだけど・・^^
う〜〜ん^^ 「自己をはこびて萬法を修証するを迷とする。」
すんばらしい^^
さすが道元ちゃん^^ 結論
彼岸に到達している人に書かれたら・・^^
おまいらは・・^^
ちんぷんかんぷんや^^ Heart Sutra / 般若心経
https://www.youtube.com/watch?v=DqsH_VLqUwA
仏説摩訶般若波羅蜜多心経
観自在菩薩行深般若波羅蜜多時。照見五蘊皆空。度一切苦厄。
舎利子。色不異空。空不異色。色即是空。空即是色。受想行識亦復如是。
舎利子。是諸法空相。不生不滅。不垢不浄。不増不減。
是故空中。無色無受想行識。無眼耳鼻舌身意。無色声香味触法。無眼界。乃至無意識界。
無無明。亦無無明尽。乃至無老死。亦無老死尽。無苦集滅道。
無智亦無得。以無所得故。
菩提薩埵。依般若波羅蜜多故。心無罣礙。無罣礙故。
無有恐怖。遠離一切顛倒夢想。究竟涅槃。
三世諸仏。依般若波羅蜜多故。得阿耨多羅三藐三菩提。
故知。般若波羅蜜多。
是大神呪。是大明呪。是無上呪。是無等等呪。
能除一切苦。真実不虚故。説般若波羅蜜多呪。
即説呪曰。
羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶。
般若心経 そうなると・・・^^
「度一切苦厄」梵語原文なし
これはやはり・・^^
違和感があるな^^ 1119.
“suññato lokaṃ avekkhassu, mogharāja, sadā sato.
空であると、世界を観なさい、モーガラージャよ、つねに気をつけて
att'ānudiṭṭhiṃ ūhacca, ―evaṃ maccu-taro siyā.
自分があるという見解を取り去って―このように死を渡る者でありなさい
evaṃ lokaṃ avekkhantaṃ, maccu-rājā na passatī” ti.
このように世界を観ている人を、死王は見ることがない う〜〜ん^^
「空であると、世界を観なさい」と言っても・・
おまいらに言ったら・・空病になる^^
「現象世界は刹那生滅してるがゆえに空である」
と言ったほうがいいな^^
このほうがわかりやすい^^ 真俗二諦
真諦 paramārtha-satyaと俗諦 saṃvṛti-satyaのこと。
真諦とは,勝義諦,第一義諦ともいい,出世間的な絶対的真理をさし,
俗諦とは,世間諦ともいい,世間的な真理をさす。
その意味は経典によって種々異説がある。『倶舎論』などでは,
世間一般の常識とみられる真実を俗諦といい,法があると説くことを真諦としている。
また大乗仏教では,すべてのものには実体がなく空であると知ることを真諦となし,
言葉や思想で表わされる世界を俗諦というが,真諦をいい表わすためには俗諦に
よらなければならないと説いている。
浄土真宗では,仏法を真諦,王法すなわち世間的道徳を俗諦と呼んでいる。 「真諦をいい表わすためには俗諦によらなければならないと説いている。 」
ここらへんやな・・・^^ 中論
【11】しかも、仏陀たちには、その他にも、最高の真理を説くことをためらわなければならない
理由がある。
それは、〈すべてが空である〉ということが誤って理解されるとき、
それは、知恵の少ない者を破滅させる、ということだ。誤って捕らえられたヘビが、
捕らえた者を破滅させ、誤ってなされた呪術が呪術者を破滅させるように。 知恵の少ない者を破滅させる・・・^^
おまいら・・・・・^^
空病・・^^
うわっ^^ 【16】たとえば、君が「存在するものは〈それそのものとしてあるというあり方〉をする」と考え
るとき、君は、存在するものには原因や結果がないと考えていることになる。
〈それそのものとしてあるというあり方〉をするものは、原因にも結果にもなることができないからだ。
つまり、原因や結果を破壊している。
【17】が、君は、原因と結果を破壊するだけでなく、行為する者、行為するための手段、
行為をおこなうはたらきを破壊し、生じること、消滅すること破壊している。
それらは〈すべては空である〉ということによってなりたつものだからだ。
【18】君はこう反論するかもしれない。「それらのことがなりたつというのならば、
どうしてそれらのことが空なのか」と。私はこう答えよう。
「空であるということは、存在しないということではない」と。
「縁によって起きるものは、空なるものである」と私たちは説くが、そのとき私たちは、
縁であるものや、その縁によってひきおこされるものに執着し、それらが存在すると
想定している。そしてその限りで、縁であるものや、その縁によって起きるものは
存在することになる。しかし、それらのものがそれらのものであることができるのは、
それらが空なるもの(=〈それそのものとしてあるというあり方〉をしないもの)だからなのだ。
私たちが言っているのは、縁であるものや、その縁によって起きるものが存在しない、
ということではない。それらが空なるものだということなのだ。空であるとは、存在するというこ
とではないが、存在しないということでもない。そのいずれでもない。だから中道なのだ。
【19】縁によって起きるのではないものごとは何も存在しない。そして、縁によって起きる
ということがあるのは、ものごとが空だからなのだ。それだから、空でないものごとは何も
存在しない。
【20】君が主張するように、すべてのものごとが空でないものであるとしたならば、
生じるということも、消滅するということも、存在しなくなる。そのとき君には、
「4つの聖なる真理は存在しない」と考える誤りが生じることになる。
君の誤りをひとつひとつ見てゆこう。 弘法大師の『般若心経秘鍵』には、
心経とは「諸経を含藏せる陀羅尼なり」とある。
陀羅尼とは誦すれば諸々の障害を除いて種々の功徳を受ける秘密呪のこと。
だからこそ心経は多くの人々に愛され読誦され続けている。??
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提 薩婆訶 横浜に万葉倶楽部というリゾートスパがあります。
露天風呂あり、足湯あり、岩盤浴あり、食事処やインターネット、仮眠室、駄菓子屋、漫画、ゲームコーナーなど一日中遊べます。 中論は縁起空を説いておられる^ ^
縁起と刹那生滅か^ ^ 有部によれば、この世界はダルマと呼ばれる存在の究極的な要素によって構成されている。
すべての現象世界はこのダルマが無数の因果関係を結んで生起して現実の存在になる。
具体的にいうと、生起した存在は生起した瞬間に消滅し、次の瞬間には新たな因果関係が
結び直されて新たな存在が生起する。
その瞬間、瞬間が積み重なってわれわれの経験的な現象世界が成り立っているという。
(刹那滅)
これやな・・^^ 複数のダルマがある瞬間に縁起の法が働いて、集合し現在に現れて一つの現象が生起する。
しかしその現象は刹那滅であるから、瞬時に消滅してダルマは離散する。
それが瞬間、瞬間で繰り返され積み重なって現象世界が成立するという。 「大乗では「縁起のゆえに無自性、空」であると説くところを、
量子論では、真空こそが量子が絶え間なく生成・消滅を繰返している舞台であるという」
うん^^ 道非道智見清浄
http://abhidhammattha-sangaha.blogspot.jp/2016/03/blog-post_234.html
刹那思惟法
「過去の刹那に生じた色蘊は、過去の刹那にすでに滅していて現在刹那まで存在しない。
だから無常、苦、無我である。」
うん?
かんがえが同じや^^ 縁起と刹那生滅・・・^^
思うに・・簡単に言えば・・・^^
十二縁起が刹那に生滅していると・・^^
無明→行→識→名色→六処→触→受→愛→取→有→生→老死→(無明) 中論
【19】
縁によって起きるのではないものごとは何も存在しない。そして、縁によって起きる
ということがあるのは、ものごとが空だからなのだ。それだから、空でないものごとは何も
存在しない
う〜〜ん^^ 龍樹ちゃん^^
「縁によって起きるということがあるのは、ものごとが空だからなのだ。」
因縁果^^
「縁によって起きるということがあるのは、ものごとが刹那生滅してるからなのだ。」 「電子の周囲で絶え間なく生成と消滅を繰り返す電子‐陽電子対」というのを考えたとき、
その生成と消滅の時間を短く考えれば考えるほど、保存則からの逸脱が大きくなる。
しかも、生成と消滅の時間はほんとに短くないといけない。」
まじか・・^^ 『色即是空』というフレーズは、『空即是色(くうそくぜしき)』というフレーズと対になっている。
色即是空:万物(色)を本質的に突き詰めると、実体は存在しない(空)と考えられる。
空即是色:なにもない所(空)に、意味づけと認識によって存在(色)を見出すことができる。
この対になる哲学が、般若心経の本質であり、大乗仏教の本質である。 現代まで般若心経が残っているのは、誰も否定できなかったからと言えるかも知れない。
言うなれば般若(心)経とは、あらゆる思想への取り組みを「こだわり」であるとみなす、思想のブラックホール的な存在である。 レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。