仏教の場合
生きることは苦である 。
生活のあれこれ、ああいうことが苦しいとか
こいうことが辛いとか
そういうのではなくて
私の存在自体が
私の存在そのものが苦であるということ。

キリスト教の場合
生きるとはキリストである。
生きることが苦であるのか喜びであるのかを問わない。
抜けるとはどういうことなのか
それはすなわちキリストであると。
イエスこそが私たちの命の根源であり
信仰の中で 私たちの存在根拠となってくださる方であると。
キリスト者の私が生きているっていうのは
いやいや生きるっていうのは
私ではなくキリストが生きているんだと。