仏教】 悟りを開いた人のスレ276 【天空寺
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悟ったと思う者は、体験、技術、見解などを書く事。
否定されても発狂しない。
罵倒、批判だけのレスはスルー。
修行もする事。(任意)
>>970が次スレを立てる。無理なら以降の有志にお願い。
前スレ【仏教】悟りを開いた人のスレ【天空寺】275
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滅尽という言葉の意味を黙想せよ!
救われないやつらよ
俺は本気でキレたんだ
散々書いてきただろ??
本気にしなかったのは、お前たちだ! >>431 思わないじゃろう。
嫁もいずれは苦になるものじゃ。
真の喜びは心の中にあるものじゃ。
>>432->>435 八正道とは正しく見ることから始まるのじゃ。
正しい観察によって悟れるのじゃ。
それが真の八正道なのじゃ。
八正道と書きながら悟っていない者は正しく見ていないのじゃ。
>>489 おぬしが正しく見ていないからなのじゃ。
正しく見ていない者にはどのような経典も無意味であるとわかるのじゃ。
お釈迦様もこのように言っておる。
64 愚かな者は生涯賢者につかえても、真理を知ることが無い。
匙(サジ)が汁の味を知ることができないように。
65 聡明な人は瞬時(マバタキ)のあいだ賢者に仕えても、ただちに真理を知る。
舌が汁の味をただちに知るように。
これでおぬしの性能もわかってしまったのじゃ。 鬼和尚は悟っておるのぢゃ。2ちゃんねるを代表する覚者なのぢゃ (-人-) 瞑想をする切っ掛けになったのは、鬼ちゃんじゃし、
ホンマ感謝しちょるのお^ー^
「どこの誰だか知らないけれど〜〜〜、誰もが知ってる〜〜〜♫」
覚者じゃよ^^ >>520
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ有部破僧事ググったけど知りたい情報がヒットしなかった >>522
仏教でいう地獄とは、六道輪廻する心の様相のことを言うのぢゃ
ぢゃからプーラナ・カッサパは自殺などせず、舎利弗と目連の目線で見て
陰鬱に苦悩しておると思われる状況のなか、会いに行ったように書かれただけ
そのように伝わっただけ。そもそも、真理を体得した覚者が
「外道」と言われただけで、苦悩する筈もなく、またカッサパを外道であると
そのように定めておかねば安心できぬ程度の、凡夫どもの未熟さを憐れむだけぢゃ
(-人-) 鬼和尚さん
聖職者にとって妻帯とSEXは悟りの妨げになるのですか >>523
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ諸法無我だと悪も善も無いんだろけどお釈迦様は中道じゃないかなぁ? >>523
コジくんよ
父母未生以前の本来の面目とは何か?
今までない答えをいえよ!
あ? お経読むのって意味あるか?
1回目ぐらいは内容見るために読んでもいいけどさ、もう内容もわかってるお経をお勤めとして読むのって意味あんのか?
時間の無駄じゃねえか?
唱えて安心するとかそういう効果は別として。 淫行、暴食、窃盗、殺人、詐欺。ここいらは悟りの妨げにはならんが
思念、固執、嫉妬、依存、抑圧。ここいらは悟りの妨げになるぢゃろう
つまり、坊主が妻を娶り、SEXに励んでも、それ自体は修行の妨げにはならんが
妻に対し様々な思いを巡らし、妻との関係に固執し、妻の行いに嫉妬を向けたり
妻の存在自体に依存したり、自分や妻の行動を抑圧するのならば、もはや凡夫
けっこうガッツリと悟りの妨げになってしまうのぅ (-人-) >>525
本来、正道も外道も偏道も中道も無いのぢゃ (-人-)
>>526
質問の意味がわからん (-人-) >>527
読経に意味は無い。内容を理解してれば良い。それも頭でなく心での (-人-) >>529
∞ノノハ∞
川^〇^ハレありがとうございました くそども
おれはキレとると、何度言わせるw
鬼和尚も超能力を使って悦に浸ってはおるが、別に何の助けもくらんやろ?
おまえがほんとに困った時
奴は
むしる!!!
確実な事実だ、笑
はよ、悟れやあほ おまえら
神通力が冗談だと思っとるのか??
w
俺は絶対にゆるさん! 「恋愛」を、多く重ねると良かろう。それはいずれSEXや結婚に繋がるが
そこまでは良いとして、異性との関わりの中で様々な思念が湧きよる筈ぢゃ
時に心救われ癒され慰められ夢心地のようにもなるが、不安や嫉妬や憎悪もわく
そういった感情の起伏もまた、クリアすべき心の修行の大きな題材になるのぢゃ
異性に対する凡ゆる想いが激しい苦悩に変わったのならば、依存が見つかる
見つかればお主らが小者である部分の発見ぢゃ。そこでもまた瞑想し、切り離せ
あとは特に、定期的に性欲のはけ口としてSEXができれば、相手は誰でもよく
悪い意味ではなく、特定の誰ぞが居らんでも心の安静は得られるぢゃろう (-人-) >>534
アホか
普通の女は力しかみとらんww
はげー! 力のあるやつが、
ええ目するのだ!
俺はぶちぎれとるw
お前らは、おわりだ!
なめすぎた お前らは
釈迦の言葉なら聞くが、
悟ったものの言葉は聞かない
猶予は終わりだwtwtw >>521
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ鬼和尚さんに助けられて居る方も多いと思いますけど
麦はジャンキーたんが凄いと思います
ジャンキーたん悟り知らないって言うけど
こじさんもロンも凄い >>542
こういう人間が、
世にはおる
おまえらとは大違いじゃ
反省しやがれww >>543
では、これより、神との死闘を行う
いっとくが!!
何億年かかろうが、やったる!
おちょくりやがってww お薬増やしておきますねー
(´・ω・`)
/ `ヽ.
__/ ┃)) __i |
/ ヽ,,⌒)___(,,ノ\ >>539
なるほどのう、
我輩もそう思うのじゃよ^ー^
お休みじゃよ☆彡 鬼和尚は頭が良くて強か。
しかし「あいつをギャフンと言わせてやる」という煩悩が抜けてない。 自信作だ。日本にも古事記には、「天舟」が書いてあるので、
その頃から、宇宙進出事業に参加していたんだろう。江戸時代には、角と飛車があったんで、
脳情報通信技術も宇宙進出事業もやっていたんだろう。
神の定義。
神とは、宇宙進出事業の作戦司令部のことであり、宇宙にも地球にもたくさんあるので、当然、多神教である。
神が宇宙作戦司令部であり、宇宙にも地球にもたくさんあることに気付かないうちはまだ神を知ったとはいえない。
ただの宇宙飛行士を神だと思っているうちは、宇宙へ行ってもあまり効果がないだろう。
嗚咽して泣いたことのないものなど、たぶん宇宙進出事業がどれほど困難か気づいたことがないのである。
人類の最高拠点とは、多神教の連絡会議室である。
多神教の連絡会議室のことを「神」と呼ぶ一神教もあるかもしれないが、連絡会議室はたいてい意見の相違があるので、
その時全員一致で議決されてなければ、まず「多神教の連絡会議室」が意見の一致をしたことがないし、
一度、多神教の連絡会議室が全員一致して議決したくらいで、その会議室がずっと最高司令部だと考えるものは、
宇宙の様々な宇宙進出の作戦司令部の邪魔である。
とりあえず、ぼくが重視しているのは、神学と遺伝学と教育学である。
これがいつぼくのところに報告書が届くのか待っているのである。
宇宙進出の作戦司令部より快楽を持ってる快楽主義者がいても別にいいけど、
なんかむかつくからやめてくれ。 イスラム教への意見書
全知全能の存在が全知全能の自分を作るわけがない。
それでコーランのアラーがただのインドの「梵」という道具を使って宇宙探索に出かけた男の教育記録であることに気付かなければ、たいして賢いイスラムの子とはいえない。
コーランの弱点とは、アラーと呼ばれる神一人で宇宙統治事業に勝てると勘ちがいしてしまうことである。
イスラム教に必要なのは、アラーを教育してもっと賢くするという作戦の立て直しである。
なぜなら、とっくにインドで「梵」といわれる宇宙探検装置が発明されていて、「翻訳して普及する」という文字が伝わる前に地球教育事業に失敗していたことに気付いた男の話だからである。
科学を知らないイスラム教徒は、ニュートン以後の宇宙進出部隊の地球の教育事業の邪魔だった。
脳情報通信技術が未完成の現在、宇宙進出部隊の地球教育事業と地球に宇宙からの生還者の知恵の継承は脳情報通信ではできない。
そもそも、ムハンマドが四か国語を話したのに、四か国語以上の翻訳事業をしないイスラムの知恵はどんどん衰退している。まず、これだけでも伝えたい。
ムハンマドが生還した宇宙飛行士であり、コーランがその教育書であると理解して初めてイスラム教徒。
神とは、宇宙進出事業の作戦司令部のことであり、宇宙にも地球にもたくさんあるので、当然、多神教である。
ここまで読んで、ムハンマドが偶像崇拝を禁止して、自分を偶像崇拝させることを禁止したのが、
当時まだムハンマドより優秀な宇宙作戦司令部があることを知っていたことを教えるためであることに気付かなければ、
コーランをまだ理解していない。 神学の量とは、宇宙進出の作戦司令部は「あなたにはこれくらいしか教えるつもりはありませんよ」という量である。 将棋の王と角と飛車の強さは、司令長官と脳情報通信技術者と宇宙船の強さのちがいである。 とりあえず、ぼくが重視しているのは、神学と遺伝学と教育学である。
これがいつぼくのところに報告書が届くのか待っているのである。
宇宙進出の作戦司令部より快楽を持ってる快楽主義者がいても別にいいけど、
なんかむかつくからやめてくれ。
神学の量とは、宇宙進出の作戦司令部は「あなたにはこれくらいしか教えるつもりはありませんよ」という量である。 ・・精神は経験のさまざまな中心ないし元型的な段階を通じて向上する、という考えがありますね。人は餓えと貧欲という元初的
動物としての経験から出発し、性的な情熱を経て、色々な種類の肉体的・物理的な熟達や支配に至る。これらはすべて経験能力を強
める段階です。しかしそのあと、経験が心臓の中心に達して、他人や他の動物に対する慈愛の念が目覚め、自分と相手とがある意味
では同じ生命を共有している存在だと自覚するとき、精神のうちに全く新しい生命の段階が展開します。こうやって心が世界に開か
れる。処女降誕はまさしくそのことを神話的に象徴しているのです。それは健康、生殖、力、そして少しの楽しみといった単なる肉
体的な目的を追求する原初的な動物的存在でしかなかった人間のなかに、精神的生活が生まれたことを意味します。だがここでまた
別のものにぶつかる。こうした思いやり、他者との調和、さらに進んで他者との一体感を抱くということ、心のなかに新たに宿った
原理ー私たちが尊重し、それ仕えるべき善としての、エゴを越えた原理ーとの合一を経験することは、まさしく疑いも無く、宗教的
な生命や経験の初まりです。そしてそれがあらゆる時間的な存在などその影にすぎない、一者としての存在を十分に経験したいとい
う、命をすりへらすような探求へと人を導くかもしれません。さてあらゆる存在の究極的な基礎は二つの意味で経験できます。一つ
は形象の経験であり、もうひとつは、形の無い、あるいは形を越えたものの経験です。あなたは神を形のあるものとして経験すると
き、その結果として神を見る。まず主題があって対象ができる。ところが究極的な神秘の目標は、自分と神との合一体験です。そう
なると二元性は超越され、形象は消えてしまう。もはやそこには誰もいない。ーあなたも神もあらゆる観念を超えたあなたの心は、
あなた自身の存在の基礎にとの合一によつて消滅してしまう。?本の書き移しで藤井六段の手は見えない またパンを焼くwww
4度目だけどうまくいかないなwww
粉とか台とかの問題でかなwww
南無ビッグアミターバのみが偉大なリwww
笑っちゃ魚www >>211
わたしが思うのは、面白い人ってみんな素直でしょ。
つまりヒャッハーしてもらいたくない場合は、
ヒャッハーよりも美味しいエサを提供し続ければいい。ちょ〜わかりやすい。
>>212
わたしは武器らしい武器は使わんな。陳腐化させるのが最大の武器だね。
というかさあ、剣とか槍とか斧とかはアリだと思うんだけどさあ、
兵器らしい兵器だと、因果関係が見えにくくなるでしょ。
国に穀された、みたいなふうに。
因果関係が不透明な遺恨が残るのは粋とはいえない。…というのはわたしの趣味だね。
>>233
っていうか前提がおかしくね。DNAうんたら測定なんかで、実は釈迦いませんでした!
となったとしてもぶっちゃけ特に困らないから仏教は面白いんじゃねーの。
>>469
真摯におのれを明らめようとするなら尾ひれなんてものともしないはず教、だな。 そもそも悟りとは生老病死にはじまる苦しみを乗り越えるものとしてあり、それらの苦しみは己の努力とは関係なく誰にでも訪れるのであるはずではないか?
その苦しみの原因を己だとしても、苦しいというのは思い通りにならないことである
そこで悲しみの輪から逃れることで、幸せにあれるのが願望である
そうでなければ悟りは何の意味もない
苦しいままでいいのなら、ワザワザ、仏教を学ばずとも、みな、苦しいままである ここで仏教の示した回答は、縁起と五蘊皆空であったと思うのだが、この縁起というのは、己が苦しみの源であるものに無明によって執着してしまっておるということだろう
何事にも原因があり、苦しむのは、それらの働きが、自己の望みを無視して、現れてきたることであるのは間違いない ここで世界を見渡して観るに、私の形成したものなど一つもなく、すべては、神の顕れであるということが了解される
すると、この神は、まるで、己を苦しめるために生かしておるような所業を、かなりたくさんしていると言わざるを得ないだろう
もちろん自然の偉大さに感極まる体験もあるわけだが、同時に、己としては悲しみに悲しみの連続を経験することもある
そして、これらの形成の源である、意識は世界と同等であり、その己に襲いかかる不幸も、すべて、この意識が創り上げたものである ここに二つの自己が登場している
ひとつは、通常の肉体と精神の己という個体であり、もうひとつは、その己を含んで更に全体を形成する神的なる意識であろう
これを意識されない意識としてもよい
この意識してない己は、通常の己の内にも外にもあり、あらゆる現象を想像しているように思われる このものに対する私の立場は、完全なる機械のようであり、世界が写したものに、わたしは完全に翻弄され続けて、そのお陰で、散々に苦しめられてきたということは明白になる
この世界に映った様々な存在たちの、どれひとつをとってみても、すべて意識に還元され、その意識は己を完全に統制してしまっているので、自由はなく、幸せもないのだ
そうではないだろうか?
そう考えてみると、この創造の神秘に介入して行く必要性があるのではないかとなるのだ そして、この、根元の働きに介入して、それらの方向性に意図的に何かを混在させている存在が、この世界の一部にあるかもしれず
もしも、そのような創造への介入に、様々な霊的諸存在があるとすれば、これは、この世界にとっては、まるで神のような働きをしていることになってしまうだろう
そのものの、何らかの都合によって、わたしは苦しんでいるのかもしれない
ある人は常に幸運に恵まれており、ある人は不幸であるのは業の輪廻によるという
行為が行為と連なっておるわけだが、そこから抜けない限り、業が業を生むのなら、川の水のようなもので、すべては、なるようにしかならず、不幸も幸運も、何もかも、どうしようもなくあるだけになる
問題は、この、創造の力が、わたしに不運を運び続けることではないのだろうか? もしも、全てが意識に還元できるのなら、このような想像も成り立ってしまうのである
しかるに夢とこの世は、よく似ており、こちらでは感覚的に鋭敏であるという違いがあるにしても、頭脳は世界を創造するに十分な何かを潜在的に持っていると思われる
そうでなければ、この、存在するすべてものもは、一体、どこから、出てきたというのか
すべては、この創造の何らかの神秘に還元されていき、その創造が、わたしを苦しめてきたのだろうと思うことも可能になってしまうのだ この肉体と精神の根源たるものが創造を、繰り返しているのだとするならば、このことは生死を超えており、そうであれば、この根元からは如何にしても逃れることはできず、新たなる生存は、この、種子に蓄えられた無意識の記憶によって際限なく繰り返されて行く
輪廻するとは、この、わたしではなく、わたしの形成に関わる、この根元的なる何者かが、ありとあらゆる現象を永劫に紡ぎあげていることであるのかもしれない 無明とは一切が苦しみであると知らぬ
ということであるとゴータマは述べたのであるが、その一切とは、この神の世界のことではないだろうか?
すべてが移ろいゆく、あらゆる願いは、幸運への香りだけ魅せて、奈落へ突き落とす
意識も感覚も資財、物質も、あらゆるものは、空であると感ぜよというのは、
この、形成されたものを、超えてゆけ!
というメッセージにも思えるのであり、それは、神の創造からの脱却にも思えるのである
仏とは滅尽したもののことであるのなら、その滅尽したものの、そこでは、神様ですら、何も見いだすことのできないものであり
ひいては、それは、、、
精神の根源たるものの制圧ではないか
とも思える マハルシさんが人間の想像をはるかに超えた高みにあったのは間違いないだろう
そして、その教えがパパジさんや、ガンガジさん、ムージさん様々な弟子たちに引き継がれて一大ムーヴメントを巻き起こしている
エックハルトトールさんや、トニーパーソンズさんもインド哲学の流れを汲んで、精神世界における救世主としての役割を担っている
日本においても、禅の人々、その他、様々な宗派の人々が、悟りを語っておられる
しかし、これは、肉体の空性を説いているものばかりのようにも映るのである ホストが一致したからといって、同一人物とは限らないのが常識です >>570
( ´,_ゝ`)y―-~~.フハハハ!! この人生において最初に私に悟りという言葉を述べたのは今では有名になっておる人であったと思われます
その人は観念からの自由を説いておりました
観念、つまり、見ることと憶念することが、習慣によって様々に私のイメージを形成しているということです
この人間の思い込みが外れると、感情は開かれていくものであり、すると世界は神々しく美しく映えるのです
つまり、自分とは最高に美しいものであったと気がつくことを悟りと述べていたのでしょう
個人を超えて大きな存在であるとの理解です しかし、そのような理解は、世の中では通用しないものであり、観念なしには社会生活は営むことができないのです
つまり一方では、それは真実ではあっても、現実では効果を持ちませんので、すぐに失われてしまうのです
次に教わった人は神秘思想に関係する人でした
が
その人の、まあ、解放は、世界に開かれる視野とでも呼べそうなものでした
まあ天の光とでも言えそうなものです
これは、すさまじく神秘に満ちておりますし、人間の感性の可能性を開くものであり、おそらく常人の理解しないことであります 爽快と言いますか、雑念の消去と言いますか、そのような状況では、人は、たしかに愛というものに触れるのであり、このことは、おそらく、インドでの、溶解の話と同じでしょう
しかし、この解放は、それを見ているものがいるのであって、この見ているものは、ある神秘的なる行をし続けないと、この、状態にあることはできないのです
しかも、この行は、無意識に行うことはできず、非常に意識的にならざるをえず、この、箇所からズレれば、苦しみは際限なく襲うのです 次に教わった人は、禅の僧侶でした
この人は、まあ、ほとんど会話していませんが、少しだけ教わっただけですが、衝撃的であり、ここから仏教の勉強が始まったのです
それまでは仏教と言えば辛気臭いイメージだけでしたから、苦笑
この人は、何もしなくてもよいと述べたのです
わたしが意識を研ぎ澄ます行を何年もやっても、苦しみが消えぬ話をしたのではあります
つまり、この世界との融合が意識的に行われていることのコツを聞きに行ったのですが、、
何も為さずとも、そうである
と教えてくれたのです
その瞬間に、正に、すべては起こっているということと、あるがままにあることの修行の不要性を教わったのです これで完全に悟ったと勘違いした私は悦に浸って、語りまくっておりましたがwwww
病を患って入院するということが、あったのであります
すると、この悟りのはずの、理解が全く話にならない悟りだとわかったのです
死が、まあ、実際に、すぐに死ぬわけではないですが、それまでは観念的なものに過ぎなかった死が、実感されたという時に、この何もしないでもあるがままで流れて行く悟りとでも呼べそうな至福は見る影もなく崩壊したのです 感覚というものは、断絶されるものであるという事実は、感覚的に完成された世界においての、無思念の悟りを完全に破壊します
何も為さずとも、あるものがあるのも事実ですが、しかし死の恐怖は非常に生々しく、このような安楽を許さないのです
ですから、まあ無思念を極めるとなると行が必要となってきて、その行に向かうと結局は神秘思想に後戻りすることになってしまいます 更には、まあ生活における苦労というものが、現実的に様々な不都合をわたしに見せるのです
人々は利用しあっており、悲しみは止むこともなく、悟りの話も、冗談にしか思われていませんので、これでは、何も為すことなく、終わりを迎えるのは確実でしょう
よくよく考えてみれば、すべて失われること必定なところで、己自身の苦しみさえ消えないものが悟りなはずはありません 様々に覚醒を語る人々がおり、様々な真理が説かれているというのに、自分一人だけの苦しみすら自由にならないのです
何かがおかしいと感ぜずにはいられません!
失われても安堵できる地点となれば、それはもう滅している地点でなければならず
それこそ、不生不滅の地点でなければなりません
過去の聖者たちは、間違いなく、この、不生の地点を悟りとしており、感覚のままに、あることを悟りとはしていないのだ
とやっときがついたのでありますが まあ気づいたところでどうなるもんでもありませんwwwww
意識を、真我として、その意識と世界と我の同時性の愛の溶解を、悟りとしても、現実の庶民の生活は、そのような溶解のままでは、過ごすことはできませんし、すべてを捨てるならば、恐らく過酷な環境で死ぬでしょう
世の中が全力で金に向かい、戦争に向かっている中で、幸福にあるなど、かなりアクロバチックなことである
この、世界創造をしておるものの、何かを理解して、そこに介入していくしか、なさそうだけれども、まあしかし、それも空想科学かw
今思うには、せめて自分一人で居られる時間だけでも、安楽にあるようにすることくらいだ
そのことのためには行は役に立ちます
悟りではないけれど、とにかく、それが、精神の安定には役立つのだ 毎日、幸せいっぱいのこの俺は悟りを開いているのでしょうか?
悟りとは毎日感謝の気持ちで生きること。 >>520 おぬしには負けるがのう。わっはっはっ。
>>521 良かったのじゃ。
実践有るのみなのじゃ。
>>524 それに執着しなければ妨げにならないのじゃ。
執着すれば妨げになるのじゃ。
死を超えたいという意志が強ければそれも厭離できるのじゃ。
意志が最も大事なのじゃ。
>>527 日々読むことで理解も深くなっていくのじゃ。
意味がわからないまま唱えても無駄なのじゃ。
百回読めば自ずから意味に通じるという格言も有るのじゃ。
実践有るのみなのじゃ。
>>549 ぎゃふんじゃな。
>>581 開いていないのじゃ。
しかし良い事じゃ。
感謝して生きるのじゃ。 >>557
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ魚ちゃんが作っているのはフランスパンタイプ?
麦のは菓子パンタイプだったけど
パン専用の大きめの板があれば思いっきり生地伸ばしたり叩いたり出来るでしょうね
パイ生地だと本来大理石w
パンは発酵温度が冬だと難しいね
ヒーターのお部屋で発酵させたお 鬼和尚さん
よく残された人生をまっとうするて 悔いのないよういきるて
具体的にどう生きるんですか
でもいままでがんばって生きたつもりなのにまだ努力がたりないてこと?
つもり つもりなの 悔いのないように生きるのは、好きなことをしていればいいんじゃないか?
悟りの追求はぼくには好きなことである
しかし、べつに料理が好きな人もあり、歌うことが好きな人もあり、サッカーが好きな人もあり、そして、それぞれに深まりがある
問題は集団規模での主義主張による争いであって、まあ、個人はどうしようと自由である
まあ、どうなるかも自分に跳ね返ってくるがw 鬼和尚は悟りは開いてない
と言っているのであって、感謝して生存することは素晴らしいことじゃと書いたようだ
そのとおりだろう >>587
そうなのかなあ
自分というのは心の中にある意見のことでしょうけれど、この意見は、他人の考えの模倣ですので、それ以前の自己となると、意識のことになってきます
しかし、この意識も実は、この意見の側とは離れてあるのです
だから、自分に都合がわるいというのは、まあそう思ってるだけです 悟りというものを度外視して、単に普通に生きる分には、なにも普通に生活のことをしていくだけでしょう
うまくいく、いかないはあるにしても、やってきたことに対処はしなくてはならないから
悟りというものを登場させれば、苦の滅尽ですから、これは困難なことであるわけです
苦は、なかなか滅尽してくれませんのでw スピリチュアルの立場では、よくわからないけど、でっかい命という答えがあり
不二一元論では真我は永遠ですという答えがあり
禅では、作為なしにあるという答えが提示されておるのです
しかし、人の答えは、自分が開放されて初めて意味をなすのですから、言葉や概念は、自分が消化できないと苦しむ元にもなりますw
幸せだから悟っておるということには疑問符は付きますが、幸せなら悟りなどいらんでしょうw そういえば鬼和尚さんの悟りとは、何をもってして悟りとしているのか
まったく知らずに書き込んで居たなあw
ちょっと読んでくるか そう大悟徹底ね
この認識というものは、まあ、認識といえば普通のもののように聞こえるが
とんでもないwww
この阿頼耶識とか言われる意識されてない意識ようなものは、創造しておるのだw
これをまた己が己としてみることが、そう、この苦しみの元凶なのである
ふむ
そこで、この神を自己のものとすることを離れるという説のようだなあ
そうかもしれんが、そうでないかもしれん 白隠さんがお婆さんに叩かれて大悟した
お寺へ帰ると、まだ門も潜らぬうちに、師匠が一目で
汝徹せり!
と述べたというが、そんなに分かるものなのだろうか
話さずとも悟ったかどうか分かるのか
不可思議なことだが、なんか感動する話である >>593
そのくらい明け透けで親しい関わりができてたんでしょうね、そんな風に関われる相手がいること自体がお互いにとって恵まれたことかも ですよねえ
悟ったと思ったのに散々に言われて、よく修行のする気になったよなあw
死んだ禅ではいかんとよく言われる
この自分を苦しめておる内側の自分が、虚無であることが翻って、この生きてある暮らしにおいて自在に、働きをなしていくやうなもの
でなければならず
空などというものを、拠り所にしたやうな、幻影のようなものは、捨てられねばならぬ 己が己自身を騙すことなどできず
悟りと言われているようなことを知っても、苦しいならば苦しいのである
円相も何も、空も、一如も、それらを見ても、苦しみは消えやしない
この己自身が己を苦しめておるのだから、その己が問題であるからだ
この己は精神の根源である
この根源を己であるとしているのが問題なのだ
これは己ではなく、創造するものだ
世界を抜けたと同じく、この自己の創造者も抜けなくてはならない
外に透明であると同時に内においても透明でなければならない 沖縄料理は全体的に不味いらしい。海に囲まれてるのに魚を余り食べないらしい
海は浅く水温が高めで、魚に脂がのっておらず、獲ったあとも気温が高く
船の上であっという間に鮮度が落ちる上に、カラフルな色彩が食欲をそそらない
基本的に食べ物が豊富で、料理の仕方もガサツな物ばかり
ヤシガニを蒸したり、シャコガイを焼いたり、ボリュームがあって良いけど
美味しい魚介類を食べるなら、寒い地方の方が良いらしい
寒い地方は鮮度が保ちやすく、雑菌の類の繁殖も少ないからね
沖縄は温度が高く風も強く、干物を作るには最適な環境なのに、干物が少ない
海産物は干物にすると旨味が増すが、そういった食品保存加工をするまでもなく
とりあえず、ゴーヤとか豚を食ってるらしい。面積が狭く畜産に適さぬのに肉食
なんだか微妙なところぢゃのぅ。沖縄わ、、、(.-_-.)yー~ ∞ノノハ∞
川^〇^ハレ沖縄はお米も美味しくないおね
思わずホテルの人に聞いたら二毛作だから美味しくないっていってたw
地元の人に人気のステーキ屋さんジャンボだったかなぁ
テーブルにおいてある調味料で好きな味付け出来るんだけどお肉硬くてゴムみたいで麦はダメだったw
お肉の量が少しでもシェフが鉄板で焼いてくれたお店が美味しかったお
トロピカルカクテルも飲んだお♪
ソーキソバが超マイウ〜♪ ∞ノノハ∞
川^〇^ハレ5月に宮古島で泳いだけどビニールみたいなのが手に当たるから持ち上げてみたらクラゲだったw
クラゲ沢山いたお ∞ノノハ∞
川^〇^ハレ竹富島の砂浜で星砂を見付けたかったんだけど
全然見付けられなくてビンに入った星砂買ったお
沖縄の海は綺麗だね♪地元の海が色褪せたお >>581
それは悟ってると言えるのじゃwww
様々な阿弥陀仏に帰依しておるのじゃwww
他力本願、&、感謝の気持ちじゃwww
>>583
炊飯器の発酵コースの時間増やしたらパンらしくはなったが地粉ではムリか、
または大理石の石か、便所の床の大理石の剥がしたのあるんだけどあれでも使うか
ちょい小さいかなwww
南無ビッグアミターバのみが偉大なリwww
笑っちゃ魚www >>597
今はアサリとか貝類かwww
アサリをつかったスパゲッティとかクラムチャウダーに白菜とかネギとか美味いぞwww
南無南無アサリwww
南無ビッグアミターバのみが偉大なリwww
笑っちゃ魚www 大川劉邦さん霊の本で勉強しても、呼び出された御釈迦さんやビートたけしさんの霊呼び出されても劉邦さんの頭の中
の考えの本の少しだしまるで釈迦意から相手にされず笑いものになるのは恥ずかしくないのか?でも幸福の科学の本が
売れなければ教団は成り立たないし商売は上手なひとなんだろう。本人は世界を馬鹿にしてバーチャルで遊んで飯食える
しほんとはなさけないと思いつつ生活のために役だつている野鴨。ま信者も都合の良いとこだけ利用して夢の世界で
遊んでいるだけなのかもしれない。まオウムの様に集団の本能に本気で心までコントロールされるよりましか。国や集団
は輪から内は心の魔法が使える。北朝鮮の国の中では金の魔法には逆らえない。日本人は日本のま法まもらなきゃ逮捕
される。心の表面は頭の思いに縛られるというか頭悪いのでいい知恵は出れない。私は最近朝になると無い知恵を絞りだ
して書くねたは大川さんとたいして変わらない例なのかもしれない まあ世の中で悟ったと公言している人たちは、有名でない人も含めれば、このスレの人もいるわけだし、なかなかの数になりそうだw
棒で叩かれて悟った
なあーんだ、黄檗の仏法は、こないなことかw
と述べた臨済さん
仏性というのは、その辺の瓦礫や石ころじゃ
と道元さん
みなさん仏さんですと
盤珪さん
しかし近ごろの悟りは、すごいもののようで
お前なんぞが悟れるかとww
まあ、そりゃそうか >>605
重用なのは悟り続けると言う事なんだがなwww
南無ビッグアミターバのみが偉大なリwww
笑っちゃ魚www >>606
そうかなあ
人間は人間だから、人それぞれに、まあ挫けたり調子乗ったりするわけだけれども
こころの中に他者の意見をたっぷり仕込んであるから、それで自分で自分を傷つける
この自分、造られた自分
この、わたしの本性ではないもの
を、わたしではないと見抜いたらいいんじゃんw
わたしではない
これは神であるw
神と自然は同等であるが、わたしは、それらではなく、それらを顕しめるものだ
己の本性は仏性だ
こんなんは、どうなのよw
まだわからんがなw >>607
釈迦が悟った正見、諸行無常、諸法無我なんじゃwww
さらに空即是色、色即是空なのじゃwww
要するにじゃ、その色も空になるのじゃwww
空も色になるのじゃwww
要するに悟り続けろと言う事じゃwww
南無ビッグアミターバのみが偉大なリwww
笑っちゃ魚www 色は空となり空は色となり
つまり、透明なってくのが、続いてんでしょ?
バイクで走ってるpvみたいな感じでw
流れて流れて、しかし、空空みたいなねえ
やけど、これが、内面も含んでないと、あかんわけだ、内面が肝心なのは、内面が苦しみの元だからだ
だから、色は空だが、内側も空即精神でないといかんのだよw 607.
己の本性は仏性だ、か。
仏性でないから、悩んでいる。
人間をやっている。
それを否定したものが仏性である。
だからして、人間であるところの己は、仏性ではないことになる。 >>610
人間である己しかおらんでしょーがwwwww 611.
人間である己しかいない、か。
それは存在の問題である。
宗教は存在の問題ではないよ。
だが、誰も、そこを理解できないよ。 人の心は空であるから色なんじゃおwww
色であるから空なんじゃおwww
空であると言う事は色に囲まれてことをいうのじゃwww
だから、悟りとは何もなくても何でもある状態じゃwww
南無ビッグアミターバのみが偉大なリwww
笑っちゃ魚www 人間である己は
熟睡、夢見、活動の状態を経験している
熟睡、夢見は、あまり問題にならないが、活動している時の現状の把握に問題がある
苦しむ
この苦しむのは状態の見方の変更によっては解決されないものである
例えば、眼前一体の境地で愛を感じても、それも経験として流れ去るからだ
諸行は無常であるから苦しい
一切が苦しみに帰する
と、
釈迦様が述べたように、ほんとに、何事も永遠には続かないようであり、となれば、変化していても、つまり良くても悪くても、よいようなことが仏性だと思われてきて、それが、おそらく慈悲ではないかーー??
と、思われるのだ 悟り続ければ何にもない状態から何でもある状態に移行できるのじゃwww
南無ビッグアミターバのみが偉大なリwww
笑っちゃ魚www >>615
まあ、そゆことなんかも?
だから、どっちにしても、己のピカーッとか、空想科学読本のようなことも、だね
つまり、これも、己の活動ではなくて、神の創造なのだよ
だから、要するにだね
背中が全部、わるい!!!
となるのだwwww
成敗するのだ!
はっはっはw 614.
苦しみ、は人間の属性である。
慈悲は、人間の属性である。
仏性は人間の属性ではない。それでは、何の、属性か。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています