日本の天台教学の大本はシナの天台大師智の教えから始まる。
智自身は、真理に徹して自説である五時八教の説を立てた。
この説は成る程過ぎる上手い仮説であり、否定する明瞭な資料が無く多分は
真実だろうと承認され明治維新を迎えた。
明治維新は学問のあらゆる分野でも開国と維新で在り、仏教界もその範囲のうち。
その学問成果を待って検証をされ、五時八教の論は破折された。つまり
あくまで仮説で在って、検証の結果、智の説は間違いと断ぜられている。
上の文は記述で当たり前。
さてわたくしの観点で在ります。晃氏は、自らをアドバルーン役に仕立て、己が無知と不毛な頑迷を売り出し、一般人のが学力を商量しつつ
世間の反応を窺がっているのではあるまいか?とまで疑われるほどの
ピ違い題目の演技信者でなのであろうか。
是ならわたくしも彼の意図が判る訳だ。
それにしても色々考えさせて下さる愉快な御仁ではある。

サッダルマを妙法と意図的に誤訳を行った翻訳家、鳩摩羅什三蔵の罪も軽くない。
後の宋時代に及び新渡来の漢訳法華経では『正法蓮華経』と題名が正されている。
然し流布せず経蔵に収納されて完了。
お経の冒頭に必ず、阿難尊者が聞きました。如是我聞の四字が付いている。
是の存在こそが初手から嘘話の如是我聞なのだ。