晃の砂のお城崩れ大炎上、さらに。

145晃 ◆HOKKEvxAGE 2018/03/08(木) 12:58:33.43ID:Cr+05DcK

>>144
日蓮の出家の動機の話をしている
  ↓
http://www.geocities.jp/shoshu_newmon/nichiren_shogai1.htm
日蓮大聖人の御生涯
善日麿(ぜんにちまろ)の幼少期、世間においては悲惨な事件が相次ぎ、大風雨や干ばつなどの天災によって大飢饉も発生し、世情の不安は募(つの)るばかりでした。
聡敏(そうびん)な善日麿は、前の承久(じょうきゅう)の乱をはじめとする数々の凶相(きょうそう)は何によるのかという疑問を持つに至り、これらの社会の混乱を解決するため、天福(てんぷく)元年(1233)、
十二歳の時「日本第一の智者」となるために学問を志して、小湊にほど近い清澄寺(せいちょうじ)の道善房(どうぜんぼう)のもとへ入門されました。

その一つは、承久の乱において、天皇方は鎮護国家(ちんごこっか)を標榜(ひょうぼう)する天台真言等の高僧により、調伏(じょうぶく)の祈祷(きとう)をあらんかぎり尽くしたにもかかわらず惨敗し、三上皇が島流しに処せられてしまったのは何故か。

 二つには、安房地方の念仏を唱える行者の臨終が苦悶の姿、悪相を現じたのは何故か。

 三つには、釈尊の説いた教えが各宗に分かれ、それぞれ優越性を主張しているが、釈尊の本意はただの一つなのではないか、というものでした。