海外と大きく違う日本の宗教事情

 私は、同じ法を説いても、日本と海外では説き方が違っています。それは、それぞれの国民の信仰心のレベルが違うからです。
 もちろん、「日本ほど発展していない国の人たちは、先進国である日本を尊敬する気持ちがあるため、日本人である私の話をよく聴いてくれる」という面も一部にはあるかもしれません。
しかし、そういう面を割り引いても、宗教心のある国の、宗教的素養のある国民の場合は、教えが素直にサーッと浸透していきます。

 例えば、アフリカのウガンダという国では、私の英語説法が、国営放送で毎週連続して流れましたし、映画「仏陀再誕」が流れたりもしました。
 ネパールでも、国営放送で私の英語の説法が流れましたし、インドのムンバイでも、一部、ヒンディー語等の字幕が入ったりしながら、私の講演が流れました。

 日本のテレビ等では、ほとんどありえないことです。日本では、「宗教に関して肯定的に報道したり、教義の流布に協力したりするのは、倫理に反することだ」と思われているのです(注。ただし、一部の地方テレビでは講演を放映し始めている。)
 これはどういうことかと言うと、結局、思わず知らず、「宗教選択」がなされているということです。
つまり、それは、「神仏の側につくか、悪魔の側につくか」という選択であり、「神仏の側につかない」ということは、自動的に、「悪魔の側についている」ということになるわけです。
 それは結局、「この世を地獄界に近づける努力をしている」ということにほかなりません。