別にACIM、…これをわたしは心理学として捉えている、トランスパーソナル心理学とか
最近流行ったアドラー心理学とか、オカルト心理学の魁?ユングの心理学とか
まぁ捉え方は色々で、どれが正しくてどれが間違ってるって話でもないよな
切り口が違うだけ…

大いなる源、心を湖に例えると、常に汲めども尽きぬ源泉が湧き出ているけれど
表層の意識(顕在意識)には、中々源泉は届かない
なぜなら湖の底に近づくにつれて、汚泥やらゴミが沈殿していて
透明〜半透明(半ば無自覚の領域)〜真っ黒で光と通さない(無自覚つまりは無意識)
半透明〜真っ黒の層を一応便宜上「潜在意識」と呼ぶことにする
この潜在意識の層を浄化しないと、源泉から湧いてくる純粋な水も
汚染水に汚染されて湖面に上ってくるときには、すでの汚れてしまっている
奇跡は誰にとっても権利だが、その前に浄化が必要ってのはそういうことだな
わたしたちが無自覚の層(潜在意識)、ACIMはほとんど無意識の層、湖の底に溜まってる
真っ黒な汚泥に光を当てている、つまりは源泉との分離の想念のことねww
半透明〜真っ黒の層を浄化しないと、源泉=私にはならないんだよ
個我のすべてが悪(エゴ)ではない、個我と源泉が一体になってはじめて
「キリスト」神道的に言うなら「神の分霊」になるんだよな
仏教なら「本心」か、ゴミが累積している間は本当の思いは表層に上がって来れない
代わりの潜在意識(不透明な層)に漂うゴミwwが上ってくるのみ
浄化されれば分断はなくなる