(入鄽垂手の続き)
その10
 悟りを開くと自他一体になるという点についての続き。
 前述のように、思考を停止・放置して悟りを開くと、
自他が連続している(一如)ことが分かる。
 ここで、この連続している(一如)というのは、
のっぺらぼうのような万物一体ということではない。
 悟った後でも、人が食べたからといって、
自分のお腹がふくれる分けではない。
 人は人、自分は自分である(花は紅、柳は緑)。

 この点は、人牛倶亡の段階では、人類はみんな、
今ここという船に一緒に乗っているといった風に曖昧だが、
返本還源の段階でそれがはっきりする。
 勿論、尋牛段階の自分は自分、人は人は、非連続である。
                   (続く)(^-^)