世俗の裁判でさえ、証言を集め、証拠を確認してから判断するのに
理性的であるはずの、智慧に達した、あるいは達しようとしているはずの仏教徒が
なぜ確認もしないで、思い込みでものごとの真偽を断定してしまうのか。

正法の時代を存続させるために、サンガの堕落を引き起こさないために、そのことが
潜在的にどれだけ大きなリスクなのか、少し立ち止まって真剣に考えて欲しい。