その言葉がなければ、、ひょっとして、まちこさんとリンゴさんは
父と、子と、聖霊、そんなに変わらないのかも、です。

どういうことか、もう少し説明いたしますと、
三位一体と言う言葉などは、人が霊的な事を、
ひとつの記号(言葉に括り込んでしまう)で表現すると、
このような、問題が発生していくということです。

こういう記号は、一見して解り易いと思い易い、
三位一体や信仰義認は、そのように「思い易い」。

解っていないのに解った気にさせると言う意味で、
安易としての解り易さをもっているということです。

三位一体と言う記号を、キリスト教教義として
かかげる事は、記号に縛られる、人の霊的な幅を狭めて、

諍い(いさかい)の元になる、ということです。