佐渡後に創作したねつ造だろう過去の。

>その一つは、承久の乱において、天皇方は鎮護国家(ちんごこっか)を標榜(ひょうぼう)する天台真言等の高僧により、調伏(じょうぶく)の祈祷(きとう)をあらんかぎり尽くしたにもかかわらず惨敗し、三上皇が島流しに処せられてしまったのは何故か。

 二つには、安房地方の念仏を唱える行者の臨終が苦悶の姿、悪相を現じたのは何故か。

 三つには、釈尊の説いた教えが各宗に分かれ、それぞれ優越性を主張しているが、釈尊の本意はただの一つなのではないか、というものでした。