キリスト教となんの関係もない空虚な箱の美魔男は恩寵が重要だからと言って自力や訓練が必要ないと訳のわからないことをのたまう
美魔男は惨めすぎるからそう言いたい気持ちは分かる
でもキリスト教ではそんな極端なことは語られてないんだな
こんなあたりまえのことでいちいち俺様の手を煩わせるな

★自分自身への鍛錬の必要性
神ご自身による懲らしめや訓練があるだけでなく、キリスト者は自らを鍛練することが期待されている。パウロはテモテに対し「敬虔のために自分を鍛練しなさい」と勧めている( I テモテ 4:7)。
「身を慎みなさい」という命令も自己修練の勧めである。パウロは、キリストの再臨に備えるのに慎み深くしていようと激励し( I テサロニケ 5:6、8)、伝道者としての務めを果たすためあらゆることにおいて慎むよう(II テモテ 4:5)命じている。ペテロも、キリストの再臨を
待ち望み、終りの時が近いことを覚えて、悪魔の攻撃に備えて、身を慎むよう命じている(I ペテロ 1:13、4:7、5:8)。パウロは「自分のからだを打ちたたいて従わせ」るといった激しい表現を用いているが、それも、
福音宣教という目的のために自己を制御することを述べているのであって、
自己目的化された禁欲の勧めではない。こうした一連の教えを見るとき、キリスト者の自己修練において、最も大切なことは、「自制」という聖霊の実ではないかと思われる。

http://www.evangelical-theology.jp/jets-hp/jets/paper_in_printable/037-3.pdf