神通力については、本当にあると思う。
思うというのには、根拠がある。

思考が止まる程度まで瞑想に集中できれば、意識が肉体レベルの自我に
縛られないので、今生の自我の中にあるはずのない記憶にもアクセスできる。
というか、できた。

瞑想しない人は、肉体が自己であり、あるいは自己意識の発生源である、源で
あると感じているはずだが、肉体は意識の発生源ではないです。
意識が肉体(の五感と思考)を通じて働いているのであって、順序は逆です。

過去世の記憶を思い出す、宿命通という神通があるが、
過去世の記憶が、今世の自我のなかに無いのは当たり前であって、瞑想しないと
思い出せないです。
そして、記憶は物質ではないので、基本的に、物理的に証拠を示すことはできません。
瞑想者本人は、精神的に証拠をみているわけです。
自我の外側の意識は、今世より前のことを思い出せます。

神通はあると思う。
こういう体験的な根拠があって、仏説を見直していくと、偉い学者先生方の仏教理解も
あくまで自我が理解できる範囲内に留まっていたんだな、ということが見えてきます。