仏道実践は道、つまり過程なので、実践の段階によって体験内容は
違いますし、理解の仕方も違ってきます。

例えば、禅定に達していない段階での慈悲の瞑想は、どうしたって
常に自我意識があるはずです。

欲界善心ではない色界浄心の慈悲心が生じるのは、五蓋が滅して
禅定に達している時だけのはず。
自我の思考が生みだす欲界善心と、それらが一切無いところに生じる
色界善心は、まるで別物です。