【空海】弘法大師様を拝もう 同行二人【南無大師遍照金剛】
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「南無大師遍照金剛(なむだいしへんじょうこんごう)」
これは御宝号(ごほうごう)といい、真言宗で唱える一番短い『お経』です。
仏さまの慈悲の光は、すべてのものに及びます。そして、すべてのものに幸せを及ぼそうという智慧(ちえ)の働きは、ダイヤモンド(金剛石)のように堅固で輝きを失いません。これが「遍照金剛」の由来です。
弘法大師さまは、師の恵果(けいか)さまから真言密教の法を受継がれたとき、この「遍照金剛」をお名前の一つとして贈られました。恵果さまはお大師さまを、たぐいまれな仏さまの申し子と見抜かれたのです。
真言宗ではこの御宝号を、どんなときでも唱えます。お寺でも仏壇の前でも、亡くなった人のためにも、幸せを願うときでも...自分がピンチに立ち至ったときはなおさらです。
そして、仏さまの誓いを永遠に続けるというお大師さまの誓いを、私たちも自分の誓いとして共に進むこと。本当の幸せは、そこに開かれます。
(壽)
http://www.musubidaishi.jp/message/2007/05/post-4.html
※前スレ
【空海】弘法大師様を拝もう【南無大師遍照金剛】
http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1508983286/ 南無大師遍照金剛
南無虚空蔵菩薩
南無大悲恩主釈迦牟尼佛 南無大師遍照金剛
南無阿弥陀佛
南無大悲恩主釈迦牟尼佛 南無大師遍照金剛
南無阿弥陀佛
南無大悲恩主釈迦牟尼佛 南無大師遍照金剛
南無阿弥陀佛
南無大悲恩主釈迦牟尼佛 >>171-174
お前にとっては、大師も阿弥陀も釈迦も同じか?
所詮、他力本願。
大師も蹴落とされたものよ。 南無大師遍照金剛
南無阿弥陀佛
南無大悲恩主釈迦牟尼佛 南無大師遍照金剛
南無阿弥陀佛
南無大悲恩主釈迦牟尼佛
>>175
弥陀即大日 南無大師遍照金剛
南無阿弥陀佛
南無大悲恩主釈迦牟尼佛 南無大師遍照金剛
南無阿弥陀佛
南無大悲恩主釈迦牟尼佛 南無大師遍照金剛
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南無大悲恩主釈迦牟尼佛 南無大師遍照金剛
南無阿弥陀佛
南無大悲恩主釈迦牟尼佛 日蓮大聖人 真言宗完全論破!(一部抜粋)
当時の弘法大師空海の立てた説では「法華経は華厳経よりおとっているのであり、まして大日経等に対してはなおされである」といい、
慈覚大師円仁・智証大師円珍・安然和尚等は「法華経の理は大日経と同じであるけれども、印と真言という事においては劣っている」といっている。
空海は大日経や菩提心論等によって十住心を立てて顕教と密教の勝劣を判じている。
その中で「第六の他縁大乗心は法相宗・第七の覚心不生心は三論宗、第八の如実一道心は三論宗、第九の極無自性心は華厳宗、第十の秘密荘厳心は真言宗であり、この立て方の順序は浅い教えから深い教えになっている。
その文証は大日経の十心品と菩提心論に出ている」と言っている。
しかし、出ているという大日経の住心品を開いて「他縁大乗」「覚心不生」「極無自性」の語を探してみると、
その名称は経文にあるけれども「他縁大乗」「覚心不生」「極無自性」の三句を法相宗・三論宗・華厳宗に配する言葉はない。
そのうえ「覚心不生」と「極無自性」との中間にあるという「如実一道」は文も義もない。
ただし、この品の初めに「何を菩提というかというと、如実に自心を知ることをいうのである」等の文がある。
この文を取り出して「覚心不生」と「極無自性」との二句の中間に置いて天台宗に当たるとし、華厳宗に劣ることを主張しているのであるが、
住心品には全く文も義もともにない。「文があって義もある」「文がなくて義がある」の二句に適っていないのであるから、信用に値しない。 菩提心論の文でも法華経と華厳経の勝劣については全く述べられていないうえ、この論が竜網菩薩の著ということについては昔からの論争のところである。
この論争が決着しない前に規範として用いることは、義を立てる法に背くのである。
そのうえ、善無畏や金剛智等が評議して大日経の疏と義釈を作り一行阿闍梨に執筆させたが、この疏と義釈の中で諸宗の勝劣を判じて「法華経と大日経とは広と略との違いである」とさだめているのである。
空海の徳が高貴であってもどうして先師の義に背いてよいであろうか、という非難がなされた。(これは安然の非難である)
これに対して、空海は門弟はあれこれと言い訳をして「守護国界主陀羅尼経、あるいは六波羅蜜経、あるいは楞伽経、あるいは金剛頂経にのべられている」などと解釈したけれども、非難の勢いを避けられなかった。
しかしながら、当時の後世の弟子等は弘法大師の高徳を恐れかしこむがゆえに無理な解釈を加えようとしているけれども、
結局、解釈のしようがなく、問答の法に背いて「伝教大師最澄は弘法大師の弟子である」とか「宗旨の優劣等については、あれこれ論議のところである」と言っている。
日蓮が考えるには次のようである。華厳宗の杜順・智儼・法蔵等は法華経の「始見今見」の文に基づいて法華経と華厳経とは等しいという義を懐いた。
その後、澄観が「始見今見」の文によって二経は等しいとする義を彼の祖師に倣って立てたうえに、一往の弁説を加えて「法華経と大日経とは等しいのであるが、
ただし、華厳経は法華経より先に説かれ、華厳経の説法の時、仏は最初に法慧や垢徳林等の大菩薩に対して出世の本懐を遂げたのである。
しかしながら、二乗や位の低く賤しい凡夫等は機根が末だ熟していなかったために華厳経を用いようとしなかった。
そのため、阿含経・方等経・般若経等によって機根を調え熟させてから、立ちかえって華厳経に帰入させたのである。
これを今見の法華経と名づけるのである。強大な敵陣を破ったときには、その残党を平らげるのは難しいことではない等というようなものである。
それゆえ、真実には華厳経が法華経よりも勝れているのである」などと言っている。 弘法は、わが国で勤操等にあってこの義を修学し、後に天台・真言を学んだけれども昔の修学に対する執着が改まらないがために、この義を懐いたのであろう。
ましてや、華厳経が法華経より勝れているという義は陳・隋代以前に南三北七の各派が皆そう考えていたし、天台大師以後もまた諸宗がこの義を立てていたのであり、
ただ弘法一人だけというのではない。
ただし、澄観が「始見今見」の文によって華厳経は法華経より勝れるというように判断した才知は、
天台智者大師が涅槃経の「是の経の世に出ずるは…法華の中の八千の声聞」等の文によって法華経と涅槃経と等しいという義を懐いただけでなく、
また勝劣の義を懐いたということから、その才知に倣ってそうした義を懐いたのであろう。澄観のこの義がもし誤った考えであるならば空海の義もまた誤った見解であるはずである。
日蓮は不審していう。何をもって、理は法華経と大日経と等しいということがいえるのか。答えていう。大日経の疏と義釈、ならびに慈覚・智証等の釈による。
尋ねていう。これらの三蔵や大師等はまた、何をもって理は等しいという義を知ったのか。答えていう。三蔵や大師等を疑うべきではない、等々。
難詰していう。この義は経文の文義を問答する法に則っていないうえ、仏法の遺言に背している。明確に経文を出すべきである。もし経文がないならば、その道理はないことになるかどうか。
答えていう。威儀形色経・瑜祇経・観智儀軌等にある。文は口頭で伝えよう。
問うていう。法華経に印と真言を略したのは、仏の説法の時からか、経典を結集した時からか、それとも訳者の時からか。
答えていう、ある人は仏の説法の時からと言い、ある人は経典を結集した時からと言い、ある人は訳者の時からと言っている。
不審していう。仏の説法のときから印と真言を略して、法華経と大日経とに理同事勝の義があったというならば、このことはどの経文にあるのか。
文証の出処を挙げられない、自分勝手ないい加減な言であるならば、これを用いるべきではない。 南無大師遍照金剛
南無阿弥陀佛
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南無大悲恩主釈迦牟尼佛 空海や最澄は確かに素晴らしい宗教家なんだけど、
どうも雲の上の存在というか、なんか人間離れしてて親しみがわきにくい。
鎌倉仏教の祖師たちの方が、民衆に寄り添ってていいんだが、道元だけはこわいw
法然、親鸞、日蓮、一遍あたりが俺たちと一緒に泣いたり笑ったりしてくれそう。
自然と手を合わせる気持ちになれる。 >>196->>200
うまいね!言い得て妙だよ。
とくに「口うるさい公務員の道元」には笑ったw
道元はもともと御公家さんだからね。感覚が浮世離れしてるんだね。 南無大師遍照金剛
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南無大悲恩主釈迦牟尼佛 >>167
>「悪によって善あり、悪を離れて善なし」(巻五)、また「悪は是れ善の資(善を助けるもの)なり。
悪によって、善が誕生したわけではないように思います。
最初に大善光の善なる光があって、遅れてその影をつくる悪しき存在によって、悪を成している
ことであると思います。 南無大師遍照金剛
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南無大悲恩主釈迦牟尼佛 BS見ててイライラするんだけど、俺がおかしいのかな
空海の読み方って、あーそれ食うかいみたいなイントネーションの上下 下下の読みが普通?
上上 上下のQoo下位っていうイントネーションではないの? 南無大師遍照金剛
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南無大悲恩主釈迦牟尼佛 南無大師遍照金剛
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南無大悲恩主釈迦牟尼佛 >>230
こいつは大師でも何でも関係ないということがよくわかる。
ハチャメチャ。
南無がつきゃあ、何でもいいようだ。 南無大師遍照金剛
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南無大悲恩主釈迦牟尼佛 >>232-235
こいつは大師でも何でも関係ないということがよくわかる。
ハチャメチャ。
南無がつきゃあ、何でもいいようだ。 南無大師遍照金剛
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