<仏説>
ある時、アシバンダカプッタと言う村長がお釈迦様に尋ねました。
「尊者(お釈迦様)よ、火に仕える西方のバラモン(宗教家)達は、死者に死を告げ、説得し、天界へ導きますが、世尊(お釈迦様)は全ての人に死後天界に生まれさせることができるのでしょうか?」
それに対し、お釈迦様が逆に質問されます。
「村長よ、たとえば、ある人が巨大な石を深い湖に投げ入れたとしよう。
そして、大群衆が集まってきて、次のように願い、称賛し、合掌して湖のまわりを歩きまわるとしよう。
大石よ、浮かびなさい。
大石よ、漂いなさい。
大石よ、陸に上がりなさい。と。
あなたは、これをどう思うか?
その大石は大群衆の願いによって、また、合掌し歩きまわることによって浮かび、漂い、陸に上がるだろうか?」
「尊者よ、それはあり得ません。」

「村長よ、それと同じように、生き物を殺し、与えられていない物を盗り、欲望のおもむくままに行動し、嘘を言い、二枚舌を使い、悪口を言い、
貪欲で、怒りの心を持ち、よこしまな見解を持つ人に対して、たとえ大群衆が集まってきて、この人が死んだら天界に生まれるようにと願い、
合掌して歩きまわったとしても、その人は、死後に悪いところ、苦しいところ、危険なところ、地獄に生まれるだろう。」と。

生前の行ないによって、死後に行く世界は決まっており、どんなに「南無妙法蓮華経」や祈祷を繰り返そうが
をしても、それは、全くの無駄・迷信というのものである。