【イエス】 あなたは愛されている Part13 【キリスト】
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あなたは神様の前に誰であるか、
あなたはどこから来てどこへ行くのでしょう
あなたは何者なのか
互いに論じ合いましょう。
「我はありて在る者なり」
イエス・キリストは神です。
人に表現された神、人に表現された愛。
神は愛です。(愛の天使)
前スレ
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1520276870/ >>897
恣意的とは、文字通り理由のないこと。規範などではない。厳しい自然と
闘いながら、懸命に生存努力を続ける古代人たちに、理由など考える余裕が
ある訳がない。生存に関係する具象物に、ただひたすら記号を付けただけ
だろう。格変化、時制などの、言語のさまざまな変化は、自他の関係を表す
ためだろう。関係性が共生には必須だからである。性の変化は、性が古代人に
とって、種属としての生命の維持のために必須であるという自覚の表れだろう。
恣意性に対する反対論は、おそらく、宗教者から出たものだろうね。彼らは記号を
実体と信じてやまない人種だからである。Wikiの記事でも、ソシュールにより、
インド哲学を知らない欧州人にも、言語が理解できるようになったと皮肉を言って
いる。 言語が「人間の生存共同体ごとに異なる」のは、言語が、人間の生存努力の
産物であることが明らかである。新約聖書の「初めに言葉があった」は、
全くの誤り。「初めに人間の生命があった」でなければならない。
新約聖書は、何ゆえに、最も肝心な「人間の創造」の部分を一切排除したのか。 >>902への追加
イエスが創造主(神)でありうることは、論理的に絶対に不可能だからである。 903
下生 divine descent ですよ ソーカの爺やは強姦のことばかり考えてるから
理解できないの 美魔女は論外として、恣意性というのは何もシニフィアン(記号表現)とシニフィエ(記号内容)の
結びつきだけではなく、シニフィアン、シニフィエの分節においてもそうね
シニフィエは分かりやすいからいいとして、よく誤解されるのがシニフィアン
これを話者が発した音声や書いた文字列と勘違いする人がいるけど
シニフィアンも示差的に決定される心的音像で、物理的な音ではないよ
つまり音声学的なものではなくて音韻論的なもの
同じ「あ」の音でも話者や状況、前後の音声によってその物理的特性は様々なのに
それが同一の「あ」の音として認識される、その心的な音像がシニフィアン
どこからどこまでが「あ」として認識され、どこからどこまでが「お」として認識されるかは
基本的に言語共同体によって決定され、「あ」は「い」でも「う」でも「え」でも「お」でもないものとしてしか
表せない(一応音声学的に調音法を記述はできるけど、これはあくまでも近似であって
音韻そのものを同定するわけじゃない)
ご隠居はさすがというか、丸山読んでくれって言ったらちゃんと読んでくれた
俺はご隠居推薦の「逝きし日の面影」まだ手も付けてないのに >>904
すべての人間が、神が創った「神の子」だとすれば、「神の独り子」と
いう命題は、初めから成立しない。 >>907
その同一言語圏で認識されうる範囲の音をphoneme(音素)と呼ぶ。
音声学の基本概念。
私は丸山を読んでいないが、どこが丸山と同じで、どこが違うのか、
参考までに教えてくれ。
私の、「具象物との対応関係論」は、ソシュールも言っていない
新説だろw。 竜樹って痴漢ぢゃん。
王宮に忍び込んで官女をレイプしまくった。 >>909
我々の兄弟で長男かw。それでは、神でも何でもない。私も、長男
なのだがw。
戦後の日本は、長男の家督相続の権利も否定されたw。 >>910
なんだ読んでないのかw
音声学かじったなら音素が音韻論の概念で、その表記法も音声学とは違うのは知ってるでしょ?
まあ区別せずに扱う言語学習書も多いから気にしないのかもしれないけど
最低限、恣意性の意味を理解してること、シニフィアンとシニフィエの結合が恣意的であることを理解してること
これらが構造的なもの、つまり要素に還元するのではなくあくまでも隣接概念や隣接音との関係性によって
決まるということを理解してること、このあたりが丸山というかソシュールの言語学と一致する部分
違う部分はシニフィエを指示対象と同一視する傾向がまだあること(この部分が実体主義的)
あとは例によって生存努力から言語の発生を説明することなど
後者の主旨は抽象的ではあれ、間違ってるとも思わないけどね 竜樹菩薩について逸話が残っています。
幼少のころから優れた才能をもっていた竜樹は、その学識で高い名声を得ていましたが
ある時他の才能豊かな3人の友人と語り合い隠身(おんしん:透明人間のように身を隠す)
の秘術を得ることができました。身を隠して、快楽を尽くそうと考えたのだと伝えられ
ています。 その術を使って4人は宮廷に忍び込み、宮廷の女性にいたずらをしました
これに怒った王は、秘策を使ってその3人を切り殺すのですが、竜樹だけは九死に一生
を得て生き延びました。 >>911
それは竜樹がまともな男性であったことの証拠。イエスはレイプが
出来たのか。
竜樹は、隠れる時は、人の入らない聖所に隠れた。さすがに頭いい。
現代でも参考になる。洋服ダンスなどに隠れたら、すぐに見付かる。 やはり男は透明人間になるとエロい事をするものなんですね。 >>914
同一言語圏内においては、シニフェと指示対象とは同一だ。原初の言語は
指さしである。言語圏によって同一性の範囲が異なるだけ。
生存努力からではなく、どうやって言語が発生したのか。言語学者が発明
したのかw。ソシュールや丸山が思い至れなかっただけだろう。 >>917
「朝立ちしない男に、金を貸すな」という諺がある。人間として
信用できないからである。 >>919
なぜ唐突にそんな諺を、、、。
朝立ちしなくても信用できる人もいると思います。 >>914
言語は、現実に対峙して発生したものだから、そこに精神性や
思考を持ち込むべきではない。
例えば意味論だが、意味論も言語により論じるのだから、収拾が
付きまい。ある言語学者は、「木製のストーブで木を燃やすような
ものだ」と言っている。 しゃろんにスルーされ放題だな、
日曜、教団の教会と福音派の教会の二つ礼拝。
あんまりやる気なく、教団の健康無く金も無く、あるのは真面目な信仰のみ、という人にfebcよしざきけいこ名番組まとめたのを渡した。
教団、連合長老会の牧師は説教に支援能力がないのは明白だからなあ。
で、その支援作戦に機材提供してくれあ福音派牧師への義理で、礼拝に行く。
心は仏教
戻るモードなんだが笑、金曜には浄土真宗の寺で三昧遊んでたし、
今日は高野山へ行く、ペンテコステ派バリの三昧の歓迎を受けるだろう笑。
でわ。 >>907
丸山のはウソらしいよ🎵
また、騙されてるね✨😊 >>923
丸山の仮説はあり得ない現象ですよ✨😊
言語学の恣意性は神話ですって何回、同じこと言わせるのかな✨😊 カビ哲学卒業できたん?ソシュールをだせるぐらいに?。
627美魔女2018/03/11(日) 20:40:57.21ID:gj5dee3O
>>607
失礼しました\(__)
しかしですね✨ソシュールの言語の歴史的変化の無視に対して、もう一度、それ。見直すべきだという反動が昔にあったことを書いたの。👰
たしか、パロールの言語学を言われたり
構造主義をも批判されてたと思う。
20世紀はたしか、言語学の世紀と言われたりしてですよね😃
そこから哲学も言語哲学が始まり、そのすべてとは言われないまでも
その流れを作ったのはソシュールですよね😃
今日ハンバーガー食べるねん🎵 >>924
あ、やっぱり美魔女はカビ哲学女ぽいな。
アーティスト君、すごいところ出してまんなあ、
若い時読んだわ笑、美魔女をコケにできるぐらいに笑、 言語学の恣意性=禅=無神論=アンチ神秘主義
で、俺的人生の中心は、
しかし!!!!!
俺には俺には理解できぬ神秘主義の能力が笑。。
さて、
高野山の諸仏が俺を呼んでいるので笑、神秘三昧の満ちる高野山へ、ゴー笑。
三昧パーティーじゃ笑。 丸山を読まんとソシュールを読みなさい❗
言語の「恣意性」を強調することにソシュールは自制心があったんだけど
概念と音声の結合一般的ロジック、言語規範の由来を分析する方法が無かったために
結局は概念と音声の結合は完全に恣意的だと
結論の誇張した概念になっただけよ。👰
騙されてる人には分からないやろうね😃
ほほ カビ魔女の知性はフェイクぽいからなあ・・・・・・。
さて、
高野山の諸仏が俺を呼んでいるので笑、神秘三昧の満ちる高野山へ、ゴー笑。
三昧パーティーじゃ笑。
おち。 >>907 atheistさん、出勤前に取り急ぎって感じで^^
そうですね、発音記号とか、英語の教科書で歯と舌の位置とか
図で説明されたものがありますが、日本人にはなんだこれとか思うし、
英米人が言葉を習得するのに、発音記号も図も使いませんし、
というのがあるよね。
森のくまさんの歌で、ラララ ラララララー ラララ ララララララー♪
の部分を英語のRの発音とLの発音、両方唄ってみると
聴いている方は、どちらで唄っていようが、日本人は関係ない。
でも英語圏の人は、聞き分けてしまいますし、
発音が違えば、単語が聞き取れない、意味がわからない。
RからLに途中で変わったとか、アでも種類があって聞き分けます。
私たちはそんなことで、単語や文がわからなくなることはないので、
気にしませんが、「発音おかしい」とか言われると、
あなた方の言語の方がおかしんじゃないのと思いたくなるほど、
その地域によって、言語は違い、それは言語の恣意性を表しています。
RとLの発音を途中で変えたら、英語圏の方はどの時点で変わったか
ドンピシャで当てる事ができます。
そのRとLの境目を区別を聴き取ってしまうことを分節といいます。
>心的音像で、物理的な音ではないよ
は、言い換えれば、聴覚映像であり、音の違いで別のものになるという、
音自体に有意があって、イメージが伴うのです。
それらの構造をもつラングは有徴的な音素を持つ
認知ともいわれます、物理的な音でないとは、おそらくそういう意味ですね。 >>930
言語学者は、めだたない民族の言語も含め、
それ相当の複数、多種の言語を調べます。
で、ソシュールは、、『シニフィアンは示差的な構造(システム)で認知される』
となる訳です。
一方のシニフィエは、概念を指しますが、高等概念でなく
生得過程においての概念を含めており、
この「概念」は『人間の言語思考を基本の所で拘束する』
(言語構造により文化や思想の違いにおそらくつながるであろう、という
ところが暗示されていますが、構造を取らえ、緻密性において科学的であろう、
としたソシュールは
次に、詩を研究し出します^^)
ラングは、シニフィアンもシニフィエも 結合も
『記号<構造>では、要素の意味は、要素間の示差的関係性で定まる』
し、その示差の性質は、恣意的である、とたどり着きました。 >>929
こんにちは、大王さん
いつもすれ違いになるね
晴れた日の朝は忙しいのです。
ここに来るのはひと仕事終わってから笑い
高野山、いいね、私もぜひ行ってみたい
主人の仕事が終わらないと何事も始まらないのよ。
あなたは高野山の近くにお住まいなのかな、うらやま・・・笑い >>907
多くの哲学者や思想家もソシュールの言語学に騙されてきた‼名称の恣意的は認めるけれど
言語(概念)が差異の体系からなるのは呉謬推理ですよ🎵😃
これくらい、普通はピンとくるでしょう⁉ やはりエイシストさんは重症です💞
まち子さんにもう一度、お願いしておきます✨😊救われますように⭐🎵😃 ソシュール批判の本を、本箱から探し出したぞ。
「言語変化という問題(共時態、通時態、歴史)」(E.コセリウ著、
田中克彦訳、岩波文庫)」
要するに、ソシュールがラングを完成した言語体系として、共時的な
研究対象としたのを批判し、言語は、パロールによって通時的に
変化してゆくというもの。恣意性の問題など出てこないようだね。
当然のことだから、著者も問題にはしていないのではないか。
多数の言語に翻訳されているようだ。 昼食の時間ですね、
このまえ、まんげんさんが、おっぱいで、カレーのナンのことを
言われました。
近所にインドカレーの店が最近オープンしたので、
そこにランチしにいくことにします( ^^) _U~~ >>933
君は、「自分の頭」で考えたら、記号とその意味との関係が恣意的で
あることも分からないのか。頭のいい子なら、小学生でも分かるぞ。 >>937
ソシュールが恣意性を第一原理としているけど
「言語記号の恣意性」という概念ほど、誤解されがちなものは無いですよ🎵
ソシュール自身既にこの観念に関して誤解して混乱に陥ってました🎵 >>937
ラングの内部構成が自然に制約されていない価値論
という意味に於ける恣意性が現実的だという論証をソシュールは無視しているわよ。👰
この限りで恣意性は論証を欠いたドグマ!⭐
しかも論証を試みたとたんソシュールは矛盾に陥ったよ🎵 >>937
批判ばかりして盛り上がらないでゴメンね😃
記号にして絶対的に恣意的なものは単にその一部のみでしょう🎵
その他は恣意性を頭から否定するわけではないけど、そこにある程度を認めるような現象が生ずるの🎵
記号は相対的に有縁化されちゃうよ✨😊
有縁的なものが一つも無いという記号は存在しないの🎵
でも、すべてが、そうとも言えないのよ🎵⭐
ソシュール興味無かったから苦手やわぁ☀
存在論や認識論なら完璧やで‼😃 >>940
要するに、記号を実体化して崇めているクリスチャンが困るだけ。
ソシュールも、クリスチャンとして苦しんだのではないか。
教会からは、破門もの。
宗教でも、ヒンドウー教や大乗仏教は、問題なし。 死んだ切支丹たちのいったいどのくらいの人がソシュールを知ってたよ?
知らなくてもよいくだらない知識をもちこまれますな。
ゲラサ地方から馳せ参じるときに握りしめているのはリュージュの伝言。
これもまたくだらないですぞ。 >>936
ナンの話をしていたのは私ではありませんよ。
モブだったような気がしますが憶えていません。
シャロンさんはしっかり憶えていると思いますが。 モブには、ナンを見るたびシャロンさんのおっぱいを思い出す呪いをかけておきましょう。 ソシュールは「近代言語学の父」といわれるスイスの言語学者、言語哲学者です。
ソシュールが言語の本質をつかむためにたどりついた方法論はその後の構造主義を生み出し、
哲学的にも大きな影響を残しました。ソシュール自体を完全に理解することは簡単ではありませんが、
現在の世界の当然とされる考え方の基礎にもなっているのがソシュールです。
自分がどのように考えているかを探るヒントにもなるでしょう。
この記事ではソシュールについてまとめました。
ソシュール(1857~1913)は、スイスの言語学者・言語哲学者です。
「近代言語学の父」とも呼ばれています。
ソシュールは言語学にかぎらず1960年代からはじまる構造主義、ポスト構造主義にも大きな影響を与えました。
ソシュールの言語論は現在わたしたちが普通に考えてることにも基礎的な部分で影響を与えているといえます。
それではソシュールの言語論の内容を見ていきましょう。
皆さんは一体何語を話しておられるのかさぱーり
イエス様でさえでもお分りになりまヘンわな。 ソシュールの言語論をおおまかに理解するためには
ラング/パロール
シニフィエ/シニフィアン
通時言語学/共時言語学
という3つの項目を知る必要があります。
聞いたことのない言葉だと思う方もいると思いますが、1つずつ見ていきましょう。 夢中で庭の草むしりしていたら体が冷えてしまった。
ストーブをガンガンたいてます。 >>950
>1つずつ見ていきましょう
いえもうけっこうです。
言語学のスレを立ててそこでやって下さい^^ 心配するな 俺も読んでないから。
読んでもわからんし ソシュールは、まず言語を2つの種類に分けて考えます。
それが
ラング:文法など、社会的に皆が共通の約束事として決められている言葉
パロール:ラングにしたがって実際に話される言葉など、個人的な意を伝える言葉
です。
ラングやパロールは相互に影響を受けながら変容していくものの、区別して考えられるべきだとソシュールは考えました。
普段話している言葉をイメージしてみてください。
誰しもが、文法や意味など、おおまかな規則(ラング)を使いながらも、この規則を飛び越えて自分なりの話し方をします。
これがパロールです。
ラングが時代とともに変遷していくのは、パロールのそうした「飛び越え」が源泉になっているといえます。 >>952
まじですか。
私はすろさんのまとめ待ちでした。 パロールはその性質上、個人の数だけ形があります。
一方で、ラングは社会的に共有された共通構造を持っているので、
科学的な研究対象になりえるとソシュールは考えました。
次に、シニフィエ/シニフィアンを見ていきましょう。
これは言葉自体の基本構造についてです。
では、ためしに「りんご」という言葉の構造を見ていきましょう。
「りんご」という言葉がさすものを想像してください。
大半の人が果物のりんごを思い浮かべると思います。
その思い浮かべた内容のことを「シニフィエ」といいます。
言葉が指す対象のことですね。
また、目の前にりんごがあるとします。
この時、「りんご」「アップル」など”目の前のりんご”を示すための言葉があります。
この「りんご」「アップル」などの言語表現が「シニフィアン」です。
言葉には常に「指される対象(記号内容)」
「指すための表現(記号表現)」があります。
つまり、言葉は常に「シニフィエ-シニフィアン」の構造を持っているということです。
「りんご」を例に出しましたが、物質じゃなくても同じことです。
「楽しい」などの感情にも「シニフィエ-シニフィアン」の構造があるのです。
私の専門は、ヤスパースで実存主義です。
ソシュールの言語論云々は構造主義とかポスト構造主義、脱構造主義などなので
私の守備範囲外です。
私はもっと古い
ドイツ観念論 カント、ヘーゲル、マルクス。ニーチェ ヤスパース ユング ブーバー
あたりをやりました。 コトバの恣意性
また「りんご」に戻りましょう。
目の前にりんごがあるときに日本人であるならば日本語で「りんご」といいます。
しかし英語圏の人からすれば、それは「apple」と表現されます。
このように、ひとつの「シニフィエ」に対して「シニフィアン」は複数存在しえます。
ソシュールは、なぜ目の前のりんごに対して「りんご」と「apple」など複数の「シニフィアン」があるのか
ということに絶対的な根拠などないと考えました。
りんごはなぜ「りんご」という言葉になったのでしょうか。
「りんご」という発音で呼ばれるようになった絶対的理由はない、たまたま「りんご」になったといっているのです。
つまり、「シニフィエ(内容)とシニフィアン(表現)を結びつけるものは恣意的である」ということです。
この考えがその後の現代思想に大きな影響を与えました。
もう少し見ていきましょう。
すでに客観的に存在する事物はない
さて、シニフィアンが恣意的に成立していることまで説明しましたが、
その指し示す対象自体(シニフィエ)についても考えてみましょう。
ここでは「虹」の例がわかりやすいかもしれません。
虹はある文化では3色だとされています。
日本では7色ですね。
このように同じ対象(シニフィエ)に対して様々な見方、呼び方があります。
つきつめて考えると、客観的に存在している事物に「シニフィエ-シニフィアン」の構造があるならば、
いつもその概念は同じになるはずです。
にもかかわらず、「虹」を見ればわかるとおり同じ対象に対して別の見方が生まれるのは、
客観的に存在している事物はない
からだと考えられます。 そしゅーるは馬鹿です
林檎は中国語です。
「檎」は本来「家禽」の「禽」で「鳥」を意味し、
果実が甘いので林に鳥がたくさん集まったところから、
「林檎」と呼ばれるようになった。
「檎」は、漢音で「キン」
呉音で「ゴン」と読まれることから、
「リンキン」や「リンゴン」などと呼ばれ、
それが転じて「リンゴ」となった。
名には由来と必然性があるのです 知識自慢は結構です。
荒らさないでください
クリスチャンに理解できない事を持ち込まないで頂きたい。 人間の観点よりも以前に対象が存在してるのではなく、
観点が対象を作っているということです。
これは、古代ギリシア哲学から続く実在論に新しい観点を与えました。
最後に、通時と共時の話をしたいと思います。
通時と共時とは
通時:歴史的な流れ
共時:ある一定時期、その時、その空間
という意味です。
ソシュールの言語学が画期的だったのは、共時的な観点を言語学に取り入れたことです。
それまでの言語学は、言葉を理解するために歴史的な変遷(通時的)を研究していました。
ex.)この言葉の語源は?
しかし、ソシュールは歴史的な変遷を見なくとも、言語の構造は明らかにできると考えたのです。
そして、実際にソシュールは共時的な観点から「シニフィエ-シニフィアン」といった構造を取り出したのです。
このように、言葉を共時的にとらえ、言葉自体の意味から離れた構造を取り出す方法論は、
その後の構造主義につながっていきます。
ソシュールの構造的にとらえるこの方法論は、私たちの日常でも当たり前に使っているはずです。
言葉がさす実体は、絶対的なものではありません。
その奥に潜む構造を取り出すことで、より本質的なものに近付けるのです。
ソシュールを知ることで、本質的なものの考え方を探ってみてはいかがでしょうか。
https://brave-answer.jp/23680/ ソース 20世紀の歴史はマルクス主義そのものがマルクス主義の否定の証明やん😃
私は、マルクス主義を否定したマックスウェーバが好きやで🎵
資本論に限って「労働」とは解放の概念と同時に抑圧の概念ですよね🎵⭐
エイシストさんって…こういう直感くらい普通に働かないの?💦
今までのあらゆる考え方を聴かせて頂いて全く、才能が無いですよね😃
では、夜はまち子さんから説教が有りますので
早く意固地な頑固な心を砕いてくださいますように。👰 >>964
ID:hmN2WbhPさん、至急ご自分のスレにお戻りください。 きゃっかんてき
【客観的】
《ダナ》主観または主体を離れて、独立の存在であるさま。
だれが見てももっともだと思われるような立場で物事を考えるさま。
「―な事実」>>960 マルクスしゅぎ
【マルクス主義】
マルクスが唱え出し、エンゲルス、レーニン等が発展させた世界観、
およびこれに基づく実践活動。弁証法的唯物論および唯物史観を骨子とする。
革 命 に よ る 資 本 主 義 社 会 の 廃 棄 と社会主義社会さらに共産主義社会の実現を目標とする。
▷ マルクス( Marx )は十九世紀中ごろのドイツの社会主義者。
マックスウェーバ 主な業績
ヴェーバーは、西欧近代の文明を他の文明から区別する根本的な原理は「合理性」であるとし
、その発展の系譜を「現世の呪術からの解放(die Entzauberung der Welt)」と捉え、
それを比較宗教社会学の手法で明らかにしようとした。
そうした研究のスタートが記念碑的な論文である「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」(1904年−1905年)である。
この論文の中で、ヴェーバーは、西洋近代の資本主義を発展させた原動力は、
主としてカルヴィニズムにおける宗教倫理から産み出された世俗内禁欲と生活合理化であるとした。
この論文は、大きな反響と論争を引き起こすことになったが、特に当時のマルクス主義における、
「宗教は上部構造であって、下部構造である経済に規定される」という唯物論への反証としての意義があった。
ジャックラカンも構造主義の一面があるし、ソシュールにも言及してる「人形愛の精神分析 (藤田博史著」は面白いよ。
天野可淡、四谷シモン、ハンスベルメールの人形が好きなら読んでみる価値はある。
おまえらそんなもん好きじゃないだろうけどw マックスウェーバ
その後、この比較宗教社会学は、「世界宗教の経済倫理」という形で研究課題として一般化され、
儒教と道教、ヒンドゥー教と仏教、古代ユダヤ教、の研究へと進んだ。
しかし、原始キリスト教、カトリック、イスラム教へと続き、
プロテスタンティズムへ再度戻っていくという壮大な研究計画は、
本人がインフルエンザで命を落としたことで未完に終わった。特に、イスラム教については、
ほとんど手を付けることはなかった。 マックスウェーバ
一連の宗教社会学の論文と並んで、ヴェーバーが行っていたもう一つの大きな研究の流れは、
「経済と社会」という論文集としてまとめられている。
これは、ヴェーバーが編集主幹となり、後に「社会経済学綱要」と名付けられた社会学・経済学の包括的な教科書に対し、
1910年から寄稿された論文集である。
この論文集も、最終的にはヴェーバー自身の手によって完成することはなかった。
彼の没後、妻であったマリアンネ・ヴェーバーの手によって編纂・出版されたが、このマリアンネの編纂については、批判が多い。
[16]その後、1956年と1976年にヨハネス・ヴィンケルマンによる再編纂版も出ているが、
本来ヴェーバーが目指していたと思われる、あるべき全体構成については、今なお議論が続いている。
この「経済と社会」は、教科書的・体系的な社会学を構築しようとしたのと同時に、
宗教社会学における「合理化」のテーマを、比較文明史・経済史における特殊・個別事例の巨大な集積に照らし合わせて検証していく
ケーススタディ(Kasuistik、決疑論)を行ったものとしても位置づけられよう。
また、「経済と社会」の中の「支配の諸類型」における、正当的支配の三つの純粋型、すなわち「合法的支配」「伝統的支配」「カリスマ的支配」は
社会学や政治学の分野で広く受け入れられることとなった。 日本においては、丸山眞男や大塚久雄や川島武宜をはじめとして、
多くの社会科学系の学者に強い影響を与えた。
ヴェーバーの日本における受容は、日本が太平洋戦争で敗北したのは「合理主義」が
欠けていたためであるという問題意識と、
社会科学におけるマルクス主義との対置という文脈、という2つの理由が大きかった。 お婆ちゃんに道を訊かれますたか・・・
「道を尋ねられる人になりましょう」と言われるよね。
道を尋ねる人は、リラックスしていて、穏やかで、親切そうな人に声をかけるからです。
つまり、エイシストさんはお婆ちゃんから「逆ナン」されたわけです。
時間に余裕があるなら道案内しながら、お婆ちゃんとデートを楽しむべきだったかもぅw
「やっぱり良い青年だったわ!あり余る私の財産をこの青年に3億ほどあげようかしら?」>お婆ちゃん。
などということは、まず無いでしょうがw
ギリシャ神話の女神ヘラは老婆に化けて、イアソンの人柄を試しました。
老婆に化けて試したり諌めたり、困っている旅人に化けて試したりするのが神々です。
困っているお婆ちゃんを見たら神さまだと思うと、お婆ちゃんが神々しく見えてくるから不思議w ひも理論では、
万物の根源である素粒子は極小のひもで出来ていると考えます。
開いた1本の線のようなひもだったり、輪ゴムのように閉じたひもだったりして、
そのひもが振動したり回転したりして粒子になっているというのです。
ひもに超対称性を付加させた理論が超ひも理論と呼ばれ、
現在主流の研究対象となっています。
超ひも理論とは物質の究極の要素は「粒子」ではなく
「ひも」であるというものです。
超ひもの大きさは10-35[m] といわれ、原子の大きさの
10-10[m]と比べてもとてつもなく小さいものです。
現在、素粒子は数百種類ありますが、
これらは1本のひもで説明できるといわれます。
ひもが振動するとき振動数の異なる波が生じますが
この1つ1つが素粒子に対応するというものです。 英語でいうとスーパー・ストリング・セオリー。
物質の最小の単位が振動するひも(弦)であるというのは、ギターの「ハーモニクス」に似ています。
ひとつの弦が持っているさまざまな振動の仕方(「節」と「腹」のようす)が、
それぞれ別の粒子を表しているというような考え方です。
宇宙は5次元以上からなっているとするのが「超ひも理論」であり、「M理論」だ。
「超ひも理論」、「M理論」とも異次元の理論の証拠となる新粒子を予言しているのだ。
今日はいいお天気でしたね
日ごとに春めいた参りました^^
ヘブル 4:15
この大祭司は、
わたしたちの弱さを思いやることのできないようなかた
ではない。罪は犯されなかったが、すべてのことについて、
わたしたちと同じように試練に会われたのである。
☆イエス様を信じその御名を褒め称えましょう。
神様はあなたを愛しておられます。 10-35[m]
0.00000000000000000000000000000000001 メートル
>>961
>名には由来と必然性があるのです
漢字のような表意文字の場合は、その意味の結合は、まさに恣意性の
例外だね。一見しただけで意味が判る。これが漢字の凄さだ。 『超弦理論』では現在のところ観測されていない10次元といった多数の次元を必要とする点で問題がある。
超高エネルギーでの実験が可能ならばそのような次元を直接確認し、
理論を検証できる可能性があるが、21世紀初頭の技術的展望では不可能だとされている。
カラビ-ヤウ空間の形状などに依存して、膨大な数の超弦理論が存在し得る。
そのようなパラメータを調整して、我々の宇宙の物理法則と適合する超弦理論を選び出すことは
計算量の面から非常に困難なことが判明している。
膨大な数の超弦理論が、それぞれ別の宇宙を表すとの考え方もあるものの、我々の宇宙の法則を得られなければ、
実用理論としては意味が無いかもしれない。
https://giphy.com/gifs/geometry-p3BO2tRS39CiA カラビーヤウ空間 こんなところで物理の書き込みなんかしないで【神なんて実在しないよネー】スレで書き込めば? カラビ・ヤウ多様体は、
1次元の楕円曲線
エルシュトラス方程式あるいはヴァイエルシュトラスの標準形
{\displaystyle Y^{2}Z+a_{1}XYZ+a_{3}YZ^{2}=X^{3}+a_{2}X^{2}Z+a_{4}XZ^{2}+a_{6}Z^{3}}
{\displaystyle Y^{2}Z+a_{1}XYZ+a_{3}YZ^{2}=X^{3}+a_{2}X^{2}Z+a_{4}XZ^{2}+a_{6}Z^{3}}
2次元のK3曲面
セール双対性より
{\displaystyle h^{2}(S,{\mathcal {O}}_{S})=h^{0}(S,K_{S})=1.} h^{2}(S,{\mathcal {O}}_{S})=h^{0}(S,K_{S})=1.
となる。これと組み合わせると、オイラー標数
{\displaystyle \chi (S,{\mathcal {O}}_{S}):=\sum _{i}(-1)^{i}h^{i}(S,{\mathcal {O}}_{S})=2}
\chi (S,{\mathcal {O}}_{S}):=\sum _{i}(-1)^{i}h^{i}(S,{\mathcal {O}}_{S})=2
である。
一方、リーマン・ロッホの定理(ネターの公式)より、
{\displaystyle \chi (S,{\mathcal {O}}_{S})={\frac {1}{12}}(c_{1}(S)^{2}+c_{2}(S))}
\chi (S,{\mathcal {O}}_{S})={\frac {1}{12}}(c_{1}(S)^{2}+c_{2}(S))
であり、ここに、ci は i-番目のチャーン類とする。高次元版の複素多様体であり、
コンパクトケーラー多様体で標準バンドルが自明なものとして定義されることが多い。
ただし、他にも類似の(しかし互いに同値ではない)いくつかの定義がある。 何やら小難しい書き込みしてんなw
これでも解いてみて、簡単だからw
微分問題
((x^3)*√(1+2*x))/(((1+x)^5)*(1+3*x)^(1/3)) を微分しなさい。
マルチな書き込みだけど・・・ >>962
このような知識の方が、聖書の知識より、はるかに教養に役立つ。
聖書は、何の役にも立たない。 んー、今の現代の道徳観なんかは聖書から来ているからね。
何ともいえん。
ただ聖書はお金にならない雑学でしかないのは確か。 1. 全ての複素K3曲面は、互いに微分同相である(小平邦彦が最初に証明した)。 Siu (1983) は、全ての複素K3曲面がケーラー多様体であること示した。このケーラー多様体であるという事実と、カラビ予想のヤウによる解の結果として、K3曲面はリッチ平坦な計量を持つ。
2. K3曲面の (p,q)-番目のホッジ数は、具体的によく知られている。ホッジダイアモンドは、
・・・1・・・・・
・・0・・0・・・
1・・20・・1・・
・・0・・0・・・
・・・1・・・・・
となる。
3. K3曲面の {\displaystyle H^{2}(S,\mathbb {Z} )} H^{2}(S,{\mathbb {Z}}) 上に、
このことは格子構造を定義し、K3格子(K3 lattice)と呼ばれる。これは次のセクションに記述する。
上記のK3曲面の性質のおかげで、現在、代数幾何だけではなく、カッツ・ムーディ代数、
ミラー対称性や弦理論で広く研究されている。
特に、格子構造は、その上にネロン・セヴィリ群の構造をもつモジュラ性をもたらす。
>>987
まじですか?
何の役にたつのか、何が言いたいのかさっぱりわかりません。
隠居先生わかりやすく教えてください。 言語学(げんごがく)は、ヒトが使用する言語の構造や意味を科学的に研究する学問である。
ソシュールは歴史的な変遷を見なくとも、言語の構造は明らかにできると考えたのです。
そして、実際にソシュールは共時的な観点から「シニフィエ-シニフィアン」といった構造を取り出したのです。
↑ 言語の音声・意味などを辿って民族のルーツや文化の起源を調べることができる。
現代はコンピュータのおかげで容易になった。
また現在使われている言語は 以前のもとのものを指していない場合があるということ。 隠居さんも意味わかってないんじゃないですか?
まったく。 たとえば神・愛・善悪・キリストなどは ソシュールの方法によって本来の正しい意味にたどり着くことができる。
言葉の使い方をていねいにしろということ。
無意味な造語などの理性をともなわない言葉はなんの力もないし、当人を知的障害にする。
>>996
超長い前置きはもう結構ですから、神愛善悪キリストに関する言語学的解釈を語ってください。 言語学的(ソシュールではなく歴史的に)に善悪の起源をたどっていくと、
キリスト教・ユダヤ教・イスラム教の善悪という言語の起源はゾロアスターである。
ゾロアスター教義では 宇宙は善の神オフルマズドと破壊神ガンナーグメノーグの二神の作用によって
生じたと教える。
それに基づき、ゾロアスターは例えば「犬は善で、サソリやカエルは悪」というようにこの世の事象のすべてを
二分した。
しかし、犬もカエルも現在の善悪とはあてはまらない。
つまりこれらのことからも現在カルトで使われている善悪ということばは 間違っているということ。
神・愛・キリストについてもその言語学的ルーツをたどりなさいということ。 >>998
言語学ルーツをたどってみて凄いことがわかったら、また教えてください。 レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。