愛は、「すべてを受け入れ、すべてを許し、すべてを包み込む」ようには見えるのですが、実際に、この世の現実のなかを生きていく間には、いろいろな調整や判断、あるいは、捨てるところや選ぶところが出てこなくてはいけなくなるからです。
ここは、とても難しいことであり、これが、「愛の発展段階説」に言う「生かす愛」のところなのかもしれません。
 智慧を得て、知識を持ち、仏法真理の観点から、この難題に優先順位をつけなくてはいけないのですが、この段階で、原始的なレベルの愛が引っ掛かってくることはよくあるのです。

 ただ、当会の初期のころに一生懸命、教団を手伝ってくださった人で、今も自分のプライドに関係なく手伝ってくれている人にとっては、現在、幸福の科学が、立宗から三十一年もたって、外国にまで広がり、これほど大きくなったのは、とてもうれしく、名誉なことでしょう。
私も、そのように思います。

 一方、初期のころには、あとから来た人と入れ替えたりすると、立腹したり、「愛がなくなった」と思ったりする人もいました。
なかには、物を贈っても、そのまま送り返されてきたこともあったので、「そこまで単純に考えるのか。オール・オア・ナッシング(全てか無か)で考えるのだな」と思ったこともあります。
仕事のレベルでは、そのように考えるのは、なかなか難しいことだと思うのですが、そういうこともありました。

go to
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1526572962/12