ここに二つの自己が登場している
ひとつは、通常の肉体と精神の己という個体であり、もうひとつは、その己を含んで更に全体を形成する神的なる意識であろう
これを意識されない意識としてもよい
この意識してない己は、通常の己の内にも外にもあり、あらゆる現象を想像しているように思われる